寺社探訪

寺社探訪とコラム

日枝神社・水天宮(清瀬市)

日枝神社・水天宮(清瀬市) 目次

名称・旧社格

日枝神社が本社で、水天宮は摂末社のひとつですが、本社と変わらない規模で、本社と同格に扱われていて、通常、日枝神社・水天宮と併記されて使用されます。旧社格は村社です。

創建

天正7年(1579年)に中島筑後守信尚によって創建されました。

ご祭神

大山咋神(おおやまくいのかみ)

大己貴神(おおなむちのかみ)

みどころ

清瀬市氏神様として地域の信仰を集める神社です。同じような神社がふたつ横並びになっている不思議な境内です。

アクセス

東京都清瀬市中清戸2-616

西武池袋線清瀬」徒歩15分

 

探訪レポート

志木街道に面して、鳥居が3つ並んでいます。一番右が日枝神社で、日枝神社の特徴的な三角屋根の鳥居です。真ん中が水天宮です。日枝神社の創建は天正7年(1579年)になっていて、水天宮は明治時代に入ってからお祀りするようになりました。現在ではどちらが本社なのかわからないような感じになっています。

左側に御岳神社の鳥居と社名碑があります。こちらは少し小さめなので摂末社という扱いなのだと思われます。まるで別々の神社が横に並んでいるように入り口と鳥居が横並びになっていますが、境内は繋がっていて、ひとつの神社の様相となっています。

こちらは日枝神社の鳥居から入った参道脇にある石灯籠です。日枝神社側に社務所もあります。

手水舎は日枝神社の参道と水天宮の参道のちょうど間に設置されています。

見ざる言わざる聞かざるの三猿が刻まれている石灯籠が清瀬市文化財に指定されています。三猿が刻まれた石塔というと庚申塔が思い浮かびますが、こちらは庚申塔ではなく、日枝神社の石灯籠として建てられたものです。日枝神社山王信仰の神社で、山王信仰では猿を神の使いとしているので、この灯籠にも刻まれているとのことです。

こちらは日枝神社の拝殿です。お祀りされているのは大山咋神大己貴神ということなので、」典型的な山王信仰の系譜の神社です。神仏習合の時代には山王権現と称していたそうです。神仏習合の時代には寺院が神社の別当寺となって管理していたので、日枝神社を管理していた別当寺の正覚寺が現在の境内の東側にあったそうです。その正覚寺の本尊だった室町時代後期の製作とされる不動明王立像が、現在も日枝神社に残されているそうです。正覚寺自体は明治維新で廃寺になりました。

こちらは水天宮の拝殿です。本社である日枝神社と比べても遜色ありません。東京都で安産祈願と言えば中央区の水天宮がダントツで有名ですが、水天宮の本社は福岡県久留米市に鎮座していて、中央区の水天宮はその出先機関のような位置づけです。清瀬の水天宮も福岡県久留米市の本社から勧請した神様をお祀りしています。様々なことが合理化され科学的になっている世の中でも、出産は原始的な部分が失われっていない人の営みのひとつだと思います。神仏に縋りたい人々が多いのだと思います。そんな人々の望みに応えるように、当社に勧請された水天宮ですが、清瀬市のみならず近隣地域の安産祈願を引き受けているので、本社を凌ぐような人気になっているのでしょう。

こちらは祖霊舎で、その右側に大きな柊の木がありました。説明書きによりますと、日本武尊が東征の際に休憩できる場所を探していたら、年数を重ねた柊の大木があり、その木陰で休んだところ、とても清々しい気持ちになったとのこと。そこで日本武尊は「なんと清々しい土地なのだろう」と感動したそうです。それでこの地域を清土(現在は清戸)と呼ぶようになったそうです。

境内社が並んでいます。左側が白山社、奥に同形の鳥居付きの神社が二つあって、左が金刀比羅神社で、大物主命をお祀りしています。右が八雲神社で、須佐之男命をお祀りしています。

こちらは3つあった神社の入口の一番左側の御嶽神社です。立派な入口と参道の割に簡易なお社なのですが、築山の上に建立されています。お祀りされているのは国常立神ですので、蔵王信仰の御嶽神社の系列ですね。

ここは日頃は自動車をお祓いする交通安全祈願をしている場所だと思います。正月明けだったので、古いお札や正月飾りをお炊き上げしていました。お参りの方も多くて、地域の人々の拠り所となっている様子が見られました。令和8年完成予定で社殿の新築工事をしています。新築工事ということなので完成するのが楽しみではありますが、今回紹介した社殿が無くなってしまうのは寂しいですね。

 

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