寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼8」

目次

さいたま市西区川越市天台宗古刹

荒川百所巡礼 第42番:灌頂院

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川越市に入りました。立派な山門が迎えてくれました。久々の寺院です。山門前は近年整備された感じですね。航空写真を見ると墓地がスカスカで、過疎化を感じてしまいます。多摩川巡礼のときも同じですが、田舎の寺院は墓地を見てしまいます。葬式仏教の日本では、墓地が檀家と菩提寺を結んでいます。いわば墓地は寺院にとって生命線なのです。灌頂院の墓地は半分以上が更地の状態で、少し不安になりました。

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中門は鐘楼門になっています。朱色が褪せていて、妙に歴史ある雰囲気を生み出しています。寺院の門には両側に仁王像や四天王像が安置されていることが多いのですが、灌頂院の中門には竹箒などの掃除道具が満載でした。境内を歩いていると、お寺の家族の方かご近所さんかわかりませんが、ご年配の女性を介護しながら歩いている方が「こんにちは」と挨拶してくれました。

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本堂です。灌頂院は天長年間(824-834年)に慈覚大師円仁によって創建された天台宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来です。慈覚大師が建立し、その後平将門に破壊され、源頼朝が再興するという、ビッグネームが関わっていますが、寺院としても6つの塔頭寺院や多くの末寺を持つ、宗派の中核寺院だったそうです。

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庫裏の入口の柵の上にちょこんと白い猫が座っていました。全体的に古さとボロさの間を行ったり来たりする微妙さを感じさせる寺院でした。境内には梅や枝垂れ桜や蓮の花が咲くそうで、開花時期に訪問したらまた印象が違うのでしょう。

 

神主はつらいよ

荒川百所巡礼 第43番:古尾谷八幡神社

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鳥居が連なる参道があります。かなり大きな神社のようです。こちらが一ノ鳥居で、三ノ鳥居まであります。神仏習合の時代は先ほどの灌頂院が別当寺だったそうです。

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児童公園もきっちり備えています。参道を挟んで児童公園の反対側には、古谷本郷会館という自治会館もあります。完璧ですね。公園の奥に千本鳥居が見えますね。実際に個別でレポートできるほどに盛りだくさんの神社です。

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三ノ鳥居を抜けて、更に塀で囲われた門を入りますと、社殿が見える神域となっています。創建は貞観4年(863年)と灌頂院より少し後になります。創建したのは灌頂院と同じく、慈覚大師円仁で、石清水八幡宮から分霊を勧請したそうです。こちらの社殿は享保7年(1722年)に建立されたもので、拝殿と本殿が弊殿で繋がれている権現造りです。社殿内の造作や彫刻が当時の手法のまま残っていて、埼玉県の文化財に指定されています。

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こちらは、本殿の隣にある旧社殿です。本殿が300年前なので、それ以前ということになります。旧社殿は天正5年(1577年)の造営で、このように階段のない社殿を見世棚造と呼ぶそうです。旧社殿も埼玉県の文化財です。他には地域の子どもの代表が花飾りの付いた重い籠を背負って神輿を先導する「ほろ祭」が、埼玉県の無形文化財に指定されています。

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境内社も立派です。何の神社なのか書かれていますのですぐに分かります。ほろ祭に選ばれた子の家では、親戚縁者が集まって祝いの席を設けるほどに名誉なことだったのだそうです。

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先ほど横から見て、児童公園の奥にあった千本鳥居です。この神社は他のと比べて格段に綺麗でした。この古尾谷八幡神社宮司さんは「神主はつらいよ」という本を出版しているそうです。大きな神社ですが、土地柄苦労が多いだろうとは察しがつきます。読んでから訪れると、また違った印象になるでしょう。

ゆうひが丘の走るおっさん

荒川百所巡礼 第44番:古谷本郷薬師堂

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青面金剛像の庚申塔があります。見ざる言わざる聞かざるも彫刻されています。この薬師堂はそもそもは先ほど訪れた灌頂院の塔頭寺院で、神宮寺という寺院だったそうです。

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薬師如来を本尊とした神宮寺が、明治維新で廃寺になり、薬師如来だけが残って薬師堂として現在まで残っています。現在は灌頂院が管理しているのだそうです。寺院は無くなっても、墓地が残されますから、このようにお堂と墓地だけの場所というのは各地に存在します。

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JR川越線埼京線が走る鉄橋です。対岸はやはりゴルフ場となっています。

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この橋は河川敷の土手の道を横切っていて、踏切があります。今までは土手の更に上に鉄橋がかかっていましたが、ついに土手に踏切が現れました。

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チャン・イーモウ監督「紅いコーリャン」を思い出す風景ですが、手前が入間川、奥が荒川です。入間川秩父からここで荒川と合流するまでの区間を流れ、荒川の支流では最長の川となっています。豆知識をひとつ。一級河川二級河川とランク分けされていますが、どんなに小さな川でも、一級河川の支流は一級河川になります。

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前回も同様のものがありましたが、柵で囲っているから、何かの目印の杭に違いないですし、きっと海から〇〇kmの杭だと思うのです。しかし、これでは何もわかりません。

 

荒川百所巡礼 第45番:古谷本郷氷川神社

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結構大きめの敷地に、氷川神社がありました。やはり氷川神社が多いです。そもそもは灌頂院の境内社だったようです。特筆すべきものは在りませんが、広い境内で鳥居や参道もあってちゃんとした神社です。

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そして、正式な田舎の神社なので、児童公園もしっかりあります。ご安心ください。

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少し車通りの多い通りに出てきました。ここに神社の巨大なのぼり旗を掲げるポールが建っています。おそらくは古尾谷八幡神社のものだと思われます。行事の日にはのぼりが掲げられるのでしょう。

 

荒川百所巡礼 第46番:小山稲荷神社

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この神社、見つけられなくてぐるぐる回りました。民家と畑と作業所の間にありました。奥に見えているのは国道16号です。こちらは稲荷神社です。氷川神社と稲荷神社、荒川流域に多いのは、実際どちらなのでしょうね。

 

荒川百所巡礼 第47番:浮島神社

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子育て弁天社と言われています。弁天社ということなので、お祀りされているのは市杵島姫命でしょう。市杵島姫命を祀る神社は、神社名に「島」とか「嶋」とか付くことが多く、弁才天垂迹神とされています。そもそも弁天社として存在していた場所が、神仏分離市杵島姫命を祀ることになったという歴史が多いです。

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そして、安心してください。ちゃんと児童公園もあります。とにかく明るい人みたいになってますが、神社+児童公園=安心感という印象です。

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夕焼けのこんな長閑な風景を背に、地元の学生たちが友達と語らいながら歩いています。そんな中をおっさんが猛ダッシュで走っています。バスの時刻が迫っていました。ひとつ逃すと大変です。

 

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