寺社探訪

寺社探訪とコラム

真言宗豊山派 宝仙寺

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真言宗豊山派 宝仙寺 目次

名称・寺格

明王山 聖無動院 宝仙寺と称する真言宗豊山派の寺院です。寺格は特にありません。

創建

平安時代後期の寛治年間(1087−94年)に、源義家によって創建されました。

本尊

不動明王

みどころ

広い境内にひと際目立つ三重塔は見ごたえがあります。節分に行われる僧兵行列も非常に珍しいです。

アクセス

東京都中野区中央2-33-3

丸ノ内線 大江戸線中野坂上」徒歩5分

探訪レポート

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中野宝仙寺に参りました。こちらは葬儀に利用されることが多いのですが、訪問時は特に何も行われていないようでした。立派な仁王門です。中野宝仙寺の堂宇は第二次世界大戦の空襲で焼けてしまったので、ほぼ昭和以降の建築です。

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鐘楼堂です。こちらは更に新しく平成28年に再建されました。堂宇の歴史が浅くても、寺院そのものは千年近い歴史を持つ古刹です。源義家後三年の役の陣中で護持していた不動明王像を安置するために、阿佐ヶ谷の地に寺院を建立したのが宝仙寺の始まりです。ちなみにこの不動明王は奈良東大寺を建立した良弁の作とされています。まぁ、狛江市の泉龍寺の寺伝もそうでしたが、平安時代の寺院の仏像は大体良弁または行基の作となっております。

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明治時代に中野村の村役場がこの宝仙寺境内に置かれ、町制が施行された頃に中野町役場も宝仙寺境内にありました。中野区発足後に境内の中野町役場が初代の中野区役所になりました。

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墓地の入り口に手水舎があります。宝仙寺は境内も広いのですが、墓地もかなりの広さです。この日も法事でお墓参りをされている喪服を着た方々がいらっしゃいました。宝仙寺は阿佐ヶ谷に建立されたと書きましたが、そもそもは杉並区大宮にある大宮八幡宮別当寺として建立されたのです。源頼義が大宮八幡神社を建立して、子の義家が別当寺として宝仙寺を建立したという訳です。宝仙寺が阿佐ヶ谷から現代の場所に移ってきたのは室町時代のお話です。

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こちらは御影堂で、弘法大師像が安置されています。宝仙寺は高僧を排出する寺院として徳川幕府から厚く崇敬されましたが、徳川8代吉宗の象と深い縁があります。象というのはエレファントのことで、ベトナムからアジアゾウを購入して江戸中に象ブームが巻き起こっていたそうです。上野動物園のパンダのようなことが江戸時代にあったのですね。その象は中御門天皇に拝謁するために位階が必要で「広南従四位白象」と称するそうです。しかし、飼育費がかかりすぎるという理由で民間に払い下げられます。購入したのは中野村の源助という百姓で、その象が亡くなった後の骨と牙が、この宝仙寺に納められたのだそうです。

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本堂を見ると、とある記憶が蘇ります。特別企画「多摩川左岸百所巡礼」で訪れた世田谷区野毛の善養寺の本堂によく似ています。つまり、奈良の唐招提寺を模したのではないでしょうか。それはさておき、宝仙寺の本尊は源義家不動明王像で、鎌倉時代相模国の大山寺の願行上人が秘仏にするように忠告しました。そのために鎌倉期に造られた別の不動明王を御前立として五大明王像が安置されています。

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三重塔は江戸初期の寛永13年(1636年)から境内にあるそうです。昭和20年(1945年)に空襲で消失し、平成4年に奈良・法隆寺の三重塔を模した飛鳥様式の純木造建築で再建されました。やはり塔があるとお寺っぽいですよね。江戸六塔なるものがありまして、この宝仙寺三重塔もそのひとつとなっています。ただ、他の5つは全て五重塔ですので、なんか劣勢な感があります。ちなみに現存する旧上野寛永寺五重塔池上本門寺五重塔浅草寺五重塔に、消失した谷中天王寺五重塔と、芝増上寺五重塔が選出されています。

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石臼塚というのも、かつて特別企画「多摩川左岸百所巡礼」の際に、拝島神明神社で見かけました。中野は神田川を利用した水車で、江戸の蕎麦を挽いていたというのは興味深い話ですね。これは、多くの宿場町を持つ中山道を通って江戸に入る信州産の蕎麦は、長距離+宿場の多さで値段が高いのに比べて、多摩地域で生産される蕎麦は青梅街道を通って中野で製粉されますので、短距離+宿場が少ないから安く手に入ります。そういう訳で江戸時代の中野は製粉業が盛んだったのです。

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こちらは墓地の入り口にある六地蔵と見送り地蔵、その他弘法大師御遠忌供養塔などが並んでいます。


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2月に訪問したのですが、宝仙寺の節分会は独特のイベントとなっています。節分の豆まきと柴燈大護摩供を一緒にやります。柴燈大護摩供は、これまで当ブログでご紹介した高尾山や川崎大師のような山伏テイストのものとは違っています。僧兵が儀式を執り行います。柴燈大護摩供に先立って、僧兵が街を練り歩く僧兵行列も行われ、同じ真言宗でも一風違った興味深い儀式となっています。

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さて、こちらは私には馴染みの深い大師堂です。葬儀はこの大師堂で行われます。立地上、有名人の葬儀もよく行われていて、タモリさんが白紙の弔事を読み上げた赤塚不二夫さんの葬儀もこの宝仙寺で行われました。実は訪問時は書院が大規模な工事中でした。これがこの秋頃に完成するそうで、弘法大師生誕1250年記念と合わせて大きな祝賀イベントを行うとのことですよ。

 

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