寺社探訪

寺社探訪とコラム

「夏越の大祓に行く」

6月30日は「夏越の大祓の日」です。各神社によって日程や細かな作法は違いますが、今年の半分が過ぎたということで、今日までの穢れを祓って、残りの半分を頑張りましょうということだと思います。この6月と12月の大祓は、実はすごい古い歴史があって、その原型は最古の歴史書である古事記に記載されています。今でも宮中と民間の両方で行われている神事ですが、かつては神仏習合の影響で殆ど行われていない時期が長くあったそうです。

去年は7月になってから訪れた乃木神社に茅の輪が置いてあったので、乃木神社で茅の輪くぐりをしました。今年は仕事がなかったので6月30日に訪れました。夕方に訪れたのでほとんど人がいなくて、家族連れが二組だけでした。谷保天満宮では数日前から茅の輪を設置していたようで、ほとんどの方は済ませたのでしょう。さて、神仏習合の影響で廃れてしまった大祓の神事ですが、明治維新国家神道として神社での神事が重要視されると共に大復活します。

茅の輪をくぐっている人もいなくて、社務所も閉まっています。本日は閉店しました、という感じです。茅の輪は数日前から飾られていたそうで、この数日は歴史的な猛暑だったので、茅の輪も青々とした色がすっかり抜けて、カサカサになっています。この谷保天満宮では茅の輪くぐりと同時に、形代という陰陽道で見るような人型の紙に名前を書いて社務所に納めるということをします。どこの神社でもこのパターンが多いとは思います、お隣の府中市大國魂神社では、切麻(きりぬさ)を使用するそうです。切麻とは切幣とも言い、紙吹雪のように小さく切った麻や紙で、神事に使う道具です。大きな神社なので高い本気度が伺えます。いつか参加してみたいと思います。

私もそんなに詳しくなくて、簡単に調べたことと、見よう見真似で覚えました。一礼して左足からくぐって左回り。また一礼して右足からくぐって右回り。また一礼して左足からくぐって左回り。また一礼してくぐって拝殿へ向かう。という感じでしょうか。家族連れが見守る中、私がくるくる回っているので、子供が大喜びしていました。

ちなみに私はこの日の朝から、後日連載予定の「将門の魔法陣巡礼」という企画を遂行していて、将門の北斗七星の魔法陣の拠点を巡りました。訪れた中では、鳥越神社、神田神社築土神社で茅の輪が設置されていました。参考までに御覧ください。

こちらが鳥越神社。朝早くに訪れましたが、氏子さんたちが並んで、熱心に茅の輪をくぐっていました。社務所に形代を納めます。

こちらが神田神社です。紙製の首掛け(白い輪袈裟のようなもので、略式の浄衣)をかけている人がたくさんいました。適当な想像ですけど、おそらくは形代を納めた方なのかなと思います。お昼ごろ訪れましたが、沢山の人が同時に行っていて、写真を撮るチャンスがなかなか難しかったです。

こちらが築土神社です。ビルの中の参道に設置されていました。これはくるくる回ることはできない仕様で、一度くぐったらOKな感じですね。社務所に形代を納められるようになっていました。

茅の輪くぐりというのは、今となっては年寄りしか知らない「まんが日本昔ばなし」にあったようなお話が元になっています。素戔嗚命関連で有名な「蘇民将来伝説」というやつです。素戔嗚命が旅の途中に一夜の宿を求めて、裕福な弟の巨旦将来にお願いしたが断られ、貧しい兄の蘇民将来にお願いしたら快くもてなしてくれた。というありがちな設定です。物語は当然の結末に向かいます。素戔嗚命蘇民将来(の娘?)に茅の輪を送り、その地に大きな流行病が起こった時、蘇民将来の一族だけ助かり、巨旦将来の一族は全滅したという結末です。このことから、茅の輪をくぐって厄災を退けるという茅の輪神事が発生したということです。まだ見ぬ未来を祈ることの多い宗教において、済んだこと、とりわけ済んだ自分の悪事を無かったことにするというのは、なかなかに我儘で自分勝手な風習ですが、できるものならお願いしたい。切に・・・。

 

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