寺社探訪

寺社探訪とコラム

曹洞宗 祥雲寺

曹洞宗 祥雲寺 目次

名称・寺格

龍澤山 祥雲寺と称する曹洞宗寺院です。寺格は特にありません。

創建

大永6年(1526年)に、石雲寺第3世蓼堂秀郭和尚により開山されました。

本尊

釈迦牟尼

みどころ

堂宇は比較的新しいものばかりですが、様々な石像が境内に点在しています。きれいな庭も在りますので、石像を廻りながら景色を楽しめます。

アクセス

東京都町田市高ケ坂7-15-1

JR横浜線「町田」徒歩20分

 

探訪レポート

門を入るとすぐに十王と奪衣婆の石像が迎えてくれます。駅から歩いていてわかったのは、とにかく霊園事業を一生懸命やっているお寺だということです。寺が商売に精を出して良いのかなどと根本的な疑問はさて置いて、寺院運営はお金がかかりますから、そのお金を檀家が負担することになります。だから檀家はたくさんいた方が、1件あたりの負担が減ります。現代社会において菩提寺と檀家を結ぶものはお墓ですから、菩提寺が墓地をたくさん売って檀家を増やして安定運営を行えば、檀家も負担が減ってwin✕2の関係になるという理屈です。

庭の植木の中に七福神の寿老人の石像があります。境内には七福神が全部いますので、探しながら境内を回ることができます。

池には大きな鯉がいました。いかにも人工の池ですが、周囲の植木と共にきれいに整備されています。

別の入口から入ると、右側が寺の境内、左側は墓地となります。墓地の入口には六地蔵がいらっしゃいます。境内を見学をしていて、数字に因んだ仏様を揃えるのが好きなのかなと思いました。十王とか七福神とか六地蔵とか。

こちらは寺院側の楼門の横にいらっしゃったお地蔵様です。元気地蔵尊と称しています。首を右に傾げているのはどういう理由なのでしょう。

こちらの山門は2階部分が鐘楼堂になっている鐘楼門です。門の左右に金剛力士像がありますので、仁王門の形も兼ねていますね。年代に新しく見えます。なかなかに立派です。

本堂の正面に大きな摩尼車がありました。摩尼車に刻まれているお経は般若心経でした。台座には別のお教が刻まれています。

本堂の右側に十二支の守り本尊と聖観音菩薩像が並んでいます。

祥雲寺は小田原北条家が関東を支配している時代に建立された寺院で、北条家の武運長久を祈願するために建てられたのだそうです。江戸期も徳川家より御朱印を頂いていたようです。大雄山最乗寺の輪番も務めていたそうです。大雄山最乗寺は寺社巡りをしていると時々登場する名前です。全国に4000もの門流を持ち、天狗伝説で有名な足柄の大寺院です。

境内には小僧がたくさんいらっしゃいます。こちらは木魚を枕に居眠りする「いねむり小僧」です。奥の方には十二支と小僧の像が寄進されています。やはり数字で括られた像を安置することが好きなのですね。

こちらは「経よむ小僧」です。よくお寺で見かけるのは竹箒を持った「お掃除小僧」です。祥雲寺にはもちろんお掃除小僧もいらっしゃいました。

本堂の左側に観音堂があります。こちらはかつて本当として使用されていた建物だそうです。行基作と伝えられている観音菩薩が安置されていますが、実際は平安時代中期の作だそうです。

数字の括りと言えば「五百羅漢」です。羅漢というのは仏弟子の中でも、悟りの境地に達した聖者のことです。仏教では、紀元前から今日までに数回、釈迦の教えが正しく伝わるように、高僧たちが集まって結集という編集会議が開かれていました。ここで編集されたものがお経として広まった訳です。その第1回結集に集まった500人の羅漢たちを「五百羅漢」と呼ぶのです。

こちらは檀家さんが名前を刻んで寄進しているのですが、まだ檀家さんの名前がついていない羅漢もいらっしゃいます。500体あるのかな? と数えてみて、半分くらいかと思ったら、裏側にもいらっしゃいました。

祥雲寺は墓地がすごいので注目してしまいますが、永代供養の納骨堂など、時代の需要にも対応しているようです。「寺フェス」など革新的な行事を行って衆生との繋がりを大切にしていて、信仰の可能性を広げていく寺院だなあと思いました。

 

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