寺社探訪

寺社探訪とコラム

「共病文庫 ⑥」

「生・老・病・死」は「四苦」と言って、仏教では人生を代表する苦しみとされています。

 

決して全幅の信頼を置くことを許さない病院に入院して1週間が過ぎました。いよいよ手術の日を迎えます。悪い可能性が重なれば、これが最後の投稿となります。

 

わだかまりを無くそう

今回は手術なので、私の主治医は内科の里見先生ではなく、外科の財前先生です。担当医は財前先生の部下なので、白い巨塔的には佃先生です。佃先生は柳原先生を連れて毎日回診に来てくれますが、中身が間違えている不穏な同意書の話はして来ません。入院4日目の夕方に、財前先生がひょっこりひとりで現れました。これはチャンス。財前先生に同意書の話をして、テンプレのまま出したと聞いたことも伝えました。財前先生は「これ、こうなってしまうんですよねぇ。病院には直してくれって頼んでるんですけどねぇ」と言いながら、修正箇所を手書きで直して、修正印を押してくれました。

本当は偉い先生だから、自分で同意書を作成してないのかもしれません。誰かが後で怒られるのなら気の毒だけど、友達みたいに話せる先生だったので、笑いながら話せて良かったです。財前先生に母と姉が来ることになったと伝えたら、では手術の後にご説明しておきますね、とのことだった。

 

家族と病院

母は兵庫県、姉は広島県からです。何年も帰省していないのに、わざわざ手術の付き添いのために、有り難いやら申し訳ないやらです。素晴らしき家族愛なのですが、もっと中身まで考察すると、その他色々あります。病院としては、私には早く退院してほしいですから、退院後の生活をサポートできない家族が来ても仕方ない訳です。早期退院のために起こる不自由をフォローできる家族こそ、病院にとって価値ある存在なのです。一方で母と姉にしても家族を置いて、安くない費用と時間の犠牲を投じてはるばる東京へ来て、私の手術の立会だけで帰るつもりはありません。天気が悪そうで気の毒なのですが見舞いは要所のみ最小限で済ませ、母娘のふたり旅で花見や東京観光もして帰りたいと思っています。

つまり、病院に対しても家族に対しても、私自身がこの見舞い訪問に価値を生み゙出さなければならないのです。退院後フォローできない家族でも来てくれて良かったと病院に思っていただき、お見舞いも観光も堪能できたと家族に満足してもらわなければなりません。私は課せられたこのミッションを、果たしてクリアできるのだろうか。

15時半頃到着の予定だと姉からへ連絡があったので、看護師さんに伝えると、到着したら教えてくださいとのこと。日勤の看護師さんの交代は17時なので、16時までに来てくれたらと思っていたら、ちょうど良い感じです。しばらくすると姉から連絡があり、明日から天気が悪いので、代々木公園で花見してから行くとのこと。結局17時前という一番忙しい時間に現れた母と姉でしたが、それでも来ていただいて感謝の限りです。看護師さんには姉が看護師であることを明かして、姉に話をしていただけたら大丈夫ですと伝えておいたので、看護師さんは姉に翌日からの流れを説明していましたが、隣で母も一生懸命手帳にメモしていました。一応電車代とホテル代を用意しておいたのですが、逆にお見舞いをいただきました。翌朝も手術室まで立ち会ってくれるそうです。手術後は面会禁止なので会えないそうですが、財前先生からの説明を聞きに来るとのこと。手術時間が8時間もあるので、悶々と待っていられないと思いますが、何かあったら病院から姉に連絡が行くことになっています。観光気分の母と姉に「思いのほか手術が早く終わって連絡あるかもよ。今どこですか? って聞かれて、恥ずかしいところに居ないようにね」と注意しておきました。「天気悪いしなぁ」と姉は母娘ふたり旅の予定を考えていました。

 

包むべきか

葬儀業界でも心付けの風習はまだ残っています。これは人々が忌み嫌う、穢れの多い仕事に対してお金を出しているんですね。しかし多くの葬儀業界の人は自分の仕事をそんな風には思ってなくて、なのにお金もらえてラッキー程度にしか思わないので、皆さん葬儀社に心付けはあげなくて良いですよ。

では、病院はどうなの? 遠い昔、祖父が手術を受けたときは、父が心付けを渡していた記憶があります。しかしそれは30年前のお話。調べてみると現在でもその習慣は残っているようです。私は気遣いが苦手なので、却って請求書を渡される方が気分良いです。むむ、入院4日目の夕方に財前先生がひょっこりひとりで現れたのは、心付けを取りに来たのではないのか。不安が広がります。

看護師ひと筋30年の姉に聞いてみたら、職場の人に聞いてくれました。すると、最近は心付けの風習は無くなりつつあるとのこと。患者向けの説明書類に「受け取りません」と書いてないか? とのこと。私はベッドの上に書類を広げて、食い入るように読みましたが、心付けに関する記述はありませんでした。結局はノリに任せようと思い、病院内のコンビニで封筒を買い、病院内の銀行でお金を下ろして、いつでも渡せる準備だけはしておきました。

 

いよいよ

下剤も飲んでお腹が空っぽです。手術室に行く荷造りも終わりました。飯綱大権現の御守りも入れておきました。さあ、寝て起きたら、いよいよです。手術室には朝8時半頃から入ります。手術時間は8時間ほどの予定です。術後は数日かけてICUからHCUに行き、一般病棟へと戻る予定です。自分がどうなってしまうのか、考えると不安しかありません。しかし、これは人生で何度かやってくる「今こそ」という瞬間です。私が培ってきた生きる力が現れる場面です。辛くても忍耐力や精神力を発揮し、辛さよりも思い遣りや感謝を優先できる人でありたい。できるかな……。では、次の投稿まで。

( ※ 写真はフリー素材です)