寺社探訪

寺社探訪とコラム

穴守稲荷神社

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穴守稲荷神社 目次

名称・社格

穴守稲荷神社と称します。旧社格は村社です。

創建

文化元年(1804年)に鈴木弥五右衛門と住人たちによって堤防上に祠を建て、稲荷大神が奉斎された。文政2年(1819年)にその祠に穴守稲荷大神の名を捧げた。

御祭神

豊受姫命(とようけひめのみこと)

ご神徳

商売繁盛・家内安全・心願成就・病気平癒・交通安全・厄除開運

産業界・芸能界からの崇拝を集める。奥之宮の御神砂が有名。

みどころ

千本鳥居と山のような奥之宮が特徴。奥之宮では御神砂を持ち帰られるようになっています。

アクセス

東京都大田区羽田5-2-7

京浜急行空港線「穴守稲荷」徒歩3分

京浜急行空港線東京モノレール天空橋」徒歩5分

探訪レポート

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羽田空港第3ターミナルの近く、弁天橋の袂にポツンと鳥居がひとつ建っています。鳥居だけがあって不思議な感じですが、旧穴守稲荷神社の大鳥居です。穴守稲荷神社の創建は文化元年(1804年)と、そこまで古くはありません。江戸時代、徳川11代家斉の時代で、日本史の教科で習う化政文化という町人文化の全盛期にあたり、明治維新まではまだ60年ほどあるといった頃です。最初はどこにできたのかと言うと、この旧穴守稲荷神社の大鳥居がある場所ではなくて、もっと空港側というか、現在の空港の中の鈴木新田というところにありました。

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江戸時代の羽田は、防波堤を築き海水と戦いながら、干潟を開墾し田畑にしていったという歴史があります。波浪の被害から田畑を守るために、堤防に祠を建てて、稲荷大神を勧請しました。稲荷神と言えば宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀ることが多いのですが、穴守稲荷は豊受姫命(とようけひめのみこと)が御祭神です。なんとなく名前が似ているのは、「うか」「うけ」というのが、食物・穀物を意味するからです。豊受姫命天照大御神の食事を司る神で、伊勢神宮の外宮の御祭神として知られています。とにかくその御加護で、田畑は波浪の被害を受けず、肥沃な地になったとのこと。

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「波浪が堤防に作る大穴による被害から、田畑を守っていただく稲荷大神」ということで穴守稲荷と名付けられたそうです。明治に入ると、地域の有力者などによって社殿が建築され、神社としての体裁が整っていきます。稲荷神社では、寄進された鳥居を並べて千本鳥居として並べますが、穴守稲荷神社に寄進された鳥居の数は4万6796基に及んだそうです。千本どころではありません。そんな感じで人気が大爆発した背景には、各地で講を作って参拝や寄進をしたことが挙げられます。穴守稲荷を支える講は東京のみならず関東を超え全国に及んでいたそうです。すると今度は温泉が掘り当てられ、穴守稲荷神社の周囲は一大リゾート地と化し、明治後期から大正期には京浜電気鉄道が支線を伸ばし、東京一の行楽地となっていたそうです。

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手水舎( ↑ )です。さて、そんなふうに大繁栄した穴守稲荷神社ですが、第二次世界大戦による空襲で、ほぼ壊滅的な被害を受けてしまいます。もっと大変だったのは戦後で、焼失した社殿を再建する暇もなく、GHQ羽田空港を軍用機地として拡張整備するために、付近に住む3000名の氏子と共に48時間以内に退去するよう命令を出しました。結局48時間でできたのは、本殿の地下に埋めて戦火から守り抜いた御神体を、羽田神社に遷座させることだけでした。

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楽殿( ↑ )です。さてさて、戦後しばらく経つと、穴守稲荷神社を再建しようとする動きがあちこちで始まります。現在の地に土地を取得し、昭和23年、ついに仮拝殿と本殿が落成し、遷座式が行われた。ただ、羽田空港内に残ったままの大鳥居や石造物などを移そうとしたが、それは認められなかったそうです。それからはどんどん社殿が整えられ、現在まで発展していきます。しかし、この「羽田空港内にあった穴守稲荷神社を無理やり移転させたこと」は、不思議な爪痕を残すことになります。その1つが、冒頭のぽつんと建っている大鳥居ですね。

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水琴窟( ↑ )があります。説明書きがありますが、柄杓で水をすくって掛けます。カランコロンと美しい音が響きます。さてさてさて、ぽつんと建っている大鳥居ですが、そもそも鳥居は4万6796基あったのですが、GHQが全て壊してしまいました。ちなみに、最後に残った門前にあった大きな鳥居を倒そうとロープを掛けるとロープが切れ、作業員が怪我をした。再開したら工事責任者が病死した。と、GHQが何度撤去しようとしてもできなかったという伝説があり、ひとつだけ空港駐車場内に鳥居が残されました。これが現在の場所に移動するのは平成11年(1999年)のことでした。今は国土交通省が管理していて、穴守稲荷とは無関係ということになっています。

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境内の石庭にも狐と鳥居が建っています。流石に稲荷神社です。長々と神社と鳥居の経緯を書きましたが、これを知って訪問するのと、知らずに訪問するのでは大きな差がある気がします。

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本殿は権現造りになっています。左側が社務所で、拝殿前は広々としています。

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本殿の右側に千本鳥居が見えます。この鳥居をくぐって進むのですが、途中に必勝稲荷、開運稲荷、出世稲荷、繁栄稲荷があります。全部お参りしたら人生で成功を収めそうです。

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千本鳥居の突き当りが奥之宮になっています。この奥の宮は稲荷山の麓にあります。稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社は、山全体が神社の一部みたいになっていますが、それを無理やり穴守稲荷神社に作ってみましたという感じです。

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これ( ↑ )が稲荷山です。かなり奇抜で、外の道路から見ると、異彩を放ちまくっていますが、総本社の伏見稲荷大社の稲荷山も正気を保つのが難しい感じの異世界となっていますので、これで良いのかと思います。こちらは平成30年(2018年)に工事をしたとあります。できたてですね。

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奥之宮の中に、御神砂が置かれていて、オタマと封筒が置いていますので、持ち帰ることができます。御神砂とは何ぞやと申しますと、これも言い伝えがあります。とある翁が漁に出て大量となるも、魚籠を見ると砂しか入っていない。そんな日が続き、翁が村人に話すと、それは狐のせいだと稲荷神社を囲んで狐を捕まえた。しかし、翁は狐を許し解き放ちました。すると翌日から大漁となり、魚籠に多くの魚と少量の砂が入っていました。翁が砂を家の庭に撒くと、人々が訪れ多くの富を得た。という言い伝えです。この御神砂は家に持ち帰って、言い伝えのように撒くのですが、目的によって撒き方に決まりがあります。公式サイトにも載っていますので、目的に合わせて撒いてください。

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稲荷山の上り途中だか下りと中だか忘れましたが、稲荷神社が4つあります。左から航空稲荷、末広稲荷、幸稲荷、築山稲荷です。

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稲荷山の上から社殿を見ると、権現造の様式がよくわかります。

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千本鳥居が並んでいますが、かつてはこれが4万本以上あったというのはすごいです。伏見稲荷大社でも、そんなに無いと思われます。

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ちょっと恥ずかしい気持を隠しながら、稲荷山の頂上に付きました。頂上には穴守稲荷の上社があります。

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上社の奥に御嶽神社があります。これだけ稲荷神社ばかりで、なぜここへ来て御嶽神社なのだと疑問に思いますが、細かいことは気にしないで、御嶽神社にもお参りました。御岳稲荷神社みたいになってますけど。

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稲荷山を降りると、鳥居と狐fが階段下に無造作に・・・。狐塚なのかと思ってみたら、狐塚は別にありましたが、どうなんでしょうか。階段の下なので、場所的に別のところに作って欲しい気がします。

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こちらが狐塚のようですね。豊川稲荷にも狐塚がありましたが、なんか穴守稲荷の狐塚は、ちょっと塚というには物足りない印象を受けます。まだまだできたばかりで、これからなのかも知れませんが。

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4つ並んでいた稲荷神社の1階部分にある、福徳稲荷神社です。穴守稲荷神社は戦争の空襲を受け、さらにGHQによって更地にされてしまったのですが、羽田神社に転座して守った御神体と、1つだけ残された大鳥居の他に、掘り出されたものがあります。それがこの福徳神社にに鎮座されている狐の神使像です。できたばかりの稲荷山ですが、このお狐様は修復の跡がわかるくらい年季があります。

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説明が多くて、レポートが少なめの記事ですが、羽田の歴史に翻弄されたのは穴守稲荷神社だけではなく、この地に暮らす人々も神社と共に居住地を追われ、失ったところから復活してきました。だから羽田の人々と穴守稲荷神社の絆はとても深いのだと感じました。それにしても、ここの稲荷山は異様ですが・・・。

 

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