寺社探訪

寺社探訪とコラム

筑土八幡神社

筑土八幡神社 目次

名称・旧社格

筑土八幡神社と称します。江戸時代までは筑土八幡宮と呼ばれていました。旧社格はありますん。

創建

嵯峨天皇の御代(809〜823年)

御祭神

応神天皇 神功皇后 仲哀天皇

みどころ

1200年の歴史があります。小高い丘の上にあるので、とても静かな場所になっています。

アクセス

東京都新宿区筑土八幡町2-1

JR総武線飯田橋」徒歩7分

東京メトロ大江戸線牛込神楽坂」徒歩7分

探訪レポート

交通量の多い通りに面しています。ここが目的ではない人が、ふらっと立ち寄るような場所ではありません。入口はそれなりの覚悟が必要な階段になっています。当ブログの企画「将門の魔方陣巡礼」で訪問しましたが、特にレポートすることなく写真だけ掲載していました。階段を上がっていると途中に鳥居があり、児童公園も現れます。この石鳥居は新宿区最古の鳥居で、享保11年(1726年)に常陸国下館藩主黒田直邦によって奉納されています。遊んでいる子供は皆無なのですが、神社+児童公園はローカルな感じで安心感を覚えます。

社殿に上がると手水舎がありました。筑土八幡神社は約1200年前に、武蔵国豊島郡牛込の里に住んでいた老翁の夢に現れた八幡神の神託によって、松の樹を祀ったことが始まりです。その後、慈覚大師円仁が伝教大師最澄作の阿弥陀如来を安置したそうです。さらに戦国時代、当地を支配していた上杉氏によって社殿が建設されたそうです。この付近は小高い丘になっていて、戦国時代には津久戸城という城になっていたようです。

イチョウの御神木の前にお百度石と庚申塔があります。この庚申塔は非常に珍しい形をしています。庚申塔として祀られるのは、仏教であれば青面金剛菩薩で、神道であれば猿田彦神が多いですね。いずれの場合も下の方に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が一緒に彫られていることがありますが、こちらの庚申塔は二猿です。雄猿と雌猿で、桃の木を手にしています。猿の上の方に太陽と月が彫られています。非常に珍しい庚申塔として新宿区の文化財に指定されています。

境内社宮比神社です。お祀りされているのは、宮比神とのことです。宮比神伊勢神宮の内宮の守護神で、内宮の御垣内にあります。伊勢神宮には内宮の所轄社が30社あるのですが、その第3位に位置付けられています。内宮の御垣内に一般人は入れないのですが、石畳の上に社殿を持たない神社として祀られています。宮比神大宮売命、または天鈿女命の別名と言われています。

こちらは神輿庫です。隣にお酒が奉納されています。説明書きによると、灘の酒蔵である清酒「白鷹」は、日本で唯一伊勢神宮の御料酒として選ばれています。「白鹿」という有名な蔵元がありますが、白鹿の蔵元本家から分家独立し、超一流の酒を造ることを目指しました。超一流主義によって品質の良い清酒が造られましたが、高価過ぎて市場に流通しませんでした。そんな「白鷹」の流通を支えてきたのが神楽坂の料亭と牛込の荷揚場・神楽河岸に蔵を持つ酒問屋でした。彼らのおかげで安定した流通を得た「白鷹」は、超一流主義の酒造りを続け、伊勢神宮の御料酒に認定されたということです。神楽坂あっての灘の「白鷹」なのですね。

楽殿です。このような神楽殿をよく見かけますが、ずっと閉め切っていてカビが生えたりダニが湧いたりしないんですかね。筑土八幡神社の氏子地域は神楽坂周辺にあるので、例大祭では宮神輿の渡御などかなりの賑わいになっているようです。

実は昭和になるまで、筑土八幡神社の隣にもう一つ神社がありました。江戸時代の初期に、江戸城田安門付近にあった田安明神が、筑土八幡神社の隣に移転してきて、津久戸明神になりました。この移転の際に神輿が重くて坂を上がらなかったが、神楽を演奏したら簡単に上がったとのことで、神楽坂と呼ばれるようになったという説があります。神楽坂の由来は他にも諸説あります。戦災で社殿を焼失し、津久戸明神は九段北に移転して築土神社となりました。築土神社は、当ブログの「将門の魔方陣巡礼」で訪れています。ちなみに筑土というのは、筑土八幡神社創建の際に、宇佐八幡宮の土を盛ってできた山だからだそうです。周囲の建物は時代の流れで変遷していても、交差点の角の長い階段は、いつまでも象徴的な風景として残り続けてほしいです。

 

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