寺社探訪

寺社探訪とコラム

町田天満宮

町田天満宮 目次

名称・旧社格

町田天満宮と称します。旧社格は村社です。

創建

天正年間(1580年前後)

御祭神

菅原道真

みどころ

広々とした境内に、社殿と境内社があります。地域の神社として、様々な祈願やお祓いを担っています。天満宮ですので、春先には梅の木が咲いて綺麗です。

アクセス

東京都町田市原町田1-21-5

JR横浜線「町田」徒歩10分

 

探訪レポート

町田には久々に訪れましたが、市街地の渋滞は数十年前から変わらないですね。市街地側からJRの線路を越す歩道橋を渡ると、すぐに町田天満宮があります。歩道橋から直接参道に入れるようになっています。参道に入ると、左手に手水舎があります。

天満宮ですから、伏せた牛がいらっしゃいます。天満宮で牛が神の使いとして奉納されていることには諸説あります。道真公が丑年生まれだったとか、神号が牛に因んだものだったとか、道真公が牛を大切にしたとか、様々な説があります。

もう少し参道を進むと、また伏せた牛が現れました。牛を撫でると撫でた部分が良くなるという言い伝えは、天満宮の牛だけでなく、そこかしこにありますが、こちらの牛も撫でられすぎた場所はピカピカになっています。

かつて原町田という土地は本町田村の一部でした。本町田の鎮守として本町田菅原神社があり、菅原道真公が祀られていました。天正10年(1582年)原町田が本町田村から分離独立することになると、原町田村に村の鎮守となるべく神社がなくなるので、この独立に先駆けて、元々古い祠があったこの地に、村人に馴染みのある菅原道真公をお祀りしたそうです。相殿に大山咋神と宇迦能御魂神を祀っています。大山咋神日吉神社山王信仰です。宇迦能御魂神は、伏見稲荷ではなく、長野県の飯縄神社だそうです。長野県の飯縄山と言えば飯縄権現ですが、飯縄権現荼枳尼天が似た感じなので、飯縄山から稲荷神となったのか、詳細は分かりません。説明書きには飯縄社の宇迦能御魂神と書かれていました。山王信仰飯縄山も、神仏習合の匂いがしますね。

社殿の隣に、立派な境内社が立っています。こちらは旧社殿で、明治27年(1894年)に再建されたものです。金比羅宮の大物主神、八雲社の素戔嗚尊、西ノ宮の恵比寿神、他に聖徳太子をお祀りしています。恵比寿神は、原町田七福神巡りのひとつとなっています。西ノ宮神社は兵庫県にある恵比寿神を祀る神社の総本社です。聖徳太子は仏教を推進した人ですが、神社でも多く祀られています。

しっかりした造りで、彫刻もがっつり施されています。複数の神様を祀る境内社だからか、扁額がありません。ちょうど訪問時に家族連れの方々が初宮参りをしていました。初宮参りの方がいらっしゃると、社殿前はしばらく撮影できないので、境内社をじっくり拝見しました。社殿と境内社の間に神輿庫がありました。

こちらは神楽殿です。町田天満宮の大きな祭礼は、9月の例大祭と5月の飯縄山王祭とのことです。天神太鼓が有名なようです。

稲荷社がありました。お狐様がいらっしゃるので稲荷社なのですが、右隣に石の祠がいくつかあります。何の神様なんでしょうか。

こちらは千本鳥居(10本ほどですが)が並ぶ出世稲荷です。

梅の花が満開というには少し早いようです。菅原道真は最初はその怨霊を朝廷や貴族が恐れ、雷がそのまま道真の怒りのように捉えられ、雷神として祀って霊を慰めようとしました。それから牛との繋がりや、雷のような天候を司る神として、農耕の神様にもなりました。さらに現代でも多くの方々が頼みにしている、学問の神様というご神徳もあります。いつも思うのは、ご本人(道真公)は不遇とされた生涯を送って、日本各地で千年以上も祀られるほど怒っていたのでしょうか。この展開にはご本人も驚いているのではないでしょうか。

 

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