寺社探訪

寺社探訪とコラム

福生神明社

福生神明社 目次

名称・旧社格

福生神明社と称します。旧社格は村社となっています。

創建

創建は不明です。

御祭神

天照皇大神(あまてらすおおかみ)

伊邪那岐神(いざなきかみ)

伊邪那美神(いざなみかみ)

津波能賣神(につはのめのかみ)

豊宇気比賣神(とようけひめのかみ)

大山吭神(おおやまくびかみ)

菅原道真公(すがわらみちざねこう)

みどころ

広い境内に立派な社殿が見どころです。広々していますので、露店がたくさん並ぶ日に訪れると楽しめることでしょう。

アクセス

東京都福生市福生1081

JR青梅線福生」徒歩5分

 

探訪レポート

福生駅から徒歩圏内ですが、正面は駅側と反対側で、西側の神明通り側が表参道です。入り口左側には児童公園があります。右側には薬師堂が建っています。ガラス張りのサッシ扉がから覗くと、真新しい感じで薬師如来がご安置されています。神社に仏かと思いきや、薬師堂は神明社の施設ではなく、長徳寺の境外施設となっています。

長徳寺は当ブログの多摩川巡礼企画で一度訪問していまして、もっと多摩川沿いに境内があります。なぜだがこの福生神明社の隣に墓地と薬師堂があるのです。神明社は明治7年に旧福生村内の5柱を合祀したとあるので、江戸時代にこの神明社がどのように存在していたのかわかりませんが、長徳寺が別当寺ではなかったようです。神明社別当寺は寶蔵院という寺院で、明治維新廃仏毀釈で無くなっています。多摩川百所巡礼で訪れた、薬師堂だけポツンと残されていたのが寶蔵院です。明治維新で時勢を見た住職が、寺を捨てて神主になったというお話です。

赤いのぼり旗と鳥居。稲荷神社です。「長澤稲荷大明神」と称しています。長澤というのはこのあたりの旧地名です。隣に神輿庫がありました。

手水舎です。センサー式になっていました。だだっ広いので目立ちませんが、訪問時は平日の午後にも関わらず、参拝の方がポツポツいらっしゃっていました。

社殿は昭和57年(1982年)に建立されたと記録されています。周囲に何も無いので、存在感がある社殿です。神明社なので天照皇大神をお祀りしています。明治7年に村内の各地域の5柱を合祀して7柱の神を祀るようになったのだそうです。とは言え、この福生神明社に合祀された神社が祀っていた神々はもっとたくさんあったようです。

記録を見ると、堰上明神社も明治時代に合祀されていますが、以前多摩川百所巡礼の企画で堰上明神社を訪問しています。これは、1度は合祀されたもののお社が残されたので、近隣の方々が大切にして現在に至るという訳だそうです。堰上明神社は多摩川の洪水の時に流れてきた像を堰上明神として崇めたのですが、この像は妙見菩薩に似ていたそうです。また、合祀した神社の中には平将門を祀っていたという記録もあります。明治政府は天皇を中心とした神の国を目指したので、朝敵の象徴である将門を祀ることは許されない状況でした。稲荷社や浅間社も合祀されていますが、宇迦御魂神や木花咲耶姫命は御祭神に含まれていませんね。

芭蕉の句碑が建てられています。明治10年(1877年)の建立で、福生市文化財に指定されています。福生出身の森田友昇という俳諧師が、芭蕉を師と仰いでいたそうですが、実際に師匠として田村友甫という方がいて、田村友甫によって建立された句碑だそうです。田村友甫は福生が誇る銘酒「嘉泉」で有名な田村酒造の人です。

社殿の右側に広いスペースがあり、奥に神楽殿があります。福生駅から徒歩圏内でこれだけ広々とした境内だと、お正月やお祭りの日は賑わうでしょうね。色々とネットで調べていると、近隣の方から願いが叶ったという口コミが多く寄せられています。文化財的価値や景観の美しさを挙げることが多いのですが、これほど実績を称えられているのは珍しいです。どうしても叶えたい願いのある方は、福生神明社へ急ぎましょう。

 

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