寺社探訪

寺社探訪とコラム

天台宗 深大寺

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深大寺 目次

名称・寺格

浮岳山 昌楽院 深大寺と称します。天台宗の別格本山です。

創建

天平5年(733年)、満功上人によって法相宗の寺院として創建されました。

本尊

阿弥陀如来

ご利益

元三大師堂で毎日行われている厄除けの護摩祈願が有名です。恋愛のご利益も有名で、仏前婚儀も行われています。

みどころ

門前に蕎麦屋さんが立ち並び、賑わう町並みがとても素敵で、非日常感を味わえます。釈迦堂で国宝白鳳仏を拝観できます。2mの元三大師像(秘仏)を安置する元三大師堂で護摩祈願が受けられます。

アクセス

東京都調布市深大寺元町5-15-1

京王線「調布」「つつじヶ丘」よりバス10~15分

JR中央線「吉祥寺」「三鷹」よりバス25~30分

探訪レポート

調布市にある風情豊かな深大寺に行って参りました。深大寺は東京都内でも有数の観光地となっています。観光目的となるのは深大寺と隣にある神代植物公園ですが、観光地としての風情を作り上げているのは、蕎麦屋さんや饅頭屋さんが立ち並ぶ門前の町並みです。都内にも有名な寺院や歴史のある寺院は数多くありますが、参道に参拝客用のお店がこれ程立ち並ぶのはなかなか無いので、この雰囲気を味わうだけでも、訪れる価値があります。深大寺は最寄りの電車の駅からバスを利用しないと来られない場所にあり、アクセスは便利だとは言えないのですが、そのために近隣に商業地がなく、テーマパーク的な門前町になっているのが、この統一感のある懐かしいというか素敵な風情を生み出している要因だと思います。

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深大寺といえば「深大寺そば」というほど有名で、門前の町並みに蕎麦屋さんが20件ほどあります。お店によって店構えも蕎麦の仕上がりも、出汁の感じも違っていて、何度も訪れて食べ比べしてみるのも良いと思います。今年は開催されるかわかりませんが、「深大寺そば祭り」といったイベントがあり、期間中は割引でお蕎麦を食べれたり、食べ比べのための小盛りサイズのメニューが提供されたりするそうです。私は仕事でたまに深大寺に来ることがあるのですが、これまでに半分くらいのお店でお蕎麦を頂いていると思います。お蕎麦だけでなく、店頭で焼いた饅頭など、思わず立ち止まってしまうお店が並んでいます。深大寺は水と緑が豊かなので、そんな雰囲気で味わうのも、風情があって余計に美味しくなります。

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山門は蕎麦屋さんが立ち並ぶ参道の門前町から階段を上がった、一段上にあります。茅葺屋根の山門で、実際にはすごく維持費が大変なのでしょうが、なんとなく質素な印象を受けます。仁王像や四天王像が安置された巨大でド派手な三門も良いですが、こういうのも風情があります。1695年の建立で、深大寺の山内で最も古い建物だそうです。火災喪失の危機もあったそうですが、村人総出で守り抜いたという記録があるそうです。

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今年のNHKゆく年くる年」で放送された除夜の鐘は、この深大寺の鐘です。この鐘楼もかつては茅葺きだったそうです。現在は平成13年に新調された鐘が使用されています。深大寺には永和2年(1376年)に作られた梵鐘があるそうで、南北朝時代ですからものすごい年代物ですね。最近はコロナで一般の参加は難しいですが、いつもは大晦日になると除夜の鐘を突く人の長蛇の列ができるそうです。

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こちらは旧庫裡です。ここは、かつての建築を保存するために、あえてそのままにしている建物のようです。中も土の土間になっていて、入口横には大きなお釜が置いてあり、昔の僧侶の生活が伺えます。茅葺屋根を守るために、囲炉裏に杉の葉を焚べて、茅葺屋根に煙を充満させて、煙の作用で燻蒸するということをします。知識として知っていても、なかなか実際に見る機会はありませんでしたが、私は初めてここで燻蒸しているのを見ました。

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旧庫裡を別角度から。旧本坊と書かれているので、昔はここがお寺の玄関のような場所だったのだと思います。現在はこの隣に入口があり、寺務所になっています。さて、深大寺の創建は奈良時代と古く、天平5年(733年)です。日本に仏教が伝わって200年弱、聖徳太子が没して約100年後、最澄が生まれる30年前には創建されていた、ということになります。創建したのは満功上人で、法相宗の寺院として建立されたそうです。現在は天台宗の別格本山という位置づけになっています。

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こちらが本堂です。仕事上、深大寺の檀家さんの葬儀に立ち会うことが多いのですが、法話を聞いていると、深大寺にまつわる重要な信仰の対象がいくつかあります。まずは、本堂の本尊である阿弥陀如来で、次に元三大師、そして深沙大王です。本堂の阿弥陀如来像は宝冠阿弥陀如来像と言って、頭に冠をかぶっています。如来像にしては珍しく装飾品を纏って、金色で豪華な如来像です。深大寺は江戸時代に2度の大火に遭っており、堂宇の大半は一度は消失しています。現在の本堂は、大正8年に完成したものです。

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境内はかなり広くて、今はコロナでほとんど人通りもありませんが、平常時には国内外からの観光客が(特に近年はアジア系の方が多いです)お参りの列に並んだり、記念写真を撮ったりと、結構賑わっています。常香炉に集まって、外国人の方々が周囲の人々に倣って、煙を頭や体に擦り付けている様子などが見られます。この写真の中央奥が手水舎なのですが、周囲を囲んで使用禁止にしていました。左奥にある木枠で囲った場所は、オオムラサキを飼育していました。

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本堂を正面に見て、左の方へ進んでいきます。すぐに元三大師堂が見えてきます。元三大師は寛永寺の回でご紹介していますが、仏教界のスーパースター、良源(慈恵大師)の別名です。良源は天台宗の最高峰、第18代の天台座主であり、延暦寺中興の祖と呼ばれる活躍をしています。没後も人々から崇められ、大師像を安置したり、御札として御守にしたりと、信仰を集める存在となっています。深大寺の元三大師像は座った姿勢で2m近くあるそうですが、秘仏なので日常は拝観できません。前回は2009年に25年ぶりに御開帳され、実は去年も御開帳の予定だったそうですが、コロナのために中止になりました。それが、今年の秋、上野の国立博物館で、国宝である白鳳仏と共に出開帳されています。江戸時代以来、205年ぶりの出開帳だそうです。

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深大寺の元三大師堂では、その御利益を受けるために護摩供をしています。天台密教は、真言密教のように手印を隠さないので、燃え立ち上がる炎をバックに、流れるような美しい手印を見ることができます。

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釈迦堂には、国宝に指定された釈迦如来像倚像(白鳳仏)が安置されています。白鳳仏というのは、飛鳥時代の白鳳期に作られた仏像という意味で、東日本で最古の仏像だそうです。立っているか足を組んで座っている仏像が多い中、台に腰かけた姿勢(倚像と言います)で少し違和感を感じます。この仏像は、明治時代に、元三大師堂の須弥壇の下から発見されたそうです。飛鳥時代のものが堂内に遭ったことを知らずに、明治時代に発見って、びっくりですよね。大正時代に国宝に一度認定され、昭和で重要文化財に認定され、平成でまた国宝に指定されました。この仏像が国宝指定されたときは、寺をあげて祝賀ムードで賑わっていたという記憶があります。現在は上野の国立博物館に出開帳されています。

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深大寺境内だけでも、湧き水がいくつもあるそうで、水と緑が豊かに見られます。蕎麦屋さんが多く発展したのも、この水あってのことなのだと思われます。先々代の山主様の葬儀が本堂で行われたとき、私は手伝いをしていたのですが、ゲリラ豪雨のようなどしゃ降りになり、深大寺の僧侶さんと、やはり深大寺には水神様がいらっしゃるというお話をしました。

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こちらは大黒天と恵比寿尊です。調布市には「調布七福神巡り」という、観光的な巡礼イベントがあるのですが、ここ深大寺毘沙門天の担当です。広い境内なので色々な神や仏がご安置されています。

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こちらは深沙堂で深沙大王をお祀りしています。深沙堂の裏は泉になっていて、水の神様というロケーションです。深沙大王は仏教の守護神で、砂漠に現れると言われ、玄奘三蔵のインドへの旅を支えたとされています。仏教の守護神ってなんぞやと言うと、有名なのは山門などに安置されている四天王で、仏教以前にインドに存在していた神々が仏教と習合して、それが仏教伝来の各地で形を変えつつ伝承されて日本に伝わったもの、という感じでしょうか。ちなみに深大寺という名前は深沙大王にちなんで名付けられました。深沙大王を祀ったのは開祖である満功上人ですが、それ以前からこの地は水が豊かで、稲作をする地域住民の恵みの水神として信仰を集めていたようです。満功上人がこの地に深沙大王を祀ったのは全く違う話で、満功上人の両親が認められなかった恋を成就させて結ばれた際に、深沙大王の力を借りたということから、二人の間に生まれた満功上人は、この霊験新たかな水の神の宿る地に堂宇を建て、深沙大王を祀って深大寺としたということです。深大寺が恋愛のご利益で有名なのは、そのような理由なのです。

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この、石垣の中の祠に安置されているのは、延命観音です。なんでも、秋田県の象潟港の工事の際に海底から大石を引き上げたところ、慈覚大師が掘った延命観音が刻まれていたという伝承の観音様です。空海最澄を含む、唐に渡った主な僧侶を入唐八家と言いますが、慈覚大師円仁もその一人で、最澄の直弟子として、天台宗のスーパーエリートの道を歩み、第3代の天台座主だった僧侶です。現代も残るたくさんの有名寺院を建立した人でもあります。そんなものが海から上がって、この深大寺に安置されているというのも摩訶不思議ですが、それだけにご利益がたっぷりいただけそうです。

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この延命観音がある辺りは、観光ルート的にあまり人が通らない道になっていて、私はここの静けさが好きです。賑わう門前町と距離的にはそれほど変わらないのですが、マイナスイオンを吸収しつつ脳のリフレッシュにもってこいの通りです。境内にある深大寺動物霊園に飼っていた猫を納骨しているのですが、お参りにはこの道を通って行くことが多いです。そういえば私の猫を火葬したときも雨が降っていたなぁ。

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境内の一番北側にあります開山堂です。本尊は薬師如来。脇侍に弥勒菩薩、十一面観音菩薩が配置されているそうです。開基の満功上人と惠亮和尚の尊像も安置されているそうです。惠亮和尚とは、平安初期の天台僧で、法相宗寺院だった深大寺天台宗になるきっかけとなった人物です。当時清和天皇の時代に、武蔵の国司が反乱を起こしたのですが、降伏の祈願のために東国へ送られた天台僧が惠亮和尚でした。この功績で深大寺は大きく発展することになり、以来、東国における天台宗の一大拠点となるのでした。

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この緑に囲まれた雰囲気がいいですよね。深大寺は境内がひとつの山になっていて、緑の中を拝観するという感じです。私が深大寺で残念だなと思うのは、増上寺寛永寺築地本願寺池上本門寺など、本山級の寺院には、後を見る人がいない人が入れる永代供養の納骨堂がありましたが、ここ深大寺にはそのような檀家でなかった人でも、後を見る人がいなくても入れる永代供養墓が無いようです。私の猫は一度も調布市に住んだことがなかったのに、この境内にある動物霊園に眠らされています。深大寺にはたくさんの僧侶の方々が勤めていらっしゃいますが、ほとんどの方が顔見知りなので、知っている人に供養してもらえるという安心感があるからです。私自身も後を見てくれる人がいない身なので、猫と一緒にここに眠れたらと思いますが、時代の流れでそのうち深大寺にも永代供養墓ができるように期待しています。

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こちらは白山社です。白山神社と稲荷神社と山王神社が合祀されています。かつてはもっとたくさんの境内社があったそうです。緑に苔むした狛犬がいい味出していますね。白山も稲荷も山王も、神仏習合の権現様ですね。キツいというか、強力な信仰の神社が合祀されているので、御神徳は期待できますが、半端な気持ちで接すると怖そうです。

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私にとっては、仕事やら猫の供養やら、頻繁に訪れているお寺です。なるべく観光客が写らないように撮影したのですが、実際には門前町蕎麦屋さんが並ぶ通りはこんな感じで賑わっていたのです。というのをピンボケ写真でお伝えしておきます。美味しいお蕎麦屋さんがたくさんありますので、皆様も休日には非日常を求めて深大寺を訪れてはいかがでしょうか。

 

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