寺社探訪

寺社探訪とコラム

特別企画「多摩川左岸 百所巡礼2」

f:id:salicat:20211109034934j:plain

大師橋を横切っています。ここ大師橋緑地から「たま リバー 50キロ」という遊歩道が始まります。徒歩、ジョギングだけでなく、サイクリングも可能な遊歩道で、毎日毎週毎月、多くの東京都民の皆さんが、歩いたり走ったりしている道です。多摩川沿いを歩く私も、しばらくの間(約50km)はこの「たま リバー 50キロ」を歩くことになります。

f:id:salicat:20211109035109j:plain

ちょうど行く手に富士山が見えますね。このあたりは本羽田です。羽田と呼ばれる地域って実はかなり広いのです。さて、テーマパークやアウトレット、映画館や観光名所など、人々がお出かけで集まる場所というのは様々ですが、おそらくこの河川敷という場所も、かなりの人気スポットとなっているはず。週末には数万人、数十万人が訪れているのではないでしょうか。他のスポットと違うのは、訪れている人に「人気スポットを訪れている」という自覚がないことです。この人気スポットで一番多い過ごし方が散歩とジョギングです。散歩は人だけでなく、犬の散歩勢もかなりのシェアを占めています。自転車勢も少なくはありません。ジョギングでは、素人健康体力づくり勢が多く、ガチトレ勢は少なめです。それだけに、ジョギングのガチトレ勢はものすごく目立ちます。マネージャーのような人が自転車で伴走し、2人~8人くらいの集団が、ものすごいスピードで駆け抜けていきます。同じ身体機能を持つ動物とは思えません。自転車勢はガチ勢の方が多くて、ド派手なレプリカユニフォームを来た人が高価そうな自転車で走り抜けていきます。

f:id:salicat:20211109035202j:plain

川沿いに歩く・走るといった移動勢とは別に、1つの場所に留まっている競技勢も河川敷に集まる人の大きな勢力となっています。最も多いのはやはり野球です。羽田にはありませんが、お隣の六郷あたりから河川敷にはものすごい数の野球場が現れます。オリンピックやWBCで日本が優勝するのは、河川敷にある球場の数と、そこで野球をする人々の数を見れば、当然のような気もします。他にも、サッカー、テニス、ゴルフ、ホッケーなど様々なスポーツを楽しむ方々がいます。

f:id:salicat:20211109035321j:plain

六郷水門は、公益社団法人土木学会選奨土木遺産というものに選定されています。見た目にもラピュタの遺跡にありそうな門ですが、土木遺産ということで、歴史的遺構なのです。そもそも慶長2年(1597年)から15年かけて開削された水路で、全長30kmに渡って流れ、農業用水を供給しながら生活排水を多摩川へ排出していました。昭和に入って六郷地域の人口が増え、排水量が増えたために氾濫や逆流を防ぐ目的で大きな水門が設置されました。それから改修や機能の拡張を重ねて、下水の発達した現在はほぼ使用されることはないのですが、水門としての機能は未だに保っています。

f:id:salicat:20211109035346j:plain

海から5kmの標識です。たしか4kmの地点からこのキロ杭を見つけましたが、1kmからちゃんとあるそうです。この六郷土手は本当に広い土手で、野球場が何個もあります。多摩川を渡るとすぐ川崎の市街地になります。京急の「六郷土手駅」の次は「川崎駅」で、大田区の繁華街である蒲田よりも近いです。私は六郷土手の地形を地図で見るたびに、東京都大田区にある六郷が、神奈川県の大都市である川崎市に引っ張られているように見えるのです。人口が急激に増加し重力が増した川崎市の引力が大田区を引っ張った結果、六郷が飛び出しちゃったという感じ。そんな妄想を口にすると心配されてしまいますので、誰にも言うことはないのですが。

多摩川左岸巡礼11番:北野神社

f:id:salicat:20211109035428j:plain

「止め天神」やめてんじん? とめてんじん? 正解はとめてんじん。妙な名前ですが、きちんとした由緒があります。江戸時代に徳川8代吉宗の乗っていた馬が暴走した時、この神社の御加護で落馬を防いだということで、「落馬止め天神」と呼ばれたそうです。この話にあやかって、将軍家指南役の柳生家の留守居役、馬別当、馬屋、忍びの者の寮や屋敷がこの近くに建てられ、江戸末期まで地域住民と柳生家によって、大切にされてきた神社なのです。どういう状況だったのかはわかりませんが、将軍の馬が暴走して寸でのところで落馬を凌いだという状況で、それがこの神社の加護のおかげとなるのって不思議です。神社から神が飛び出して馬を止めるのを周囲の人が目撃したとか、そんなことでもなければ、単に吉宗の運が良かったとか、乗馬技術があったとかいう話になりそうです。天神様は乗馬の師と言われていますので、そんなことから連想されたのでしょうか。

f:id:salicat:20211109035505j:plain

という訳で、そもそもこの神社は北野神社で、いわゆる天神様なのです(牛はいませんでしたが)。御祭神は菅原道真です。菅原道真は学問の神として有名ですから、この落馬止め伝説と合わさって、最強のご神徳となっています。なんと言っても「落ちない」のですから、今でも受験生や政治家などの信仰を集めているそうです。この神社には、等身大の木馬にまたがって祈願するという、江戸時代から続く風習があるそうです。戦争による空襲で諸殿を消失して以来、昭和58年に再建された際に、その木馬も堂内に安置され、縁日の日にまたがって祈願するという伝統儀礼が神事として復活したそうです。現在は六郷の総鎮守、六郷神社が管理しています。

f:id:salicat:20211109035530j:plain

こちらは境内にある千年石と万年石。江戸時代、お祭りの日に力自慢のために担いだ石です。時代を経て、地域の方々が健やかに長寿を全うできるようにと、千年石を「鶴さん」万年石を「亀さん」と名付けて安置したそうです。ボケずに生涯を長寿で全うしたい人は優しく撫でてください、と書かれていました。

f:id:salicat:20211109035613j:plain

境内の元社務所的な場所に立っていた、六郷の渡し跡です。ここは川崎の隣なので、交通の要所として古くから人々が行き交ったと思われます。説明文によると、中世末から何度も橋をかけたが、洪水で流されたりと、結局渡し船を利用していたそうです。明治6年に六郷橋の前身である左内橋がかかったことで、六郷の渡しは役目を終えたそうです。

多摩川左岸巡礼12番:稲荷神社

f:id:salicat:20211109035731j:plain

六郷橋の入口のくるっと回っている道路沿いに建っている稲荷神社です。同じ敷地にマンションが建っていたので、おそらく元々は地主さんの個人宅に祀られていた稲荷社を、マンション建設後も大切にお祀りしているのだと思います。

f:id:salicat:20211109035811j:plain

海から7km地点に来ました。対岸は川崎の街。六郷土手の広い野球場が見えています。土日になると、このたくさんある球場が野球をする人でいっぱいになります。

多摩川左岸巡礼13番:西六郷諏訪神社

f:id:salicat:20211109035843j:plain

大田区で配達の仕事をしていた頃は、六郷は道が狭いしわかりにくくて苦手でした。記憶の片隅にあったこの公園のような神社が見えて、懐かしく感じました。こちらは西六郷諏訪神社です。鳥居から社の間に鉄棒などの遊具があります。諏訪神社は全国に25000社あり、長野県の諏訪湖周辺にある諏訪大社が本社となっています。長野県ですから、狩猟や漁業など狩りを守護する信仰となっています。

多摩川左岸巡礼14番:真言宗智山派 安養寺

f:id:salicat:20211109035935j:plain

西六郷諏訪神社のすぐ近くに安養寺があります。またまた真言宗智山派の寺院です。本堂に向かって右側に薬師堂がありますが、そもそも薬師堂があって、その別当寺として安養寺が創建されたそうです。薬師堂は仏教界の英雄、行基の創建と言われていますので奈良時代あたり。安養寺は1568年に没した永伝法印が創建したとのことなので、戦国時代あたりか。平安時代の作の阿弥陀如来、釈迦如来薬師如来の3坐像あるそうで、東京都の重要文化財となっています。よく、明暦の大火と関東大震災東京大空襲は、日本の寺社を破壊した大きな事件なんですけど、この寺は地元の有力な法華宗の信者によって破壊されるという稀な歴史があります。

f:id:salicat:20211109040032j:plain

川崎に引かれて飛び出した六郷も終わりに差し掛かり、多摩川は大きく左に曲がります。

f:id:salicat:20211109040056j:plain

多摩川大橋の下を通過します。六郷を過ぎ、矢口、下丸子といった地域に差し掛かります。

多摩川左岸巡礼15番:東八幡神社

f:id:salicat:20211109040211j:plain

多摩川大橋を通過して程なく、川沿いの通りに面して東八幡神社があります。小さな神社ですが、ちゃんと手入れられています。訪問した時も、業者さんが周囲を整えていました。この神社の創建は建長2年(1250年)で、旧社格は村社です。同じ村内に八幡神社が2つあって、西八幡、東八幡と呼ばれていたそうです。明治になってドイツのごとく西と東が融合し、西八幡神社があった場所に、東八幡神社と称するひとつの神社になりました。

f:id:salicat:20211109040255j:plain

境内は児童広場のようなものを兼ねていて、矢口の渡し跡と石碑が建っています。矢口の渡しは、多摩川大橋ができる昭和24年までは現役でした。六郷の渡しが無くなった後も、80年近く利用されていたんですね。八幡信仰ですので、東八幡神社のご祭神は誉田別命応神天皇)です。今は大田区池上の徳持神社が兼務社として運営しています。

多摩川左岸巡礼16番:真言宗智山派 円応寺

f:id:salicat:20211109040339j:plain

それにしても、真言宗智山派だらけですね。入口が閉まっていたので、外から覗いてみました。円応寺は、先ほど訪れた東八幡神社別当寺だったそうです。創建は不詳ですが公式サイトに600年の歴史があると書かれています。境内に十三仏の石像が安置されているそうです。十三仏というのは、私は葬祭の仕事をしているので馴染みがありますが、人が亡くなると、初七日~三十三回忌まで13回の追善供養をします。それぞれ司る仏が違っていて、それを十三仏と呼びます。

f:id:salicat:20211109040536j:plain

さて、海から10kmになりました。まだ広い河川敷に野球場という景色が広がっています。ここはまだ大田区です。「たまリバー50キロ」の道路も、景色が大きく開けていて気持ちがいいというか、日差しが眩しいです。

f:id:salicat:20211109040602j:plain

このあたりは下丸子です。下丸子は配達ドライバー的には好きな町でした。ただ、町自体はわかりやすく碁盤の目になっていて良いのですが、巨大なマンション群があるので大変な部分もあります。同じ敷地内に、サウス・ノース・イースト・ウエストとか、パーク・リバーとか何棟も建物があって、どこから入って、どれがなんで、どこ行きゃいいのか、慣れていないと大変なエリアです。とはいえ、対岸の川崎市側、遥か遠くに見えているタワマン群よりはマシですね。

f:id:salicat:20211109040710j:plain

こちらはガス橋です。ガスを通すために造られた橋だからガス橋です。最初はガスだけ、次がガスと人、最後に自動車も遠れるように何段階か進化してきています。いずれの場合も道の横幅が狭いという難点があります。

f:id:salicat:20211109040752j:plain

多摩川左岸12kmまで来ました。対岸は「第3新東京市」で、使徒が攻めてきたら全部地中に埋まります(嘘)。まだ広い河川敷と野球場が続いています。この河川敷の遊歩道は、歩く場所が決まっていて、川の流れに合わせて説明すると、左端が下り歩行者、中央左寄りが上り自転車、中央右寄りが下り自転車、右端が登り歩行者となっています。ですので、私は右端を歩きながら、前からやってくる自転車勢と、後ろからやって来るジョギング勢に注意です。

f:id:salicat:20211109040843j:plain

丸子の渡し跡です。中原街道の渡しですね。こちらも昭和まで現役で利用されていました。丸子橋の完成で役目を終えました。

f:id:salicat:20211109040929j:plain

丸子橋です。きれいなアーチが掛かった橋です。ここは多摩川が川崎から東京寄りにグニャッと歪んでいるので、川崎方面の河川敷が広くて、東京方面の河川敷は狭く、野球場も姿を消しています。

多摩川左岸巡礼17番:多摩川浅間神社

f:id:salicat:20211109041044j:plain

私は、多摩川沿いの道(多摩堤通り)はよく通過していたのですが、この浅間神社については、すごい誤解をしていました。川沿いの多摩堤通りから中原街道へ曲がることがなく、こんな風になっているとは思っていなかったのです。多摩堤通りからこの多摩川浅間神社を見ると、ある意味お洒落、ある意味怪しげ、ある意味ボロいテナントビルの屋上にのぼり旗があって、ビルの屋上に神社があるように見えるのです。屋上にある神社ってすごく怪しいと、ずっと誤解していたのです。私はビルの階段を登って屋上に行ってお参りするのかと思っていました。まさか角を曲がったところにちゃんとした入口があるとは……

上( ↑ )は大祓詞が刻まれた車で、これを一周まわすと、祓詞(はらいことば)を奏上したことになり、お祓いを受けたことになるという代物です。入口にこれを設置している、そんなちゃんとした神社だったとは……

f:id:salicat:20211109041006j:plain

浅間神社といえば富士山頂に本社がある神社で、よくあるのが、摂社や末社として境内に浅間神社を置く際に、富士塚という富士山に見立てた擬似的な山(塚)を築いて、その頂上にお社を置くパターンです。真言宗豊山派大本山護国寺にもあります。ここ多摩川浅間神社は摂社でも末社でもなく、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をお祀りする浅間神社です。このように急階段の坂の上にあることは、正しい浅間神社の在り方に思えます。大変失礼いたしました。

f:id:salicat:20211109041150j:plain

こちらが白糸の滝です。この坂の途中にある造作に使用されているのは溶岩で、富士塚のように本社である富士山に寄せているそうです。

f:id:salicat:20211109041245j:plain

こちらは小御岳神社です。石碑には「小御岳石尊 大天狗 小天狗」と書かれています。

f:id:salicat:20211109041321j:plain

階段を上がりきると、境内が開けます。訪れたときには、雅楽の音が鳴り響いていました。神社に来た感が一気に高まります。まさかこんな風になっているとは思いも知らず、てっきりビルの屋上だと思っていました。

f:id:salicat:20211109041351j:plain

こちらがそのビルの屋上部分に当たる見晴台。鎌倉時代の話、源頼朝が出陣の際、心配した妻の北条政子が後を追ってこの地までやって来たが、わらじの傷が痛みだし、ここで治療することになったそうです。この丘から富士山がはっきりとよく見えたそうで、この丘から北条政子は、富士吉田にある自身の守り本尊である富士浅間神社に祈りを捧げました。そして身につけていた観音像をこの地に建て、その像は富士浅間大菩薩と呼ばれ、人々に親しまれました。というのが、多摩川浅間神社の始まりの伝承です。

f:id:salicat:20211109041418j:plain

こちらは子産石(子宝石とも)です。木花咲耶姫命は、天照大神の孫で「天孫降臨」の神話で有名な邇邇芸命(ににぎのみこと)の后となり、子を産みます。ということで、子宝、安産、子育ての神としても有名です。何だか、境内がカップルだらけだったのは、偶然ではないのかもです。

f:id:salicat:20211109041448j:plain

とても美しい拝殿です。これは浅間造という様式で、都内ではここでしか見られません。

f:id:salicat:20211109041517j:plain

末社が4つ並んでいます。富士信仰山岳信仰ですが、この末社は、三峯神社小御岳神社・阿夫利神社という埼玉東京神奈川の山岳信仰の代表格が並んでいます。そしてもうひとつは、当然ながら稲荷神社です。

f:id:salicat:20211109041550j:plain

多摩川浅間神社を後にして、先へ進みます。こちらは「調布取水堰」と言います。堰とは、多摩川の水を上水や用水として引き入れるために、川をせき止めて水位を調整する構造物です。多摩川には堰がいくつかあり、上水道や農業用水に利用されてきました。この調布取水堰は多摩川にある堰の中では最も河口側にあります。

f:id:salicat:20211109041705j:plain

土手沿いの道(多摩川堤通り)に歩道が無くなったので、土手下を歩きます。ここは未舗装で、かなり本気の少年野球チームがよく練習をしています。と同時に選手の数と同数の保護者たちも集まっています。私も、子どもの頃にかなり本気の少年野球チームに所属していて、当然ですが練習中は真夏でもほとんど水が飲めなかったです。今の子の練習を見ていても、今は今で別の厳しさやキツさがあるなぁと思います。ここは、大田区田園調布あたり。いよいよ大田区を過ぎ去ろうとしています。