寺社探訪

寺社探訪とコラム

乃木神社

とてもハイソ(死語?)な街にある乃木神社ですが、乃木将軍についてあまり知識がないので、乃木神社の隣にある旧乃木邸を見学しつつ、そのあたりを学んでからお参りに訪れたいと思います。乃木希典は、神格化されている元軍人ということで、当ブログでご紹介した東郷平八郎と比較されますが、東郷平八郎は海軍大将、乃木希典は陸軍大将になります。生まれも1年違い(東郷平八郎が1歳年上)と、比較されやすくなっています。東郷神社の回で、東郷元帥は死後神格化されて神社を建立されることを嫌がったと紹介しましたが、それは先に神格化されて神社を建立された乃木将軍へのライバル心のために反発したというのが実情です。

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こちらは乃木将軍が実際に住んでいた家です。明治期に設計された建物ですが、和と洋が絶妙にmixされて、却って新しく感じます。乃木将軍も東郷元帥のように有名な武勇があります。日露戦争の旅順要塞攻略が最も有名な武功ですが、要塞を陥落させた後開いた両軍の会見で、敗戦したロシアの将に帯剣を許し、写真も1枚しか撮らせなかった。明治天皇から敵軍の将の名誉を汚すなという命を受けてのことだが、こういった行動が優れた人間性を喧伝することとなる。しかし、乃木将軍として最も有名なのは、明治天皇に殉死したことでしょう。保存されている自宅は、乃木将軍が明治天皇の大喪の日に夫婦で自刃した家でもあります。

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こちらは辻占売りの少年という銅像です。この逸話は、乃木将軍が金沢を訪れた際、路上で辻占(占い付きのお菓子)を売る少年と出会い、その少年が父を亡くしたために困窮した一家の生計を支えていることを知り、彼に励ましの言葉と大金を渡したというお話で、映画や浪曲の演目にもなっています。後に将軍の励ましに感激した少年が努力を重ね、無形文化財になるほどの金箔師に成長するという、でき過ぎたお話です。

f:id:salicat:20210717003252j:plain厩も現存します。乃木将軍は晩年は、明治天皇から命を受け、学習院長(当時は国立、現在は私立)に就任します。陸軍の最高幹部に推す者もいたが、明治天皇が聞き入れず、孫の裕仁親王昭和天皇)の学習院入学に合わせ、乃木希典学習院長にしました。たしか、東郷平八郎も晩年は東宮御学問所総裁という職に就いています。かなり近いところで凌ぎ合っていたのですね。

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参拝は正面から参ります。街並みも良いし、アイドルグループの人気もあって、結婚式場に利用したりする方も多いのではないでしょうか? 若者に乃木神社に行った話をすると、「聖地 」と言っていました。乃木神社の入口は、街並みに合った、清潔でおしゃれな感じがします。

f:id:salicat:20210717002422j:plainこれはなんなのでしょう? 神社らしく稲科の植物を育てているようです。明治天皇ほうぎょの後、大喪の礼の日に乃木希典は妻と共に自宅で自刃しますが、軍人として様々な戦場で戦う中、若い頃に軍旗を喪失してしまったことや多くの部下を戦死させてしまったことなど、乃木将軍には許せない自分の行為がいくつもあったようです。その度に死をもって償おうとするが、明治天皇がそれを決して許さず、遂には「朕が死んでからにしろ」と言われ、それを実行してしまったのですね。

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こちらは手水舎。柄杓で清めることはできませんが、清潔感のある手水舎で、風鈴の音が涼しげに鳴っていました。 私は昭和生まれで、太平洋戦争で敗戦国の天皇として、神から人になり、国民の象徴という生き方を初めて行い、全うした昭和天皇裕仁)に思い入れが強いです。昭和天皇は乃木大将のことを院長閣下と呼んで親しんでいたそうです。乃木将軍が自刃した時、昭和天皇は11歳。涙を浮かべ、大きくため息をついたとのことです。

f:id:salicat:20210717001848j:plain境内はシンプルな感じです。そもそも騒がしい地域ではありませんが、都会の静寂といった感じで心地よかったです。 現代の感覚だと殉死なんてあり得ないという感じですが、これは時代に関係なく人間の気質なのかなと思っています。昭和天皇が亡くなったときにも数名の殉死者がいて話題になりました。X-Japanのhideが亡くなった時も、後追い自殺が多発しました。一応、乃木神社のご神徳は忠誠、文武両道ということですが、フリーランスの私にはあまりピンときません。葬儀の仕事と軽貨物配送の仕事をしているので、そちらは両道と言えるかもしれません。私はいろんな神社やお寺をお参りするので、自分のことはやたら滅多に祈念しないようにしています。どこに何をお願いしたのかわからなくなってしまうと、祈願が成就してもお礼を言えなくなってしまいます。

f:id:salicat:20210717001659j:plainこちらの狛犬も正面を向いています。神田明神流ですね。ところで、乃木将軍が亡くなった際、葬儀が行われる乃木邸から青山葬儀所の間に見送りに集まった国民は20万人以上と言われています。数年前、世界一のメガシティに成長した東京都で行われた、ジャニー喜多川さんの盛大な葬儀で関係者3500人、一般会葬者88000人でした。数字にすると凄い数ですね。このとき私はたまたま水道橋にいて、ものすごい行列を見ましたが、100年以上も前にその倍以上の200000人が集まるということで、世界情勢が不安定な中、乃木将軍が英雄として、いかに一般国民の心に支えになっていたことが伺えます。

f:id:salicat:20210717001716j:plain7月に訪れたので、七夕の行事なのか、風車がたくさん奉納されていました。

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行事といえば、 おそらくは6月30日に行われたであろう大祓の儀の茅の輪神事の飾りが置かれていました。とりあえず程度に1回潜っておきましたが、本来は左→右と8の字を描いて3回まわるのが基本です。この茅の輪神事は、かなり多くの神社で行われていて、大祓の儀は神社には欠かせない神事となっています。いつかどこかで実際に訪れてレポートしてみたいと思います。

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乃木神社には 正松神社と赤坂王子稲荷神社という境内社があります。正松神社は全国でもここにしかないのかなと思いますが、乃木希典の師であった玉木文之進と、その甥の吉田松陰を祀っています。玉木文之進松下村塾を作った人、吉田松陰は発展させた人という感じです。吉田松陰は有名で、松陰神社として祀られてもいます。この正松神社も、松陰神社から分霊したものだそうです。赤坂王子稲荷神社は、乃木夫妻が崇敬していた王子稲荷神社を勧請したものです。稲荷神社なので、ご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智神(うけもちのかみ)、和久産須日神(わくむすひのかみ)です。こちらは全て食物に関する神様です。

私が訪れた時間は神社の境内は閑散としていましたが、お隣の乃木会館では数組の結婚式があったようで、華やかな雰囲気が漂っていました。

 

名称乃木神社

住所:東京都港区赤坂8-11-27

創建大正12年(1923年)

社格:府社

主な祭神乃木希典命 乃木静子命

メモ:明治期日本軍の英雄、「乃木将軍」をお祀りした神社