寺社探訪

寺社探訪とコラム

「共病文庫 ⑦」

「生・老・病・死」は「四苦」と言って、仏教では人生を代表する苦しみとされています。

 

手術は予定通り終わり、この世に戻ってくることができました。

 

手術

朝8時半に看護師さんに連れられて、家族と共に手術室まで行きました。立会に来なくて良いとか言ってましたが、この時は来てくれて良かったと思いました。やはり不安が大きく、ひとりだと心細かったと思います。看護師さんたちの指示に従ってあっち向いてこっち向いて手を上げて、と準備が進むうちに、「眠くなりますよ〜」と言われてから記憶がありません。

目が冷めたら体中が痛かったです。全身に力が入って体が強張っていて、力み過ぎて筋肉痛のような痛みがあり。脱力するのに苦労しました。ICUに移動して、手や足を数cm動かしてみるのですが、それも恐る恐るな感じです。尿道カテーテルの感触を初めて知りました。知人が脂汗が出るほどに耐えられなかったと言っていましたが、私は全く平気で、自分の意志に関係なく小便が出るのは不思議な感覚でした。

 

眠れない夜

会えない予定でしたが、家族が面会に来ました。ICUは面会禁止と聞いていましたが、特別に計らってくれたみたいです。「長い時間、よく頑張ったな」と言われたので時刻を聞くと、夜の8時だそうで、10時間半くらい麻酔下にあったということになります。母が手を擦ってくれましたが、実は手術室で私を見送った後、家族用の待合室に案内されたそうですが、自由に出入りしてくださいと言われたので、東京観光に向かったそうです。すると病院から、ひとりは必ず待合室にいてくださいと電話があったそうなんです。近くの観光地に行って、本格的に出かける前に寄ったホテルで電話を受けたそうで、うまく取り繕えたらしい。

最初の夜は本当に辛かったです。ドレーンが鼻から出ているのですが、酸素マスクの風が鼻腔の奥を乾かして、そこに管が当たって激痛です。しかも止め処なく痰が出るのを、ティッシュで拭うのですが、水が飲めないし、うがいもできません。看護師さんがガーゼに水を湿らせて咥えさせてくれるのですが、そんなことが最上の贅沢に感じました。喉湿しをすると10分くらい眠れます。気づくとまた体中に力が入っていて、脱力を心がけます。お尻を浮かせてみたり、背中を浮かせてみたり、少しずつ体を動かしてみました。痰に血が混ざるようになり、本当に辛い夜でした。

 

情けない自分

看護師さんは凄い仕事だと常々思います。知識や技術はもちろんですが、優しさか仕事内容に含まれているように感じました。あり得ないほどの優しさを発揮していただきました。そんな中、手術の翌日からリハビリが始まります。目標は歩いてトイレに行くことです。体中に様々な管が付いていますので、それらをうまく処理してまずは座ることからです。ベットが自在に動き、椅子の形になるのです。凄いです。靴を履いて、歩行器に捕まって立ち上がります。何とか立てましたが、そこで気絶しそうになり、そのまま中止になりました。気が遠くなり視界が黒く潰れて、命の危険を感じました。私は記憶にないのですが、両側から支えていただいて座るように促されても、歩行器にしがみついていたそうです。

歩けたらHCUに行けたのですが、立つこともできない自分が情けなくて悔しかったです。ずっと寝ていて急に立ち上がって、血圧が一気に落ちたとのことで、午後は体を起こして過ごしました。夕方になり、もう一度挑戦しましょうと言われ、気合を入れて前回よりもゆっくり準備して、座った姿勢になって靴を履いて地面に足をつきました。立ちあがる前に、そこで時間を取ります。するとまた気絶しそうになり。血圧が一気に下がり、中止になりました。看護師さんは励ましてくれましたが、情けない気持ちでいっぱいでした。

 

( ※ 写真はフリー素材です)