寺社探訪

寺社探訪とコラム

真言宗豊山派 武蔵国分寺

真言宗豊山派 武蔵国分寺 目次

名称・寺格

医王山 最勝院 国分寺と称する、真言宗豊山派の寺院です。律令制武蔵国国分寺として建立されたので、武蔵国分寺と呼ばれています。寺格は特にありません。

創建

天平13年(741年)の聖武天皇の詔によって建立されました。

本尊

薬師如来坐像

みどころ

武蔵国分寺公園から現・武蔵国分寺、武蔵国分寺跡、武蔵国分尼寺跡まで含めると広大な敷地になります。散歩しながら奈良時代の建築に思いを馳せるのも一興です。

アクセス

東京都国分寺市西元町1-13-16

JR武蔵野線「西国分寺」徒歩14分

探訪レポート

武蔵国分寺は既に存在しておらず、跡地が史跡公園になっているのではないのか? と言う方もいらっしゃると思います。私もそう思っていたことがあります。しかし、国分寺市文化財に指定されている趣深い楼門を抜けると、武蔵国分寺の入口があります。では、史跡公園になっているのは武蔵国分寺ではないのか? というとあの史跡公園は確かに武蔵国分寺跡なのです。奈良時代天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために各国に建立した寺院が、国分寺国分尼寺というものです。簡単に言ってしまうと、史跡公園になっている武蔵国分寺跡が奈良時代に建立された寺院跡で、現在の武蔵国分寺は後世に再建された寺院です。

境内には万葉集に歌われた60種の木々を昭和25年より13年間かけて収集して創った万葉庭園があります。現在では163種の木々が植えられているそうで、国分寺市文化財に指定されています。この白い説明板はわかりやすいのですが、景観的にはない方が良いと思いました。奈良時代に建立された武蔵国分寺は元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し本堂が再建されたのは享保10年(1725年)ですから、長い間本堂が無かったことになります。武蔵国分寺の本尊は国の重要文化財に指定されている薬師如来坐像なのですが、昭和60年に改築された現在の本堂に安置されているのは阿弥陀如来像です。

本堂のある境内から西に少し歩くと、高台に上がる階段があります。こちらも武蔵国分寺の境内になります。仕方がないことなのでしょうが、夜間立入禁止の看板が景観を損なっています。

階段を上がったところに仁王門があります。宝暦年間(1751-1763年)に建立されたものです。安置されている仁王像は亨保3年(1718年)に造立されたものだそうです。そもそもは建武2年(1335年)に現在の武蔵国分寺跡地の金堂跡に建てられた薬師堂だった木材を、江戸時代の移転の際に再利用して仁王門を造ったのだそうです。分倍河原の戦いで焼失した後、長い間本堂が無かったと書きましたが、本堂よりも先に新田義貞建武2年(1335年)に薬師堂を寄贈したんですね。それで、薬師堂に安置されている薬師如来坐像武蔵国分寺の本尊となったという訳です。

こちらが薬師堂です。モヤの中に静かに佇んでいます。建武2年(1335年)に新田義貞武蔵国分寺金堂跡地に建立し、その後衰退しましたが、宝暦年間(1751-1763年)に現在地に再建されました。内陣に国の重要文化財である薬師如来坐像(平安末期~鎌倉初期)、両脇に日光菩薩月光菩薩という薬師三尊の形式でご安置されています。眷属として十二神将もご安置されています。毎年10月10日に御開帳されています。薬師堂の裏には「お遍路石仏」が並んでいて、四国八十八ヶ所めぐりができます。

鐘楼堂です。大晦日には除夜の鐘をつきに多くの人々が集まるそうです。

こちらの手水舎は使用されていないようでした。

こちらは児童公園の端に建つ忠魂碑です。地元の子どもたちが遊んでいて、正しき公園の姿に心が和みました。忠魂碑には柵が設けられてかなり立派な石碑群になっています。

さて、武蔵国分寺跡地にやってきました。なぜ桜が咲いているかというと、春に訪問したのですが、記事にする前に訪問したことを忘れてしまっていると最近気づいたからです。今は大きな緑地公園になっていて、史跡公園ですから跡地としての整備がされて、説明書きが設置されています。私は子どもの頃、このような史跡とか城跡など、全部再建したら観光地になって良いのにと思っていましたが、費用対効果が見込めないのでしょうね。

このように跡地として整備がされているので、どこにどんな大きさの建物があったのかというのがわかるようになっています。ここには経典の講義などを行う講堂があったそうです。

こちらが金堂跡の説明板です。奥にあるレンガの土台が金堂の敷地で、一段高いところは須弥壇を再現したのだそうです。飛鳥時代の寺院などを見ますと、金堂と塔は重要な伽藍となっているようです。日本の最初期の寺院は、百済からの渡来人の知識によって設計されました。奈良時代に建立された国分寺にもその影響が受け継がれていると思われます。

こちらには七重の塔が建っていました。七重塔など珍しいと思いますが、これは聖武天皇国分寺建立を指示した際に、国ごとに七重の塔を一基建てることを命じたものです。資料館近くの通りに模型があるそうです。もっともっと周辺を歩きまわれば、他にも史跡がたくさんあります。また武蔵国分寺跡地には資料館もありますので、詳しく研究したい歴史好きな方にオススメです。

 

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