寺社探訪

寺社探訪とコラム

小野神社

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小野神社 目次

名称・旧社格

小野神社と称します。旧社格は郷社です。武蔵国一之宮です。

創建

社伝では安寧天皇18年のご鎮座で、西暦にすると紀元前531年になります。教育委員会の看板には8世紀中頃と書かれています。

御祭神

天下春命(あめのしたはるのみこと) 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)

御神徳

各種祈願を受け付けています。御祭神の瀬織津姫命は災厄祓除のご神徳のある女神様として祀られています。

みどころ

広々と整備された境内です。ほぼ観光的な要素はありませんが、2500年の悠久の歴史を持つ古社です。

アクセス

東京都多摩市一ノ宮1-18-8

京王線聖蹟桜ヶ丘」徒歩6分

探訪レポート

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多摩市にある小野神社にやってきました。小野神社はこれまで訪れてきた神社と比較すると観光的要素の少ない神社ですが、ひとつ大きな特徴があって、それが「武蔵国一之宮」という大看板です。武蔵国とは律令制の時代の行政区画です。現在で言う「県」のようなものですね。武蔵国は概ね、現在の埼玉県+東京都+神奈川県の一部という範囲の行政区画で、県庁所在地にあたる武蔵国府は、現在の府中市にありました。JR武蔵野線府中本町駅」の隣に、武蔵国府跡地の史跡があります。埼玉+東京+神奈川というと、現在は日本の中枢とも言える大都市エリアですが、古代は西日本が中心でしたので、東国(あずま)地方という感覚だったと思います。当時の律令国は、土地の豪族が支配するエリアを大和朝廷が征服し、行政区画を設定して管理していました。実際には大和朝廷が土地の豪族を行政官として任命し、土地の豪族が実質的な支配をするという形です。そのうち朝廷や幕府などの中央から行政官が派遣されるようになり、地元の豪族と争いが起こりつつ、そんな世の中が戦国時代あたりまで続きます。

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律令国の中で最も社格が高いとされる神社が一之宮として選定され、二之宮、三之宮と続き、武蔵国では六之宮まで選定されたようです。当時、国を治める国司は領国内の各社を巡拝することが定められていました。武蔵国府は府中本町駅の横と書きましたが、当時の感覚ですと、武蔵国府は大國魂神社の境内に設置されていたのです。武蔵野線南武線も無い時代に、国司が一之宮から巡拝するのは相当に大変で、そのために大國魂神社内に一之宮から六之宮までを祀って、一度に巡拝できるようにしました。大國魂神社は武蔵総社とか六所宮と呼ばれている所以です。さて、そこでひとつ疑問に思うのは、武蔵国は埼玉+東京+神奈川という広いエリアで、現在もこのエリアには歴史ある名だたる神社がたくさんあります。そんな中で、本当に小野神社が一之宮なのでしょうか? ということです。

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これは「一之宮論争」と呼ばれていて、武蔵国に限らず全国的に発生しています。我こそ武蔵国の一之宮だと称しているのは、小野神社の他に大宮氷川神社があります。歴史文献によっては、武蔵国一之宮が小野神社と書かれていたり大宮氷川神社と書かれていたりするそうです。相手が大宮氷川神社では、小野神社に分が悪いですね。大宮氷川神社の旧社格官幣大社で、天皇の勅使が遣わされる勅祭社であり、全国の氷川神社の総本社です。それでも武蔵国一之宮論争で大宮氷川神社に軍配が上がらないのは、武蔵総社である大國魂神社が、小野神社を一之宮、大宮氷川神社を三之宮としているからです。一之宮の選定方法は必ずしも社格のみで判断されず、国司が巡拝をする順番だとか、様々な選定方法があったそうです。そうなると、小野神社は武蔵国府に一番近かったから一之宮になったのかもしれません。ちなみに武蔵国では「二之宮論争」も起こっていて、あきる野市二宮神社と埼玉県児玉郡の金鑚神社が二之宮を自称しています。

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さて、なんだか小野神社を貶めるような記事ですが、実は小野神社は当ブログがこれまで訪れてきた寺社の中でNo.1の長い歴史を持つ神社なのです。これまでは武蔵御嶽神社の紀元前91年の創建が最も古かったと思います。小野神社の創建は紀元前531年とのことで、大宮氷川神社の紀元前473年よりも古いです。欠史八代の話ですし、このあたりの歴史はほぼ信憑性のないものなのです。教育委員会が立てた説明板には、8世紀中頃の創建と書かれていました。それでも「社伝によれば安寧天皇18年(紀元前531年)2月にご鎮座」と公表できるだけの由緒があるのです。ちなみに、神社が現在のような門や諸社を配置した境内になったのは、仏教が伝来してから各地に建立された仏教寺院に対抗したのがきっかけです。それまでの神社はもっと簡素なもので、自然物を御神体として拝殿があるのみという感じだったそうです。また、現在の神道大和朝廷によって、彼らの王の先祖である天照皇大神を中心とした日本神話の神々を祀るように上書きされたものです。武蔵国に限らず、一之宮に指定されるような古く格式の高い神社は、神社の形ができあがるもっと前、日本神話の神が祀られる更に前から、精霊の宿る聖地であったような場所で、その痕跡が残っていることもあります。武蔵国一ノ宮の小野神社の境内の何処かに、日本神話よりはるか昔の縄文時代の痕跡があるかもしれない。そんなロマンを思いながら訪れました。

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しかし、そのようなロマンの痕跡は見えず、どこかに何かがあるとも思えません。というのも、ここは多摩川にほど近い場所にあるのです。多摩川は長い歴史の中で氾濫を繰り返し、グニャグニャと形を変えながら存在してきました。小野神社も多摩川の右岸にあったり左岸にあったり、流されて無くなったりという歴史を歩んできたものと思われます。そのため、ここまでこれだけ説明しておきながら、実は武蔵国一之宮の小野神社は多摩市一ノ宮の小野神社ではなく、対岸の府中市住吉町にある小野神社かもしれないという説もあります。いわゆる論社というやつです。

さて、人っ子一人いない境内に見えますが、入れ替わりながら2名ほどいらっしゃいました。境内にある建物は歴史を感じさせるものが少なく、昭和平成になって建ったものが多いのかなと思います。ここまで古き痕跡がないと、2500年前の人はここに何を見出して聖地としたのかが気になります。縄文時代の聖地は、山であったり岩であったり木であったり森であったりと、精霊の宿り場として人々が畏怖するようなモノや場所が選ばれています。この小野神社があった場所には、人々を畏怖させるどんなモノがあったのでしょうか。気になります。

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すると、しめ縄を巻いて紙垂をつけた石が現れました。この石を見たときに閃いたのですが、実際その通りで、こちらは「ハートの石」として縁結びの御利益があるとされています。小野神社では落ち葉を掃き集めるとき、ハート型に集めているものがSNSで話題になったそうです。畏怖するというか、ほのぼのしますね。

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鮮やかな朱色の拝殿です。主祭神天下春命日本書紀に登場する神で、武蔵国を開拓した国造(くにのみやつこ)一族の先祖とされています。一ノ宮の主祭神はこのように土地の開拓者の先祖神を開拓の神として祀ることが多いです。もうひと柱、主祭神として瀬織津姫命を祀っています。瀬織津姫は水神、龍神、川の神として、人々の穢れや災いを川の水に流して浄めると言われています。これも多摩川の川岸にある立地とぴったり合っています。瀬織津姫龍神とされているからでしょうか、神道系の新興宗教や超常現象やパワースポットを求める方々にも人気です。

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しかし、窓の桟までベタベタに朱色ですね。上記の二柱の他に、御祭神として六柱が数えられています。有名どころの神々で、おそらく長い歴史の中で合祀されていった神々なのかと思います。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)大己貴大神(おおなむちのおおかみ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。いろんな神社でお見かけする日本神話の主要な神々ですね。

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こちらは集合住宅タイプの末社です。柵があって入れませんが、なかなか面白い構造になっています。鹿島神宮三島大社厳島神社愛宕神社などが並んでいます。境内を歩いていて思ったのは、小野神社は新しい神社なのだなということです。境内の門や社殿や社務所や集会施設のようなものは、おそらくは昭和後期や平成に建てられたものが多いのではないでしょうか。これがどういうことなのか推察するに、多摩市そのものが新しい都市で成長過程にあり、多摩センターや聖蹟桜ヶ丘は日々進化する商業地となっています。住宅地と商業地が膨らんでいく中、人々が心の拠り所とする場所が必要となり、そこで、2500年の長い歴史と、地域の誇りになり得る「武蔵国一之宮」の看板を持つ小野神社に、その思いが寄せられたのかなと思いました。宮司が常駐するようになり、氏子組織が活発に活動し始め、境内が整備されていったのかなと感じました。

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まぁ、勝手な想像ですけど、そう感じるほどに、参拝客が見られないのに境内には荒れた感じがないんですよね。何かドカンと人々の注目を集める出来事があれば良いのかなとも思ってみましたが、結局は宮司さんや氏子さん方の日々の地道な活動の積み重ねに勝るものはないと思い直しました。2500年の歴史に、一過性の流行を作っても仕方ないですからね。

 

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