寺社探訪

寺社探訪とコラム

黄檗宗 寿昌院

黄檗宗 寿昌院 目次 

名称・寺格

江島山 寿昌院と称する黄檗宗の寺院です。寺格はありません。松本弁天と呼ばれています。

創建

弁財天がいつからあったのかは不明ですが、貞享元年(1684年)黄檗宗の天海道竜によって開山されました。

本尊

千手観音

みどころ

きれいに芝生が敷かれた境内が特徴的です。中央に臥竜の松という名の大きな松の木があります。

アクセス

東京都江戸川区松本1-9-14

JR総武線「小岩」よりバス「松本弁天」徒歩1分

探訪レポート

寺院の中に鳥居。寿昌院が建立された経緯は、寛文年間(1661-1672年)に池田某という人の奥方が、当病平癒を弁財天に祈願したことに始まります。病気が快癒して、その奥方は仏門に入り、寿昌院と名乗ったそうです。そして寺の用地を整えて天海道竜和尚を迎えて開山したという流れです。

高床式の弁天堂です。寿昌院が建てられる元になったのが、ここに存在した弁天信仰です。弁天信仰は神道と仏教と民間信仰が習合してごちゃごちゃになっていますが、そもそもインドのヒンドゥ教の神様が仏教に取り込まれたものです。川に住む神様だったので、日本では海や池や島と縁が深いのです。お金が貯まる信仰は、弁才天の才を財と読み換えた日本独自の信仰です。

手水舎は墓地の水屋と兼ねていて、桶がたくさん置かれていました。どこか違和感があるのは、境内に芝生が敷き詰められているからかなと思います。

こちらにはお地蔵様が安置されています。隣にも新しいお地蔵様がいらっしゃいますが、なぜかちょっと首を傾げています。

奥に本堂があります。弁天堂のように高床式になっています。本尊は千手観音です。黄檗宗のレポートは初になりますが、基本的には中国より伝わった鎌倉仏教の禅宗の一派で、臨済宗に近い宗派です。以前、臨済宗は日本に伝えた人や時期で各派に名前が分かれていると説明しましたが、黄檗宗が日本に伝わったのが江戸初期と他派に比べて遅くて、初めは臨済正宗とか臨済禅宗黄檗派と名乗っていたそうです。

こちらが臥竜の松です。とても美しいですが、臥せた竜というよりは、タコに似ています。それでもタコ松では誰も有り難く思ってくれないので、臥竜の松となっています。樹齢は500年以上と言われていて、かつては直立した三本の松で、そのうち一本が横に枝を伸ばしていたそうです。大正時代に大風で幹が折れて現在のような這うような形になったそうです。

芝生が敷かれ植木が整えられたとても美しい境内ですが、コンクリートの堂宇のくすんだ色の感じが調和してません。それはそれで独特の味があると思えばいいですね。仏教以前のインドからこの日本まで伝わって、現代まで受け継がれる弁才天の大きなパワーをお裾分けしていただきましょう。

 

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