寺社探訪

寺社探訪とコラム

「多摩川左岸 百所巡礼 FINAL」 山+神「笠取山+水神社(水干)」

昨年行った特別企画「多摩川左岸百所巡礼 Returns」では、海から97.5kmの麦山浮橋で終了しました。羽田から奥多摩湖までは徒歩、奥多摩湖畔はバスで移動しました。ここから先は車です。今回は「山+神」企画の登山もあって時間と体力に余裕が無いので、お参りポイントは省略です。

朝の奥多摩湖はとても神秘的で、湖面がモヤッて神々しいです。これは冬の到来を知らせる現象で、温かい日の翌朝に気温がぐっと下がると、こんな風に湖面にモヤが発生するのだそうです。映っているのは深山橋で、そろそろ山梨県になります。奥多摩湖は奥に広いのです。

多摩川左岸巡礼140番:子之神社

お参りポイントは全部省略する予定でしたが、こちらは子之神社で帰りに撮影した写真です。反対車線の広めの路側に車を突っ込んで、下から写真だけ撮りました。無理やり駐車したので、車を離れて上の社殿まで行けず、外観写真だけです。記録によるとこの子之神社は元禄年間の前期(1688~1696年)の創建だそうです。神仏習合の「子之権現」として存在していましたが、明治維新で子之神社になったそうです。

多摩川左岸巡礼141番:おいらん堂

ここは近くに車を止めて、ダッシュでお参りしてきました。説明板によりますと、武田信玄がこの地を治めていた時代に、ここから9km上流に黒川金山がありました。当時は金山奉行が置かれ、黒川千件と呼ばれる大集落となっていて、坑夫の慰安のために遊女を多く置いていたそうです。ところが織田信長との長篠の合戦に敗れた際、武田家復興の日のためにこの金山を閉山したのですが、そんな秘密が遊女たちから漏れることを防ぐために、武田勝頼は渓谷に舞台を設置して、慰安のために舞いを舞わせたそうです。そしてその舞台の藤蔓を切って、舞台ごと遊女たちを淵へ沈めてしまいました。これがおいらん淵の伝説で、下流の奥秋部落にはたくさんの遊女の遺体が流れ着き、哀れに思った村人によってお堂が建てられ手厚く葬られたそうです。左の説明書きの下にある自然石は当時から残る供養の石です。お堂は長年の風雪で朽ち落ちましたが、昭和63年に村民の手によって再建されました。お堂の中央の祠には木で作られた人形が奉納されていて、当時は村の子供達がその人形で遊んでいたそうです。今は祠の他、三界萬霊の位牌と、花魁の霊位と観音菩薩の塔婆、千羽鶴、お酒(もちろん澤乃井)やお菓子がお供えされていました。

多摩川左岸巡礼142番:祠

国道411号から林道的な道に入ったところにある祠です。正面からやってきた車を端に寄って通したら、何故かUターンして後ろからやってくるという現象になり、車の窓から手を伸ばして撮りました。何の祠だか全くわかりません。

多摩川左岸巡礼143番:鶏冠神社里宮

こちらも林道風の道路なので交通量は少ないのですが、すれ違えない細い道なので、駐車場がないと車を離れると迷惑かけそうで、表の門構え(鳥居)だけ写真に撮りました。奥の登ったところに社殿が見えましたが、そそくさと退出です。こちらは里宮で、本宮は奥宮になるようです。奥宮は鶏冠山の頂上付近にあり、ここからはちょっと離れています。黒川金山の守り神的な神社のようです。

さて、夏の名残の暑さが続いたのですが、10月になって一気に寒くなりました。訪れたのは10月下旬の平日です。土日だったり、あと1.2週間遅かったりすると駐車場が混雑しそうなので、このタイミングの平日にやってきたのですが、私的には大正解。登山口に近い駐車場が使えました。トイレも新しくてすごく綺麗です。紅葉シーズン真っ只中や土日に訪れようとする方も、臨時駐車場がいくつか用意されていたので、おそらく大丈夫そうですよ。

こちらが作場平登山口です。わかりやすいので簡単に見つけられます。

しばらくは緩やかな上り坂です。隣に一ノ瀬川が流れています。森の絶景とゆる坂で気分が高揚します。以前書きましたが、私は同世代の友人と登山しても置いていかれて迷惑かけるので、基本ソロ登山なのです。他の人よりゆっくり登れば大丈夫なのですが、ひとりで静かなので熊よけのチリンチリンは大きな音がするものを付けています。それでも川のせせらぎでチリンチリンが聞こえないくらい、マイナスイオンが振り撒かれています。

結構深い森なのに、明るいですよね。そう思って見渡すと、登山道が広めに取られていることと、周囲の木々が間引かれているから、森の遠くまで見渡せて、光も入ってくるから明るいんですね。

深い森なのに明るく遠くまで見えるというのは、まるでシシ神の森のようです。「もののけ姫」の世界に入り込んだかのような感覚です。ここで米良美一さんに歌ってもらったら、こだまが1匹くらい現れると思います。

橋を渡って登っていきます。全然きつくないのと、登山道が広いので、蜘蛛の巣にかかることがほとんどないです。森を歩きたいけど虫が苦手な方には超おすすめの登山道です。写真( ↑ )の左中央の黒い影は落ち葉です。落ち葉が落ちるとカタカタと音がなり、その度に熊の足音かとビクッとなってしまいます。

基本的に分岐には案内板が立っていますので、わかりやすいです。

ここが唯一迷ったポイントです。左に行きましたが、左が正解ルートだと思います。ここから急にしんどくなってしまいました。サクサク登ってきて、特に急に厳しくなったとは思わないのですが、脈拍が上がってしんどかったです。2日前はコロナワクチンの副反応で高熱が出てぶっ倒れていたので、関係あるのかもしれません。この坂を登ったところの、狭い登山道にリュックを下ろして少し休憩しました。

最初の目的地のヤブ沢峠に到着しました。そんなにきつい登りではありませんが尾根道に到達した感じです。左右に登山道が通ってますが、ここはだだっ広くなっています。ベンチもあって休憩ポイントです。

ここからは尾根道というか、車も通れるような道です。轍ができていますね。緩やかに登りながら、次の目的地の笠取小屋を目指して進みます。

明るい森の景色ではなく、周囲の山々の景色に変わります。東京からだと見えたり見えなかったりする富士山がはっきりと見えます。写真( ↑ )は富士山ではなく別の山々です。富士山の写真は笠取山まで取っておきましょう。車も通れる道なので、サクサクと登れます。

標高的には1700m越えたあたりでしょうか。谷があって石があって、沢のようになっていますが、水は流れていません。地下深くや雨の日に流れるのでしょう。川から沢になって、水のない沢になりました。羽田から歩いてきた多摩川は、いよいよ目に見えなくなってしまいました。

笠取小屋に到着しました。この周辺の山々は、多摩川玉川上水を通じて東京に水を供給してきました。山が水を安定的に供給するためには森が必要です。森があるからいつでも土中に水分が蓄えられ、山の表面が崩れないという理由です。明治時代以降、東京はこの周囲の山々に木を植え、森を再生させてきました。その作業小屋がたくさん建てられたのですが、車両や森林管理の技術が発達し、日帰り作業ができるようになったので、小屋の必要がなくなり、現在のように山小屋風に利用されているのだそうです。ちなみにここでテント泊をして更に奥の山々を目指すこともできます。小屋を使わせてもらうにしてもテントを張るにしても、申請が必要なのだそうです。ここが多摩川の源流という地理的事実だけでなく、水源管理→森林管理と、明治時代から積極的に水源維持事業に取り組んできたことを知ると、とても大切な山に来たという感覚になります。

尾根道というか木道ですね。この山は昔、山火事で木が無くなったという話がありますが、だから木が少ないのか、そもそも高度的にこんなものなのかわかりませんが、視界がひらけて歩きやすいです。遠くまで景色を見渡せて、気持ちよく登ることができます。笠取小屋を出ると次の目的地は「小さな分水嶺」です。

笠取小屋からここまでは、結構近くて10分ほどで到着できます。写真( ↑ )の右上の小高い場所が「小さな分水嶺」です。

分水嶺とは、ここに降った雨がこの杭を中心に、別々の川に流れていくことになる中心点のことです。この杭の西側に降った雨は富士川に流れ、東側に降った雨は荒川に流れ、南側に降った雨は多摩川に流れます。ほんの僅かな場所の違いで、流れゆく場所は大きく違っていくのです。f:id:salicat:20221022083820j:image

この分水嶺からは東西南北の景色が、遮られることなく見渡せます。こちら( ↑ )は北側です。紅葉が見られますね。

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こちらが南側です。遠くまで山々が連なっています。西側は富士山なので、頂上に着いたら掲載します。

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そして東側がこちら。笠取山です。このそびえ立つ感じ、かっこいいですね。これ、気持ちが試されます。山の中心にまっすぐ道がありますが、平均斜度20度の直登となっています。平均斜度20度といえば、関東一の斜度の御岳山ケーブルと同じです。私に登れるのか? と何度も自問します。

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渋っていても、行くか行かないかの二択しかないので、アントニオ猪木の「道」を暗唱して、取り付きへ行くことにします。途中で「ICO」に登場しそうな機械が置いてありました。

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直登と言っても、ホントの真っ直ぐではなく、微妙にスラロームしながら登っていきます。やはり、息が切れて脈拍が上がってしまいます。ここで休憩したら貧血が怖いので、ゆっくりゆっくり登ります。半分くらい来たところで下を見ると、誰かが登り始めようとしていて、私と同じように下から見上げて写真を撮っています。追われていると焦るので、気にせずゆっくり登っていると登り切る少し手前で抜かされました。とりあえず止まったので、座って息を整え休憩しました。私は気絶するほどの貧血になることがあるので、脈拍が上がりまくった後の動き出しは注意が必要です。よくよく休憩して立ち上がると、案の定クラっと来て意識が遠くなっていきます。が、気絶するほどではなかったので、山側に体重をかけて、立ったまま戻るのを待ちます。そして、再び頂上を目指します。

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富士山ドーン。デジタル4倍ズームです。素晴らしい景色ですね。この笠取山は、歩きやすい登山道と最後に立ちはだかる壁をクリアする楽しさ、そして登りきったところにある絶景というご褒美、まだ訪れていない方には超オススメです。

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実はここは頂上っぽい雰囲気ですがまだ頂上ではない偽ピークです。しかし、頂上よりも景色が良いのでこちらの方が価値ある場所のようになってます。ということで、絶景を楽しんだら、ゆっくり立ち上がって頂上目指しましょう。

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この、頂上付近の縦走はゴツゴツの岩を超えるので、ちょっと危険です。両手両足使って登る場面もあります。歳を取って体も硬くなっているので、ホールドを確認しながらゆっくり登ります。

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そして頂上に到着しました。笠取山1953mです。

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この写真の真ん中あたりの岩に腰を下ろして、ここでお昼ごはんにします。頂上でお昼を食べるのは久しぶりで、第1回の惣岳山以来です。コンビニのおにぎりですが美味しくいただきました。

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頂上付近の縦走は、とにかく歩きづらい。日本アルプスの山々に比べたら子供騙しなのでしょうが、私にはアドベンチャーでした。

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登山中ずっと不思議に思っていたのですが、登山口から山頂までの間に、祠一つありませんでした。長年に渡ってきっちり整備された、言わば創られた森、創られた登山道なのですが、それにしても全く信仰の欠片が見られません。川や水や岩など、人が神聖さを感じるポイントは結構あったと思います。写真( ↑ )のようにイワクラとして扱われそうな大きな岩が頂上付近にたくさんありました。なのに、信仰の跡が何もありませんでした。もしかしたら太古には存在したものが、本当に跡形も無くなったのかもしれませんが。

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この分岐、まっすぐと右に別れていて、右側に「水干 笠取」と書かれたプラ板が吊るされています。おそらく「水干 笠取小屋」の後半部分が割れて欠損したと思われます。YAMAPの地図には右の道はないのですが、看板もあることだし進んでみると、かなり急な坂でした。

多摩川左岸巡礼144番:水神社 水干

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YAMAPの地図だと、このあたりに神社の鳥居マークがあるのですが、探してもそんな神社に通じる道が見当たらない。よく見ると、水干の上に石を彫った水神社の扁額がありました。祠とかは特にないのか、水干そのものが神社同様なのかわかりませんが、とにかく、到着しました。

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多摩川源頭、東京湾まで138km。羽田空港近くの多摩川左岸0.0kmを出発したのは去年の秋です。1年越しになりましたが、ついに多摩川最初の一滴が流れるという水干にやってきました。これで多摩川百所巡礼は完遂ということでお願いします。

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ちなみにこの岩の下の穴のようなところに、ポタリと最初の一滴が落ちるそうですが、この日はそれを見られることはなく、乾いていました。

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緩やかな下りを歩きます。視界が良いです。鬱蒼とした暗い森も味があるというか、恐怖心が煽られて良いのですが、遠くまで見えるのはやはり気持ちが良いです。

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登山道の両側に張られているのがシカ柵だそうです。保護が目的が駆除が目的が、その両方を管理しているでしょうが、複雑な気分になります。やはり、出会わないことがお互いのために良いことなので、このような取り組みは有益だと思います。本当なら山は彼らの住処なので、人が来てはいけないのかもしれません。人が山でしていることが人のエゴのみに終わらず、山で暮らす動物たちの役に立っていることもあるように、期待するばかりです。

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さて、笠取小屋まで戻ってきました。ここからは登ってきたルートではなく、一休坂を下ります。登ってきたヤブ沢峠を経由するルートの方が、遠回りだけど傾斜が楽で、一休坂の方が近道だけど傾斜がきついそうです。下るのだから近道にしましょう。

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また沢というか川沿いの登山道を橋を渡りながら下っていきます。写真( ↑ )の場所で水に触れてみましたが、冷たいだろうと想像していた以上に冷たかったです。

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2つの流れが1つに番っています。こうして多摩川になっていくのですね。もう少し手前の登山道の両側に、クマザサが茂っているエリアが続いたのですが、クマザサは越冬するときに葉の縁が白くなって隈取りのようだから隈笹なのですが、私は熊が潜む熊笹だと思いこんでいたので、いつ笹の藪の中から熊が飛び出してくるかと、ビクビクしながら歩いていました。

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さて、一休坂も最初の登山道と合流し、また遠くまで見渡せる明るいシシ神の森を歩くことに。ここで、説明看板があったので読んでみると、なるほどと思うことが書いてました。なぜこの風景がシシ神の森に見えるのか? それは、倒木や自然石についた苔の緑のためです。沢沿いのこのエリアでこれだけ苔が育っているのは、上流の森が豊かだからだそうです。大雨でも土砂が流れず、雨がなくても土中に水分が保たれていて、苔が育つ環境が整えられているのだそうです。

やっとゴールです。そんなに登った感覚がなかったのですが、帰路は長く感じました。駐車場の車も半分ほどなくなっていました。荷物を整理して着替えをして、ほんとに良い山だったなぁとしみじみ噛み締めながら、車を走らせます。

道の駅があったので立ち寄ってみました。そういえば、ずっと奥多摩湖に注ぐ丹波川に沿って走っていましたが、途中橋を渡るときに「一級河川 多摩川 山梨県」という青い看板が建っていました。丹波川は奥多摩湖を経由して多摩川に繋がってはいますので、それで間違いではないのかな。何かしらの経緯があるのでしょうね。道の駅「たばやま」の裏側にも丹波川が流れていて、テラスのようになっていました。吊り橋を渡ると丹波山温泉「のめこい湯」という温泉があります。

小河内ダムまで戻ってきました。ここで車を降りてコーヒータイム。羽田から歩いてここがゴールのつもりで始めた企画でした。奥多摩湖の底に沈んだ神々を総じてお祀りしている神社があると知って、小河内神社まで延長しました。多摩川最初の一滴の水干こそゴールなんじゃないかと思いつつ、1年間放置しました。やっぱり行くかと早起きした勢いで行ってきました。遠くの景色を水面に映す奥多摩

 

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湖の水を眺めながら、この小河内ダムもそうだけど、先人たちが東京の水のためにあんな奥の方まで開発したのかと、深く有り難い気持ちになりました。