寺社探訪

寺社探訪とコラム

王子神社

王子神社 目次

名称・旧社格

王子神社と称します。旧社格は郷社です。元准勅祭社で、東京十社に列せられています。

創建

不明。記録として、源義家が奥州征伐の際に祈願を行ったとあります。平安時代中期には存在していました。元亨2年(1322年)領主であった豊島氏が熊野三山から王子神を勧請し、若一王子宮と改称した。

御祭神

伊邪那岐命(いざなみのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 速玉之男命(はやたまのおのみこと) 事解之男命(ことさかのおのみこと) の5柱を総称して王子大神と称する。

御神徳

開運厄除・子育て など。摂社の関神社は髪の毛の神様です。

みどころ

都会なのに、のどかさと懐かしさを感じられる立地です。122号線を挟んだ反対側にある飛鳥山公園は桜の名所です。春の穏やかな費に王子神社とセットで訪れてはいかがでしょう。

アクセス

北区王子本町1-1-12

JR京浜東北線東京メトロ南北線「王子」徒歩5分

探訪レポート

王子駅周辺は、路面電車も走っていてなんとなくノスタルジックな印象があります。王子駅から親水公園を通って王子神社方面へ向かいます。数十年前、大学を卒業して就職したのですが、最初に1ヶ月間、東京で研修がありました。130名ほどの同期が都内のいくつかの寮やホテルに振り分けられたのですが、私は王子にある寮で過ごすことになりました。毎日王子から銀座へ出社して研修を受けていたのですが、社会人になったという興奮と刺激だけで生きていました。土日祝はお休みなので、田舎者が集まって何もわからない新宿や渋谷に出かけて、お金もないし、ブラブラ歩いて帰ってくるだけの休日を送っていました。1ヶ月後には全国バラバラに配属されてしまいましたが、王子に来ると、そんな希望に満ちていた仲間との日々が思い出されます。

大きな鳥居とその奥の木々の緑が、正しき神の住まう場所を示しています。王子駅からもほど近く親水公園からダイレクトで入ることもできます。

手水舎です。最近はようやく、柄杓が置いてある手水舎が増えました。この辺の感覚は、市民感覚と学者感覚で違うのかもしれません。ワクチンやマスクだってしなくて平気、変わらないという感覚の人もいます。私はお参りの際、手水舎が使えれば使うようにしていて、柄杓も置いてあれば使います。

こちらには、神輿が展示されています。三社祭が有名ですが、王子神社のお祭りも動画で見ると激しそうですね。王子神社例大祭は「槍祭」と呼ばれていて、小さな槍の形をした御守が配布されるそうです。祭りで舞が披露されることはよくあるのですが、王子神社では田楽を舞うそうです。私は不勉強で、田楽とか猿楽とか能の区別がつかないのですが、日本三大田楽のひとつとされ、正当な田楽を継承しているのだそうです。

正面に社殿があります。王子神社の御祭神は5柱が掲げられていますが、要するに熊野信仰を勧請したというのようです。熊野信仰は和歌山の熊野三山が本拠地で、縄文時代から精霊の宿る神聖な場所として存在し、神仏習合の時代に熊野権現として全国から参拝者を集めていました。神道では元になる神の分霊を他所に移しても、そのご神威は変わらないので、多くの人々の崇拝を集める神は全国へ分けられました。いわゆる、勧請する、というやつです。その際に、元の神を祀るのではなく、元の神の子を祀るということがしばしば行われました。これが王子信仰と呼ばれるものです。

王子信仰がよく行われたのは、熊野信仰や祇園信仰です。元の神に対して子の神のことを「王子」と呼びました。これは神仏習合の時代に、仏教用語の「童子」に結び付けられた呼び方だそうです。王子を祀る神社がある場所をそのまま「王子」という地名にすることが多く、全国に王子という地名が存在しているのは、そういう理由なのです。王子神社は王子権現として、豊島氏→太田道灌徳川幕府と庇護を受けながら隆盛しました。ただ、社殿は戦災で焼失しているので、戦後建てられたものです。新しいものですが、真っ白な4本の柱の門構えが特徴的です。

境内社はこの関神社があるのみですが、この関神社がちょっと珍しい神社です。祀られているのは、なぜだか百人一首で誰もが覚えてしまう盲目の歌人、蝉丸です。他に蝉丸の姉の逆髪姫、蝉丸の侍女の古屋美女がお祀りされています。蝉丸は琵琶法師として知られていますが、諸説多いのですが、帝の皇子や貴族の出身という説があります。関神社の関は、蝉丸が詠んだ歌「しるもしらぬも 逢坂の関」の関です。逆髪に悩む姉のために、蝉丸が侍女の古屋美女に命じて「かもじ(ウィッグのようなもの)・かつら」を考案し、姉が髪を整える手助けをしたというお話です。逆髪姫とか古屋美女とか、ネーミングが逆髪姫に悪いですよね。本当は違う名前がちゃんとあっただろうに、このお話をから3人を逢坂山に関蝉丸神社を建ててお祀りし、逆髪姫として祀られてしまいました。現代でも毛髪に悩む人は多く、この王子神社に勧請したという訳です。毛髪業界の方々から寄進された毛塚が建っています。

境内は広々としています。あまり建物がなくて、余計に広く感じます。ご近所っぽい方や仕事の休憩中っぽい方など、参拝に来る方は多くはありませんが、それなりにいらっしゃいます。社務所でひとり神官さんが御朱印などの対応をされていました。

私にとってはいつまでもセピア色の思い出が蘇る街です。ちなみに飛鳥山公園も元々はこの王子神社の境内でした。徳川七代暴れん坊将軍紀州徳川家の出身ですので、故郷の紀州熊野三山から勧請したこの王子神社を非常に気に入られ、飛鳥山を寄進しました。それを祝ってたくさんの桜が植えられたと伝えられています。