寺社探訪

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「将門の魔方陣巡礼7」

将門の魔方陣巡礼7 目次

鎧神社

所在地:東京都新宿区北新宿3-16-18

創建:醍醐天皇の御代(898-929年)

御祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 平将門(たいらのまさかど)

将門との関連:平将門の鎧がこの地に埋められているという伝説があります。

朝早くに台東区の鳥越神社を訪れて、夕方ごろ、ついに最後の目的地、新宿区と中野区の境にある鎧神社に到着しました。ちょうど近隣の小学生の下校時刻と重なっていたみたいです。鳥居の前の道を通過する小学生たちが、立ち止まって鎧神社に向き直り頭を下げて通過して行きます。誰かに指導されているのだと思いますが、習慣として神聖な場所や神聖な存在を意識して過ごす姿は、民族的というか、遺伝子レベルの行動にも感じられました。将門ゆかりの神社で2022年の子どもたちが頭を垂れて通過するのを見たら、将門もニコニコの笑顔になって怨念が消滅していくように感じました。

鎧神社は日本武尊が東征の際に鎧を納めたという伝説と、平将門の霊を鎮めるために藤原秀郷がこの地に将門の鎧を納めたという伝説があります。この鎧神社のすぐ近くに円照寺という真言宗豊山派の寺院があります。この寺院の鬼門の方角に建てられたことが創建の言い伝えです。神仏習合の鎧大明神として祀られていたそうです。この鎧神社と神田明神を見ると、将門を祀る神社が明治維新を乗り越えるためには、大己貴命少彦名命主祭神に現れるというのが定説なのでしょうか。小規模の神社ですが、社殿はきちんと使用されている感じがあります。お寺よりも神社は無人状態になって荒みやすいですが、この鎧神社はちゃんと人の手が行き届いていて、地域の鎮守様として支えられている様子が伺えます。拝殿でお参りを済ませると、将門の魔方陣巡礼も終了です。

 

将門の魔方陣巡礼

北斗七星の形になった7つの聖地を巡ってきました。そこまで急がなくても、朝から夕方までかけて巡ることができました。ただ猛暑日だったので、軽い熱中症になってしまいました。私は電車と徒歩で移動しましたが、車を使えば体力的にも時間的にも余裕が持てると思います。あと、御朱印集めをされている方でしたら、御朱印がもらえる場所なども調べて、「魔方陣巡礼ver」の御朱印帳を作成すると記念にもなって良いと思います。

朝廷が将門調伏を祈願させた成田山新勝寺とは犬猿の仲という伝説があって、神田明神築土神社の氏子は、成田山新勝寺へお参りしないそうです。私は新勝寺には行ったことがありませんが、新勝寺東京別院である深川不動尊には去年訪問しています。おそらく成田山新勝寺にもいつか訪れると思いますが、将門に敵対心はありませんので、穏便に許していただきたい。

 

参考までに私の巡礼コースをご紹介します。振り返って思うのは、車で行けば良かったなと思います。

鳥越神社→(徒歩)→浅草橋駅→(都営浅草線)→日本橋駅→(徒歩)→兜神社→(徒歩)→将門塚→(徒歩)→神田明神→(徒歩)→小川町駅→(都営新宿線)→九段下駅→(徒歩)→築土神社→(徒歩)→筑土八幡神社→(徒歩)→牛込神楽坂駅→(都営大江戸線)→東新宿駅→(都営副都心線)→西早稲田駅→(徒歩)→水稲荷神社→(徒歩)→高田馬場駅→(JR山手線)→新大久保駅→(徒歩)→鎧神社

電車を利用すると結構歩かなければならないのに電車区間がひと駅分とかで、効率悪いなぁと思いながら巡っていました。バスを利用したら肉体的にはもう少し楽かもしれませんが、待ち時間が増えるので効率の悪さは変わらない感じがします。理想的には二日間に分けて巡るのが良いかなと思います。周辺の関係ありそうな神社や寺院も巡りながら、御朱印も集めてみると(大変そうですが・・・)一層楽しめそうに思いました。

以上を持ちまして、特別企画としてお届けいたしました「将門の魔方陣巡礼」は終了です。せっかくなので、平将門に関する伝説が残る寺院や、ゆかりの寺院を訪問することがあれば、番外編として追記していきたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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