寺社探訪

寺社探訪とコラム

蛇窪神社 

蛇窪神社 目次

名称・旧社格

正式名称は天祖神社です。通称蛇窪神社となっています。旧社格は村社で、村社格以前は神明社と称していました。

創建

1323年頃に北条陸奥守重時の旧家臣たちによって創建されました。

御祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ

みどころ

とにかく蛇です。色々とアトラクション要素の多い神社です。

アクセス

東京都品川区二葉4-4-12

都営浅草線「中延」徒歩5分

探訪レポート

蛇窪神社というヘビを全面的に押し出している神社にやってまいりました。この付近の商店街も蛇窪共栄会という名で、蛇の頭の形をした街灯が並んでいて、スネークロードと掲げられていました。尖った神社と思いきや、意外にも地域に溶け込んでいるピープルズシュリンなのですね。入口の石標には「村社 天祖神社」と彫られていました。そもそもは天照大御神を祀る神明社と称していましたが、村社に格付けされた際に天祖神社に改称したそうです。

ビー玉を沈めているのが良い雰囲気づくりになっています。浮いている球もいいですね。この神社の由緒はちょっと複雑で、何段階かあります。北条陸奥守重時が五男時千代に大勢の家臣を与えて蛇窪の地を開くように命じます。その後時千代は家臣たちを蛇窪に住ませたまま、出家して法円上人と称し、大森に海岸寺という天台宗寺院を開きます。それから50年ほど月日が流れます。武蔵国一帯が大旱魃になり、海岸寺の二世法密上人がその危機を救うべく雨乞い祈祷をしました。すると大雨が降り注ぎ、飢饉を免れることができました。このことに感激した時千代の旧家臣たちが蛇窪の地に神社を祀ったというのが始まりです。

蛇窪大明神の幟が立っています。ここは神明社だったので御祭神は天照大御神です。蛇窪大明神とはいかに? これはよくわかりませんが、この地の旧称が蛇窪というのと、白蛇信仰があって、白蛇にまつわる神様の総称のようなものかと思います。配祀として天児屋根命(あめのこやねのみこと)、応神天皇が祀られています。これは春日神八幡神ですね。それはともあれ、高張り提灯の周りの庭飾りが綺麗ですね。流木や胡蝶蘭を組み合わせてお洒落に仕上がっています。

拝殿の左側に何だか捉えどころのないお社がありました。「祓戸大神」と書かれています。右の提灯には「親子岩」、左の提灯には「福活岩」と書かれています。親子岩は多分手前の大小の岩ですね。その左には「愚痴壺」と書かれた壺があります。祓戸大神はよく神社で見かける神様です。神道の重要な儀式にお祓いがありますが、お祓いを司る神様もいらっしゃいます。このお社は悪運や悪縁や病気など、不要なエネルギーを取り祓うところだそうです。

社殿の右側は鳥居が並んでいて、その奥にただならぬ神域があるぞとアピールしています。ここから先は白蛇信仰のエリアになります。鎌倉時代に境内に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が棲んでいました。洗い場が無くなってしまうと、白蛇は戸越公園の池に移り棲みました。そして、この土地の旧家の主の夢に現れて、元の棲家に戻してほしいと告げたそうです。旧家の主はこれを宮司に告げ、宮司は弁財天を建立し池と小島を作りました。小島の中の石窟に祠を造り、白蛇を祀ることにしました。すると雷鳴と共に大風が立ち起こり白蛇が戻ってきたそうです。

撫で白蛇です。寺社にはこの撫でるシリーズが結構ありますが、一般的には体の悪い部分や、良くなってほしい部分を撫でると言います。撫で龍の時にも思いましたが、蛇の胃や肝臓はどこなんだろうか、足が良くなりたい人はどうするんだ、と考え込んでしまいます。こちらの撫で白蛇はそういった部位を撫でるものではなく、脱皮する蛇のように再生、気力の復活、開運を授かろうと撫でるそうです。

こちらは蛇窪龍神社です。神明社が創建される前から、蛇窪の地の鎮守だった神様だそうです。蛇と竜が混在していますが、神様の使いである白蛇が8匹目で白龍になるという言い伝えを表しているそうです。

二本の松が絡んで這うように植えられているので、蛇松とのことです。おそ松くんの兄弟のようですが、ところどころから白蛇が顔を出しています。なんでもあやかっていきましょう。

令和3年に鎮座700年を記念して、この白蛇エリアが大改修されたそうです。こちらは白龍の滝です。滝壺に中に龍神の玉と呼ばれる石があります。白蛇が白龍になって滝を上ると言われています。この滝壺から弁天池に繋がっています。  

蛇窪弁財天の銭洗いは、かつてない感じで凝っています。まず、この台の左側にある賽銭入れに200円以上のお気持ちを入れます。赤い三宝に積んであるメダルのようなものをひとつ手元に取ります。これは白蛇種銭と呼ばれています。右側の石臼の上の小皿(金盃)に白蛇種銭を置いて、石臼を時計回りに3回廻します。

備え付けのザルに自分のお金(種銭)を入れて、そこに白蛇種銭も入れます。ザルを゙水に浸けて、ここでも3回時計回りに廻します。

清水で種銭を清めたら、ザルごと白蛇弁天の祠の前に置けるようになっているので、そこへ置きます。金欲剥き出しなのに、清い心でお参りをします。どちらも「純粋な心」と言い換えられます。お参りが済んだら、白蛇種銭は財布の中に入れ、自分の種銭は自宅に持ち帰って保管します。そして、次回の訪問時に白蛇種銭を持参してお礼参りをするというシステムです。

蛇窪神社では実際にアルビノの蛇、みーくんとしーちゃんが飼育されています。神の使いとして公開されていますが、この日はお休みでした。公開日が決まっていて、次回の日付が予告されていました。

蛇窪神社の創建に関わる法密上人は密教に精通し、雨乞い祈祷で人々を飢饉から救いました。その法密上人が伏見稲荷から勧請した稲荷神を祀ったので、法密稲荷神社となっています。千本鳥居が稲荷神社の雰囲気を出していますね。

こちらは「おもかる狐石」という石です。寝ている小狐のような石を、最初に持ち上げて重さを確認しておきます。願いを祈念した後にもう一度持ち上げて、軽いと感じたら願いが早く叶い、重いと感じたら一層の努力を要することだそうです。

こちらは水掛け宝珠といって、願いを祈念して宝珠に水をかけると、その願いが叶うというものです。宝珠とは仏教のものと思っていましたが、そもそも宝珠と天台宗伏見稲荷神社は関係性があるそうです。宝珠の概念が日本に伝えられたのは天台宗からで、平安時代のうちに神道にも広まります。豊穣の稲荷神である宇迦御魂神(うかのみたま)が手に稲穂と宝寿を持って描かれるようになりました。宝珠は神道や仏教の様々な神仏像が手にしています。水をかけると表面をツルツルと滑るように落ちていく水が美しいです。

たくさんの提灯が下がっていて、雰囲気があります。本殿にお参りした時に蛇窪大明神とはいかに? と書きましたが、本殿に祀られている天照大御神天児屋根命応神天皇と、蛇窪滝神社、白蛇弁財天、法密稲荷神社に祀られる全ての神々を総称して「蛇窪大明神」と称しているのだそうです。

3個100円だったか(?)で売っている玉を買って、願いを込めて満願岩の窪みに投げ入れます。うまく入れば願いが叶うというものです。この目標を目掛けて投げて、成功すると願いが叶うというアトラクションは、全国各地の寺社で見られます。当ブログで訪問した中にも、上野寛永寺の清水観音堂や、神奈川の大山寺にありました。

こちらは土搗石(づつきいし)という名称。説明文によると、江戸時代より地域で住居や納屋の普請があると、村人が交代で手伝い、歌を歌いながらこの石を使って地面を固めたそうです。通称「おかめさん」と呼ばれていたそうで、村人同士の会話が思い浮かびますね。

蛇窪神社は蛇というある意味オカルトな信仰を連想させる印象がありましたが、実際に訪問してみると全く違っていました。それほど広くない境内ですが、中身は盛りだくさんで、ご神徳を受けて帰って欲しいという参拝者への温かい気持ちを感じました。地域の方々と共に歩んでいる様子も想像と違っていて、この神社が拠り所として大切にされていることが伺えました。ぜひ大切な方と一緒に訪れて、全てのアトラクションを体験してください。

 

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