寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 3」

目次

平井周辺でお参り三昧②

荒川 百所巡礼 第7番:曹洞宗 道了寺

JR平井駅のすぐ近くにある小さな寺院です。神奈川県南足柄市にある曹洞宗最乗寺の直轄寺と説明書きがありました。最乗寺を創建した了庵は通幻という僧の弟子で、通幻派の僧は地域の公共工事的なことを行うことで、民衆の支持を得ていたそうです。了庵が最乗寺を創建する際も、了庵の弟子の道了が土木工事を行ったとされています。

この話は寺伝によると内容が飛躍してしまいます。師僧である了庵が最乗寺を建立すると聞くと、道了は近江の三井寺から天狗の姿になって飛んできて、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺院を完成させました。そして師僧の了庵がこの世を去ると、道了は最乗寺を永久に守るために天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったと言われています。

その天狗伝説が広まって、道了自身が道了大薩埵(だいさった)という名で信仰の対象となり、十一面観音の化身だと言われました。説明書きを読んでいて興味を惹かれたのは、道了が山中に飛び去るときの姿です。火炎を背負い、右手には拄状、左手には縄を持ち、両手両足に幸運の使いの蛇を従え、天狗に化身し白狐の背に立ち……と書かれています。これって十一面観音というより、飯綱権現とか秋葉権現の見た目にそっくりです。真言宗天台宗修験道と大きく関わっているのはよく見かけますが、曹洞宗でもこのような山岳信仰の権現が登場するんですね。

左が飯綱権現。右が秋葉権現

 

荒川 百所巡礼 第8番:平井天祖香取神社

総武線と蔵前橋通りを超えて、平井天祖香取神社にやってきました。綱が巻き付いた鳥居がすごく珍しいです。緑青の感じからすると、銅製の綱ですね。神社の石碑には天祖神社としか書いていないので、歴史のどこかで天祖神社香取神社を合祀したのだと思います。天祖神社なので、お祀りされているのは天照大御神です。創建は不詳ですが、旧社格は村社として列せられています。

社殿は本殿と拝殿、手水舎と社務所がありました。社務所無人のようで、おそらく住んでいる人もいないと思われます。それでも社殿の扉が開いていて、周囲を掃除している方がいました。おそらく近隣に大きな神社もないので、現在でもこの地域の中心となる神社で、お祭りも大勢の方が集まるのではないかと思います。

 

荒川 百所巡礼 第9番:真言宗豊山派 安養寺

この付近に弁天通りという小さな商店街があるのですが、おそらく安養寺の境内にある弁天堂から名前が取られたのではないかと思います。こちらがその弁天堂で、夢のお告げによって造られたそうです。弁天池に架かる橋を渡っていく感じだと思うのですが、弁天池の水はカラッカラに干上がっていました。日常から溜めていないようですね。

弁天池を掘った土を盛って作ったのがこちらの富士塚とのこと。寺に富士塚は珍しいですね。明治17年1884年)に地元の富士講によって造られたそうです。頂上には文政13年(1830年)に作られた浅間神社を勧請した石祠があります。また、昭和60年に塚の一部をくり抜いて、弘法大師像を収めています。安養寺は江戸時代前半の創建とのことです。結構大規模な幼稚園を運営しているようで、幼稚園の敷地に寺院があるようにも感じました。

 

荒川 百所巡礼 第10番:稲荷神社

車が通れないような細い路地を進むと、住宅の間に稲荷神社がありました。どういう由緒がある神社かなんてわかる訳もないので、稲荷神にご挨拶して手を合わせて通過しました。このように住宅地にぽつんと現れる神社は、圧倒的に稲荷神社が多いです。稲荷神は五穀豊穣や商売繁盛を司る神様なので、庶民から圧倒的に支持されています。これから先も稲荷神社はたくさんあると思います。

江戸川区墨田区・サッカー勢の勝利

平井大橋です。蔵前橋通りが通っています。蔵前橋通りは末広町あたりからJR総武線の少し北側を平行に通っていて、江戸川を渡る直前に千葉街道と合流するまでずっと総武線に沿って通っています。日曜日でしたので色々なスポーツをしている方がいました。やはり野球勢がダントツかと思ったら、サッカー勢がダントツでした。このあたりは多摩川と違っています。他にはフリスビーを投げる競技(アルティメット?)が流行っているようでした。ラクロスをしている方もいました。おそらく大学の部活かサークルですね。

草に挟まれた道を行きます。このあたりで墨田区に突入します。過ぎてみると江戸川区は結構スポーツする方が多かったです。百所巡礼と言いつつ、なかなかお参りポイントがありません。多摩川のときと比べると、ただ歩いている距離が長い気がします。河川敷を歩いているのですが、なかなか河川敷に面してお寺や神社がある訳ではないですからね。

 

荒川 百所巡礼 第11番:東墨田白髭神社

ありました。さっそく立ち寄ってみましょう。こちらは東墨田白髭神社です。この神社にはなかなかの歴史があります。延暦7年(788年)に下野国の広智という僧が伝教大師最澄半体作の薬師如来像を背負って武蔵国にやってきたところ、中川で不思議な翁に会い、薬師像を草庵に安置せよと言われたそうです。そのように従うと、その後、慈覚大師円仁がやってきて、不思議なお告げに従って、その草庵を修理して一寺を築きました。それが荒川の対岸にある天台宗浄光寺で、浄光寺の守り神として白髭神社が同時に創建されました。それが貞観2年(806年)の創建の由緒となっています。

当時は荒川放水路など無かったので、対岸とは地続きでした。創建に登場する不思議な翁こそが、白髭神社で祀られている白髭明神=猿田彦命であったとされています。この神社には山王信仰の神も相殿に祀られていて、天台宗らしい信仰がここにあったということです。荒川放水路の開削で、現在は荒川の彼岸と此岸にある寺院と神社ですが、何となくロマンを感じてしまいます。

 

荒川 百所巡礼 第12番:真言宗豊山派 萬福寺

真言宗豊山派萬福寺です。このお寺も白髭神社と同様に、荒川放水路の開削でこの地に移転してきました。こちら( ↑ )の石仏群は一つひとつ由緒がはっきりしていて、いつ誰がどんな目的で立てた石仏であるかが説明板に書かれています。

本堂は住宅風で、参道を通った奥にあります。他に見るべきものがない小さな寺院ですが、やはり気持ちが落ち着きます。

河川敷に戻ってきました。ここからだとサッカーのグランドを俯瞰で見ることができるので、キャンピングチェアに座ってビデオ撮影をする大人がたくさんいました。ちょうど通りかかった時にゴールが決まって、大騒ぎになっていました。昔とは違って野球もサッカーも、子どもたちだけでなく、親も参加しないといけないから大変ですね。

木根川橋です。墨田区八広と葛飾東四つ木を繋いでいます。

10km到達・東京スカイツリー

このあたりが東京スカイツリーに一番近くなるポイントだと思われます。私は東京タワーには登ったことがありませんが、スカイツリーには一度登ったことがあります。完成間もない頃だったので、ツアーで予約して行きました。

また、河川敷に面した神社が現れました。行ってみましょう。

 

荒川 百所巡礼 第13番:八広日枝神社

境内に入って正面に八広日枝神社があります。このあたりは江戸初期には荒地だったので、荒地を開拓して村を作って最初に住み着いた方々がいます。そんな方々の守護神として日枝神社が祀られたそうです。日枝神社別当寺だったのが、京成押上線の反対側にある真言宗智山派の寶蔵寺です。真言宗寺院でも山王の神様を祀ることがあったのですね。

こちらは境内社の木下稲荷神社です。境内社と思えないほど立派な神社です。入口にも、日枝神社・稲荷神社と併記されていて、同格の雰囲気です。

京成押上線の鉄橋です。墨田区の押上と葛飾区の青砥を結ぶ路線です。この辺はまた草ボーボーですね。

墨田区東向島葛飾区四つ木を結ぶのは、新四ツ木橋と

四つ木橋ですが、ほぼ隣にある橋です。2つ橋を架ける理由が何であるのかはわかりませんが、江戸の防御のために極力橋を架けなかった家康ならご立腹の展開です。四つ木橋は現在の水戸街道が通っています。

 

荒川 百所巡礼 第14番:墨田稲荷神社

墨田稲荷神社です。この神社も土地を開拓した人々の拠り所として、伏見稲荷大社から稲荷神を勧請して建立され、荒川放水路の開削のために現地に移転してきました。開拓した土地には、作物が豊かに実ることが何よりの願いなのですね。

しっかりした神社で、境内も広々していて、境内社も多くありました。狛犬はゴツゴツした溶岩的な土台の上にいて勇壮な感じです。もちろんお狐様もいらっしゃいます。

境内の角に「万灯神輿発祥の地」の石碑が建っていました。万燈神輿というのは、弓張提灯で四方を飾った神輿のことです。なぜここか発祥なのか、どこまで全国的に広がったのか、わかりませんが、一度途切れたものの、60年振りに再開し、地元で大切に守り続けているようです。

10kmのキロ杭です。広い河川敷の道はまだまだ続き、荒川の風景もスタート周辺に比べて、そこまで大きな変化はありません。

墨田区→足立区・桜中学

新荒川橋は、首都高速向島線が走っています。この橋を超えると、足立区になります。ここは長い間ランドマークとして、金八先生のドラマに登場する桜中学が保存されていました。現在は東京未来大学のキャンパスとなっています。あまり面影は感じられませんが、それでも元の校舎を残そうと努力されているようです。

こちらが堀切駅東京未来大学です。金八先生は私の年代の方はどストライクだと思います。特に第2シリーズは鮮明に記憶に刻まれていて、私の人格形成にも大きく影響しています。中学生は体制に反発心を抱く年頃ですよね。私も反発心がかなりキツかったので、難しい性格の生徒だったと思います。加藤優たちが逮捕される時にBGMとして流れていた中島みゆきの「世情」が、いつも脳内リフレインしているような暗い中学生でした。

堀切橋と京成本線です。歩きながら、試しに「世の中はいつも変わっているから……」と口ずさんでみたら、最後まで歌えてしまいました。若い頃の脳に刻まれた記憶は凄いですね。

東京拘置所が見えてきました。現在は座間9人殺害事件の白石隆浩、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖、首都圏連続不審死事件の木島佳苗などが留置されています。

 

荒川 百所巡礼 第15番:柳原稲荷神社

柳原稲荷神社に参りました。境内は広いですが、社殿は小さめです。慶長4年(1599年)の創建とされています。徳川家康がこの地を訪れて、青々と茂る柳を見て神聖な土地だと感じ、江戸の鬼門除けにしたと伝えられています。

境内には富士塚がありました。富士塚の頂上には浅間神社の祠があります。昭和8年(1933年)に勧請したものだそうです。足立区の文化財に指定されています。

 

荒川 百所巡礼 第16番:日の出神社

真新しい神社です。日の出というのはこのあたりの地名で、御多分に漏れず稲荷社となっています。地域の方々に支えられてここにあるということが説明書きに書かれていました。

ここは当ブログの「江戸六地蔵水戸街道」で登場した道です。荒川放水路に分断された街道としてご紹介しました。

 

荒川 百所巡礼 第17番:日蓮宗 清亮寺

日蓮宗の清亮寺です。裏側から来たので、かなり大きな墓地が見えました。裏側は廃れた感じが見受けられましたが、正面から見ると整然と美しい寺院です。休日だからでしょうか、墓石屋さんが小屋に詰めていました。

元和5年(1619年)の創建で、当初は水戸街道に面していました。水戸といえば光圀ということで、光圀が槍を立てかけた「槍かけの松」という松が有名だったそうですが、既に枯れてしまったそうで、古い写真が展示されていました。

 

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