寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 1」

目次

スタート地点はどこ?

荒川にも海から0.0km地点を示すキロ杭が存在しますが、その0.0km地点よりも河口側に湾岸道路が通る橋が架かっています。そこは荒川ではなく海上と判定されているのでしょうが、0.0km地点よりも海側に橋が架かっていると、何だかスタートというより途中のように感じます。当ブログの「多摩川左岸百所巡礼」をご覧頂いた方には、この企画がいかに閃き任せであるかご存知だと思いますが、こんな風に気分次第でスタート地点や通過ルートを決めますので、有名な立ち寄りポイントをすっ飛ばしても、どうか怒らずにお付き合い下さい。

ここは江東区若洲のキャンプ場や海釣り公園がある場所です。それにしても東京ゲートブリッジは格好良いですよね。東京湾の東西の物流拠点を繋いでいます。私は軽貨物ドライバーの仕事もしていますが、ゲートブリッジは走ったことがありません。

ここです。この「危険 立ち入り禁止」の看板がある角を「荒川 百所巡礼」のスタート地点に認定します。荒川はほぼ埼玉県を流れているので、どこまで行くのかも、百ヶ所のお参りポイントに立ち寄るのかも未定ですが、とにかくこの角を私の出発点にしました。

若洲海獣のみち

ここは荒川右岸にあたる海沿いのテトラポットが並ぶ道なのですが、丘側にはゴルフ場があります。海獣の道という名が付いていて、地面に海獣の絵が書かれています。こちら( ↑ )はダイオウイカです。

対岸と言っても景色を見る限り海っぽいですが、見えているのは千葉県の舞浜にある夢の国です。

デジタル10倍ズームすると、何となく見えますね。スタート地点までは東京駅から京葉線を利用して来たのですが、旅行カバンをゴロゴロ引いた方々が大勢いらっしゃいました。

海獣の道に公衆トイレがあって、その横に石碑が建っていました。「お台場の石」と書かれています。これは黒船襲来のお話ですね。江戸時代、ペリーが開国を迫るためにやってきて、先進技術の黒船に驚いた徳川幕府が、品川に大砲を備えつけました。その砲台をお台場と言いますが、5台の砲台を設置し、結局一発も撃つことなく開国したそうです。そんな微妙な歴史の産物が、こんな場所に置かれていました。

歩いてきた道を振り返ると、眩しき過去の栄光みたいになっています。海獣の道も、ダイオウイカジュゴン、イッカク、ザトウクジラなどがありました。ここはサイクリングコースになっていて、キャンプ場に来た多くのファミリーが、レンタサイクルで走っていました。

丸い展望台に突き当たり、海獣の道も終わりました。この先も川ではなく砂町南運河という運河です。この先に行くために橋を渡らなければならず、少し迂回します。ヨットの練習場があって、その隣に若洲橋が架かっています。

若洲橋の上から先程の展望台を見ました。私が卒業した大学は海沿いの町にあり、ヨット部の活動が盛んでした。3人の特に親しい仲間がいましたが、彼らもヨット部でした。私はアメフト部だったので、友人たちの部活を見たことが無かったのですが、きっとこんな風に練習していたのかと思いました。

反対側を見ると、東雲、豊洲、晴海のタワマン群が見えます。停滞する日本経済は失われた10年、20年、30年と呼ばれ続けていますが、その間にこのあたりは一気に開発されましたね。私はタワマン群を見るとどうしても配達の苦労が思い浮かび、エリア担当の配達ドライバーに同情してしまいます。かつて私が回っていた五反田や大崎のタワマンとは規模が違います。

夢の島・新木場緑道

対岸に到着しました。ここはイカリデッキと言うそうです。巨大なイカリと、足を伸ばして座れる椅子が3つありました。ここで読書など優雅な時間の使い方ですね。前方の空をヘリコプターが飛んでいます。

新木場緑道という松並木の道を歩きますと、右手に荒川河口の海、左手に東京ヘリポートが見えます。先程のヘリもここにやってきました。しばらく歩いていると、東京ヘリポートの見学場( ↑ )というものがありました。ヘリコプターが好きな人って、一定割合存在しますよね。特に子どもたち。そんな方々が集う場所だと思いますが、かなり焦げ臭い空気が立ちこめています。ちなみに、毎年1月には地域の消防団が、公園の広場やグランドなどに集まって出初式を行いますが、東京消防庁版の出初式が行われるのが、この東京ヘリポートです。

きれいな松並木を歩きます。ずーっと先まで、果てが見えないです。河原というか海の岸には、様々な野鳥が見られます。スズメや鳩やカラスも見えますが、鵜のような黒い鳥、鷺のような足の長い鳥、カモメのような水に浮かぶ鳥の他に、猛禽類も飛んでいます。

この橋が、海から0km地点より河口にある橋です。湾岸道路とJR京葉線首都高速湾岸線が通っています。川崎から船橋あたりまで、東京湾岸はほぼ埋立地ですから、大きな物流倉庫が建ち並んでいて、10㌧を超えるトラックが行き交います。対岸に葛西臨海公園の観覧車が見えています。夢の国は千葉県ですが、葛西臨海公園は東京都江戸川区です。

ロマンスデッキという名の晒し場を過ぎると、行き止まりになりました。この突き当りの先にまた運河があります。運河の向こう岸の白い塔のあたりまで迂回することになります。

この運河には水門があって、ちょうど石だか砂だかを積んだ黒い船が運河に入る新砂水門を通過中でした。

今回の迂回路はすごく長くて、運河を対岸に渡るのに約7kmの道のり、1時間半ほど迂回に要します。突き当りを左に曲がり、運河沿いに進みます。夢の島緑道公園を通過して、夢の島公園に入ります。何やらグラウンドに人だかりと盛り上がりが。幼稚園か保育園のイベントが行われていました。

第五福龍丸事件

夢の島公園には第五福龍丸が展示されている資料館があります。無料で入館自由だったので、少し見学しました。館内撮影も許可されていました。第五福龍丸事件は、1954年にマーシャル諸島ビキニ環礁にて、遠洋マグロ漁船1422隻がアメリカの水爆実験によって被爆した事件の総称です。アメリカは友好国ですが、無差別殺人のために核兵器を使用した世界唯一の国です。広島・長崎の他にも核兵器の実験によって、多くの死傷者を出しています。忘れてはいけない事実ですね。

こちらは、第五福龍丸のエンジンです。水爆実験の直後、第五福龍丸の乗組員23名は死の灰を浴びました。すぐに海域から脱出を計りましたが、延縄の回収のため、死の灰を被り続けながら4-5時間作業をし、乗組員全員が被爆してしまいました。体調異変が発生したものの、アメリカ軍に隠蔽のために撃沈されることを恐れ、救難信号を出さなかったそうです。

 

荒川百所巡礼 第1番:久保山愛吉記念碑・マグロ塚

第五福龍丸事件で被爆した方々は、出血や脱毛、皮膚に炎症や水疱など異常をきたすなど被爆症状と闘い、数年かけて回復しました。そんな中、被爆から半年後に、無線長だった久保山愛吉さんが死亡します。日本政府は放射能症による死亡と発表し、アメリカの公文書では、被爆が直接の死因ではないとしています。現在は包括的核実験禁止条約にアメリカ・インド・パキスタンなど批准しない国があって、条約が効力を発揮していません。また国際協調を無視して核実験したり、他国に核兵器を輸送する国もあります。石碑に刻まれた久保山愛吉さんの言葉は「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」というものです。実は慰霊碑的なものはカウントしない方針でしたが、資料館を拝見して、ここに来たのはこのことを伝えるためなのかなと、記念すべき最初のお祈りポイントにしました。

第五福龍丸事件は日本でセンセーショナルに報じられました。そして被爆した船が持ち帰ったマグロも被爆しています。風評被害を含めて856隻のマグロ漁船のマグロ、457㌧(寿司250万人分)を、築地市場駐車場の地下に埋めて処分しました。第五福龍丸の元乗組員の方の呼びかけで石碑を築地に建てる予定でしたが、工事のためにこの資料館脇に建っているそうです。

夢の島大橋を渡ります。ここまで歩いてきた若洲夢の島は、高度経済期に東京のゴミを埋め立てて作った人工島てす。幼い頃、夢の島の歴史についてのドキュメンタリー番組を見たことがあり、ハエやネズミが夢の島から江東区内に逆襲し、ヘリコプターから殺虫剤を撒いたり、重油を撒いて焦土化したことに衝撃を受けました。各市区で焼却工場を建設することが決まっても、まだゴミを捨てに来る杉並区に対して、江東区がブロックしてゴミ運搬車を区内に入れなくしたことで、杉並区のゴミ回収が中断し、区内にゴミが溢れる事態になったとか、衝撃的な歴史があります。

荒川ZERO-POINT

日本通運や佐川急便など、日本を代表する運送会社の巨大建造物の横を通過しつつ、東京メトロ東西線の南砂駅前までやってきました。結構開けていてショッピングモールもあります。清砂大橋から河川敷の道に入って、河口を目指して歩きます。行き着いた場所は「新砂リバーステーション」です。電車の駅のような看板が建っていました。ここは緊急時の船着き場とのことで、立入禁止エリアとなっています。荒川河川敷はサイクリングをする方が多いので、出発点となるこの新砂リバーステーションで写真を取っている自転車勢が多く見られました。湾岸線の橋も見えています。約7kmの迂回がようやく終わり、ここが夢の島の対岸てす。

新砂リバーステーションから折り返して荒川右岸を遡上します。折り返し地点に向かう途中で見てしまったので、あまり感動もありませんが、こちらが荒川の「海から0km」のキロ杭てす。ようやくスタートとなる起点に到着しました。ここが起点となっているのは、対岸の荒川中洲がここで終わっているからだと思います。つまり、元々ここが荒川の河口で、ここから先は埋め立てによって伸びていった感じです。今回のレポートはここまでですが、スタートしたものの、ゴールを決めていません。埼玉県堺までにするか、百ヶ所達成で終了なのか、どこまで行くのかわかりませんが、どうぞお楽しみに。

 

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