寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 19」

目次

神社+寺院

荒川 百所巡礼 第145番 大栄神社

前回の石橋供養塔から秩父往還に出てすぐに、「総鎮守 大栄神社」という大きな神社がありました。この神社は大麻生村上郷の鎮守だった五社稲荷神社が元になっています。五社稲荷神社ですから、別々だった5つの神社がひとつに合祀された歴史があります。五社稲荷神社で祀られていた5つのご祭神は、稲荷神である倉稲魂命大己貴命、大田命、大宮姫命、大市比賣命です。大正2年に、この五社稲荷神社が近隣の八荒神社、天神社2社、駒形神社浅間神社の5社を合祀して、大栄神社と改称したそうです。

社殿は一段高くなっています。荒川に近いことが伺えます。すぐ近くに宝蔵寺という寺院があるのですが、神仏習合時代は宝蔵寺が別当寺でした。わかりやすく千木と鰹木が見えますので解説しますと、男の神様の場合、千木が「外削ぎ」と言って先端が垂直になっています。鰹木が奇数です。女の神様の場合は千木は「内削ぎ」と言って先端が水平になっています。鰹木は偶数です。つまり、大栄神社の主祭神である倉稲魂命は女神様だということですね。

他に境内社もあるのですが、「願い石」という珍しいものがありましたのでご紹介いたします。もみじ石という埼玉県寄居産の石で、江戸城築城の際に荒川の水運を利用して多くの石が運ばれたそうです。石の台座になっているのは水車用の石臼で、母体を表しているそうです。

 

荒川 百所巡礼 第146番 真言宗豊山派 宝蔵寺

同じく秩父往還沿いに大栄神社の別当寺だった真言宗豊山派の宝蔵寺があります。稲荷山という山号からも、縁が深かったことが伺えます。この門はずっと閉じられている様子ですが、本堂の裏側が広い駐車場になっていて、裏側から駐車場経由で境内に入れます。

私は人を拒む寺社には入らない主義なので、横から撮影させていただき失礼しました。様々な考え方がありますからね。消費者のように寺社にサービスを求めるのはおかしなことです。この寺院は鎌倉時代前期の創建で、長い歴史を持ちます。お隣の大栄神社の前身である五社稲荷神社が京都の伏見稲荷から神璽を受けたのが明和3年(1766年)とのことなので、500年くらい先ですね。

 

R140

秩父往還を進みます。右も左も畑ですが、白土三平的荒野ではありません。歩道なんてないので、時々やってくる車に気をつけながら先へ進みましょう。

何の花かは知りませんが、きれいに自生しています。日本は春と秋が無くなって、夏と冬だけになっていると言われていますが、春の証拠を撮っておきましょう。畑の向こうに見えているのが秩父鉄道の線路です。

 

荒川 百所巡礼 第147番 浄土宗 明道寺

秩父往還を離れ、用水路沿いに荒川方面に向かいますと、明道寺があります。ここも桜の名所なのだそうですが、訪問時はまだ蕾でした。広い境内なのですっきりしています。応永年間(1394-1428年)の創建です。

鐘楼堂がありますが、お堂のスケールに比べて、鐘楼が小さくないですか? 強めに突いたら飛んでいきそうですよね。

明道寺を開基した上田和泉守が応永29年(1422年)に討死したことで、明道寺は衰退し本尊は辻堂に安置されたそうです。私が荒川巡礼でよく出会うような道端にあるお堂にいらっしゃったのですね。そこから寛文10年(1670年)に死亡した藤原正次が再興しました。見る限りは立派に維持されているように思います。

明道寺の目の前は、広大な畑が広がっていますが、開田耕地整理記念という大きな板碑が建っていました。この先開墾記念碑を何度か見かけましたが、最初の住人はそれだけ大変な思いをして農地を開拓していったのですね。

 

荒川 百所巡礼 第148番 諏訪神社

明道寺の隣に諏訪神社があります。寺院の隣に神社のパターンが続きます。松並木に囲まれた神域ですが、きれいに整えられていました。地場産業だった養蚕の発展のために諏訪神社が祀られたそうです。現代はどんな特徴を持つ神様にも、商売繁盛から恋愛成就から交通安全から合格祈願、子授け子育てまで、何でもお願いしますが、そもそも神様にはそれぞれ特徴があるものです。

社殿の彫刻がかなり本格的でした。奥には境内社があり、扁額にたくさんの神社の名前が掲げられていました。これは長い歴史の中でいくつもの神社を合祀してきたからで、このようにして神様は万能になっていくのですね。

荒川土手沿いに来ました。 まだ土手沿いの道はアスファルトが敷かれています。ふと思い出しましたが、ジョギングする人やサイクリングする人たちを見かけなくなりました。たまに歩いている人を見かける程度です。

このあたりから熊谷市から深谷市へなります。海から82.8kmに到達です。ここは明戸床止めという施設です。大きな河川には様々な理由で、水の流れの速さや落差や水量を調節する施設があります。床止めというのは、川の流れが川底を掘ってしまうことを防ぐ効果があり、川の流れと形状を維持する役目があります。荒川の姿もだんだん上流っぽくなってきましたね。

 

幻の十輪寺

荒川 百所巡礼 第149番 十輪寺

土手を歩いていますと、墓地+お堂という組み合わせの場所がありました。Google mapだと違う場所を指していますが、たぶんここが十輪寺です。情報がなく、宗派すらわかりません。既に住職もいなくて、寺院の機能としては廃寺同然でも、墓地が残るので近隣寺院や地域で管理組合を作って維持することは結構あります。そういう寺院だと思いますが、元々はどうであったか、少しでも情報が残りそうですが、謎に包まれています。何かわかるかと、失礼ながら堂内を除いてみました。須弥壇に小さな厨子があり、中の仏様までは見えませんでした。壇上には様々な像が置かれていました。それよりも目についたのは、スチールデスクが2つ置かれていて、木材やら何かの箱が散乱している感じでした。全く手が入ってない訳でも、よく手入れされている訳でもなさそうな、謎の寺でした。

河川敷を歩いていると、遠くに薄桃色に色づいた桜の木が見えます。この桜については、今年の花見として「伝統行事に行く」に書かせていただきました。

海から83.6km地点に到達しました。河川敷の畑の中を進みます。

 

荒川 百所巡礼 第150番 菅沼天神社

荒川と秩父往還の間の土手道沿いに、菅沼天神社があります。何故か駐車場に車がたくさん停まっていました。どうやら集会所で会議をしている様子でした。近くにテニスコートと広いグラウンドがあり、人々が集まる場所のようです。

御祭神は菅原道真公です。古そうな天神社なので、少彦名命を祀る神社かと思いましたが、道真一択のようです。的場の儀という、弓矢で的を射る神事が例大祭の日に行われます。

流鏑馬のように的を射ることを競うものではなく、的はダーツのように枠が5分割されていて、「五穀豊穣」「学業成就」「交通安全」「商売繁盛」「家内安全」と書かれていて、射抜いた場所の願いが叶うというものだそうです、真ん中を射抜くと全ての願いが叶うという大当りとなっています。

秩父往還に戻ると、秩父鉄道「武川」駅入口の大きな交差点に、秩父往還跡の石碑がありました。「東くまがや、西おまえだ」と書かれていました。碑の裏には「武蔵国榛沢郡菅原村 雁坂トンネル開通記念 平成十年四月吉日」と書かれていました。雁坂トンネルは埼玉県と山梨県を結ぶトンネルで、雁坂峠の下を走っています。調べてみたら、日本の長いトンネル第9位で、長い一般国道のトンネルだと第2位、長い一般国道の山岳トンネルだと日本一になるそうです。

秩父往還跡碑の近くに、道路元標がありました。久下宿以来ですね。武川村道路元標と書かれています。道路元標が義務付けられた当時、埼玉県には371の市町村がありました。その数だけ道路元標が建てられたということです。現在の扱いも様々で、文化財のように扱われたり、引き抜かれて放置されたり、半分以上地中に埋まった状態だったりするそうです。骨董品とゴミは紙一重ということですね。

 

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