寺社探訪

寺社探訪とコラム

「多摩川左岸 百所巡礼7」

多摩川左岸巡礼53番:玉川水神社

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羽村取水所の公園から奥多摩街道に入ると、すぐに玉川水神社があります。柵に囲まれていて、しっかりと管理されている様子が伺えます。この神社は、承応3年(1654年)に玉川上水が完成した際、水神宮として建立されたそうです。建立したのは玉川上水を造った玉川兄弟だそうです。はじめはもう少し取水口に近かったそうですが、大正10年に水道拡張工事の際に現在地に移転しました。社殿の隣には、玉川上水羽村陣屋跡という玉川上水を管理する江戸幕府の施設の跡地があり、茅葺屋根の建物があります。江戸時代に羽村から四谷まで水路を引くなんて、トップクラスの国家プロジェクトだったはずで、神社も陣屋もしっかりと幕府が管理していたようです。

多摩川左岸巡礼54番:羽村 稲荷社

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玉川水神社から奥多摩街道を少し進み、一本入ったところに稲荷神社がありました。住宅地なので、元々どなたかの家の敷地にあったものかも知れませんね。とてもきれいにしてありました。

多摩川左岸巡礼55番:臨済宗建長寺派 禅福寺

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奥多摩街道からの入口は、どうやら裏門だったようで、本堂が背中向きに建っていました。すごい立派なお寺だなぁと感心していると、本堂の正面に墓地が広がっていて、どっちが正面なのかわからなくなりましたが、おそらく南側のこちら( ↑ )が正門だと思われます。移築したんですねだぶん。茅葺屋根の禅宗らしい美しい山門です。手前に庚申塔があり、奥に六地蔵が見えます。寺伝によると応安年間(1368-1375年)の創建で、この山門は完成3年(1462年)の建立で、破損や焼失の記録がなく、改修はされたでしょうが、室町中期の門なのではと伝えられています。

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多摩川沿いに戻ってきました。こちらは一本杉と呼ばれているそうです。

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たまリバー50キロ」は終わってしまったのですが、河川敷の土手の道は続いています。ここは大正土手と呼ばれているそうです。明治末期に幾度かの洪水で田畑が水没したので、大正時代になって大規模な護岸工事が行われ完成したので、大正土手と呼ぶそうです。気持ち良いくらいまっすぐ続いています。

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そんな土手の道が突如として森に吸い込まれます。森の入口に鳥居が建っていますね。これは阿蘇神社の一之鳥居です。この鳥居から先は、遊歩道ではなく阿蘇神社の参道になります。

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阿蘇神社の参道は多摩川沿いですが、両側を木々が覆って、森のようになっています。

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そんな参道脇に石の祠とお墓らしきものが現れます。これは羽村を支配していた三田氏の三田雅楽之助平将定の墓とあります。しかし、これらの墓は江戸時代の様式で造られていて、三田雅楽之助平将定が生きた時代とは200年ほど開きがあるそうです。

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参道にキロ杭がありました。海から55kmです。思えば遠くに来たものです。落ち葉に覆われた未舗装の砂利道を進みます。

多摩川左岸巡礼56番:稲荷社

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参道の途中に稲荷社があります。こちらは阿蘇神社に関係あるのか無いのかよくわかりません。おそらく、神社ではなく近隣の住民の方々の関係ではないかと勝手に推測します。小さいですが、ご神使が建っていて、榊立てもあります。

多摩川左岸巡礼57番:武蔵阿蘇神社

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森を抜けると、参道はついに二之鳥居に突き当たり、ここから先は多摩川沿いに道がなくなりました。羽田空港から続いた多摩川沿いの道がついに終わりました。終着点が神社の鳥居だなんて、なんという巡礼的に都合の良い話なんでしょう。

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すぐにまた鳥居があります。三之鳥居の奥は階段になっています。

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階段を上がると、想像以上に立派な社殿があります。しかも社殿の扉は開け放たれていて、社殿の中は雪洞に火が入っていました。明らかに常駐の宮司さんがいらっしゃる感じです。ここまでたくさん神社を訪れてきましたが、これほどの神社に出くわすのは大田区多摩川浅間神社以来ではないでしょうか。

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こちらは東京都の天然記念物になっている椎木です。石積みで造られた境内の端、崖の上にあって、今にも多摩川の方へ崩れ落ちそうです。藤原秀郷が社殿をを改修した際に自ら手植えしたという伝説があるそうです。

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何だったか思い出せませんが、本殿周辺に摂末社がたくさんありました。阿蘇神社の創建は、社伝によると推古天皇9年(601年)とのこと。933年に平将門が社殿を造営し、その将門を倒した藤原秀郷が、940年に将門の霊を鎮めるために社殿を修復したそうです。天文5年(1536年)には三田氏が7回目の改修を行ったと記録されているそうです。現社殿は延宝4年(1676年)に再建されたもので、東京都の文化財に指定されています。

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こちらは直日宮と書かれた扁額があるのですが、どんな神様をお祀りしているのかよくわかりません。

f:id:salicat:20211120225150j:plain手入れされているもの、いないもの、たくさんの祠がありました。阿蘇神社というからには総本社は熊本県阿蘇神社です。阿蘇神社の御祭神は阿蘇十二明神と称される12柱の神様で、この羽村市阿蘇神社も阿蘇十二明神が御祭神です。

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こちらは阿蘇宮という摂社?のようです。東参道の鳥居の正面にあります。

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東参道は整備されてまだそんなに経ってない感じです。きれいに整えられていました。こちらからの方が交通のアクセスがあるので便利だと思いますが、どうせなら一之鳥居から多摩川沿いに参道を通って、階段を登って境内に行く方が雰囲気が良いです。

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阿蘇神社の東参道を抜けると、住宅地に入ります。ここからは多摩川沿いに道が無いので、住宅地を進みます。しばらく歩くと奥多摩街道に出たので、奥多摩街道を進みます。そしてまた住宅街に入り、多摩川沿いに出られました。ここ( ↑ )は、小作取水堰です。多摩川の堰としては最も上流に位置する堰です。

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こちら( ↑ )は、沈砂池というものです。どこがどの様に機能してうまくいくのかわかりません。頭の良い人が考えたのでしょう。小作取水堰は川幅全体に水門の堰があったり、沈砂池のような附属施設があったりと、かなり大掛かりな施設となっています。

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小作取水堰からすぐのところに、小作の渡し跡がありました。ここは多摩川橋の下です。このあたりは川幅が広くないので、渡しを使うほどかなと思いますが、昔は一旦水量が増して洪水となると、川の形が変わるほどに大変なことになっていました。なので、暇なときはワラを編みながら、渡しの船頭さんはお客を待っていたそうです。

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こちらが多摩川橋で、奥に見えているのが友田水管橋です。橋桁の数が少ないです。友田水管橋には橋桁がありませんね。ついに多摩川河川敷も様相が変わってきましたね。流石にこうなると、もう野球場は無理ですね。

多摩川左岸巡礼58番:羽村 松本神社

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多摩川橋から奥多摩街道に戻ります。ここから先は、こんな風に多摩川が見えるところへ行ったり、街道に戻ったりしながら進んで行くことになりそうです。多摩川橋から奥多摩街道に向かう途中に松本神社があります。誰かが常駐で管理している程ではなく、かと言って放置されている感じでもない神社です。創建は鎌倉時代と、まずまずの老舗です。建久年間(1190-1199)に、伊豆の下田からこの地にやってきて農地を開拓し村落を築いた人々によって、建立されました。御祭神は京都の伏見稲荷大社から勧請したとのこと。農業の神、稲荷社として、豊作稲荷大明神熊野三山大権現などと称してきましたが、明治維新の際に松本神社と改名しました。御祭神は食を司る神、豊受姫命で、大正3年に櫛御毛奴命(くしみけぬのみこと)と大物主神を合祀したと記録されています。櫛御毛奴命は素戔嗚命のことで、熊野大神(熊野信仰)と同一神です。御毛は御食(みけ)の意味で、やはり食物神として信仰していたと思われます。非常にきれいな社殿ですが、改修は何度かされていると思いますが、調査の結果、天保7~11年(1836-1840年)の再建ということです。宮大工の棟梁は、屋根裏など見えない場所に自分が仕事をした証拠を残すと言います。180年後の世の中でもその仕事が生きていて、散歩中のおじさんが思いを馳せたりするのです。

f:id:salicat:20211129205459j:plain松本神社から奥多摩街道に入り、圏央道を超えて進んでいきます。「もう無理ですね」とさっき思ったばかりですが、すぐに多摩川の河川敷に野球場が現れます。これは青梅市の球場で、テニスコートサッカー場もある大きな運動公園になっています。圏央道を超えたところで、羽村市から青梅市に入っています。昭島市あたりからその傾向はありましたが、青梅市に入ってからは、はっきりと対岸も青梅市という状態になります。対岸は青梅市友田、此岸は青梅市河辺となっています。

多摩川左岸巡礼59番:河辺 稲荷社
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奥多摩街道から多摩川寄りの千ヶ瀬河辺下通りに入ります。すぐに左右に大きなマンションが立ち並ぶエリアになるのですが、その隙間にぽつんと稲荷社がありました。マンションの間の細い道を進むのでわかりにくいですが、この地にあったものを、マンション建設のために移設した感じですね。ただ、もう少しお参りしやすい場所にあれば良いなぁと思います。

多摩川左岸巡礼60番:河辺 八雲神社

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千ヶ瀬河辺下通りを進んで、東円寺手前の坂を上がると、八雲神社がありました。小さな神社で、田舎の小さな神社あるあるですが、境内に町内の自治会館があります。こうして地域の施設を建てて神社を守っていくんですね。摂末社もちゃんと整えてありました。八雲神社牛頭天王スサノオを祀る祇園信仰の神社です。

多摩川左岸巡礼61番:真言宗豊山派 東円寺

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坂を降りて東円寺にお参りをしました。この( ↑ )山門はずっと閉じられている様子ですが、隣の駐車場から境内に入れます。応長元年(1311年)の創建と伝えられています。入ってすぐのところにおそらくコンクリート造りの、あまり見ない感じの鐘楼があります。本堂と堂宇が1つ境内にありました。東円寺は真言宗豊山派で、本尊は阿弥陀如来です。真言宗密教大日如来不動明王というイメージが強いですが、阿弥陀如来を本尊とするお寺もあるのですね。極楽浄土の主である阿弥陀如来は、生きとし生けるものすべてを救う浄土信仰の仏様です。

多摩川左岸巡礼62番:河辺春日神

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東円寺の隣に河辺春日神社があります。こちらも大きな境内ですが、常駐の神職さんはいなさそうです。またまたそういう神社あるあるで、境内が児童公園になっています。児童公園の奥、階段を上がった一段高いところに社殿が建っています。春日神社の本社は奈良の春日大社です。春日大社は、鹿島神宮香取神宮別当寺の興福寺などから大きな影響を受けて、翻弄されてきた信仰ですが、全国に1000社あると言われています。

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立派な摂末社がふたつあります。稲荷社と神明社のようです。河辺春日神社の創建は不詳とのことですが、春日大明神と称していて、いわゆる神仏習合の神を祀っていたそうです。江戸時代、明和元年(1764年)に火災で消失してしまいますが、お隣の東円寺の住職と近隣の村人たちが協力して程なく再建されたそうです。

多摩川左岸巡礼63番:曹洞宗 林川寺

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千ヶ瀬河辺下通りを進みますと、四つ辻にお地蔵様が建っていました。このお地蔵様はなぜか全身にラップが掛けてあって、不思議な感じでした。その四つ辻を多摩川の方へ曲がると、林川寺があります。小さな境内で本堂だけがあるような感じです。天正元年(1573年)に青梅市根ヶ布にある天寧寺の住職が、隠栖のために建てた庵室がこのお寺の始まりで、創建とされています。隠栖というのは引退した住職が俗世を離れて静かに暮らすことです。禅宗らしくスッキリした境内で良いのですが、墓地が少し小さいです。現代の葬式仏教社会では、檀家数が寺院の運営をダイレクトに左右するので、檀家が少ない寺院は存続できなくなります。林川寺の運営が厳しいかどうかはわかりませんので、失礼なお話なのですけど、墓地が小さかったり、空きが多かったりすると、心配になってしまいます。余計なお世話ですが・・・。

 

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