寺社探訪

寺社探訪とコラム

天台宗 竹寺

天台宗 竹寺 目次

名称・寺格

医王山 薬寿院 八王子(いおうざん やくじゅいん はちおうじ)と称する、天台宗の寺院です。寺格は特にありません。通称竹寺と呼ばれています。

創建

天安元年(857年)慈覚大師円仁が東国巡礼の際に当地を訪れたが、疫病が蔓延し病人が多いのを憐れんで、この地に道場を造り大護摩の秘法を修したことを由来とします。

本尊

牛頭天王

ご利益

疫難消除、除災招福、出世開運

みどころ

竹と日本庭園が美しく、芸術のような写真を撮ることができます。明治維新神仏分離令を免れ、神仏習合の寺を見ることができます。

アクセス

埼玉県飯能市大字南704

圏央道「狭山・日高IC」より車で55分

西武池袋線「飯能」北口から国際興業バス名栗方面「小殿」徒歩50分(登山道)

探訪レポート

私は子ノ権現から登山道を歩いて訪問したので、竹寺の裏側から境内に入ったのですが、一応正面から入った感じでレポート致します。正面の入口には神仏習合丸出しの鳥居が建っています。鳥居の扁額には医王山と竹寺の山号が書かれています。まさに神仏習合ですね。鳥居を入ると左手に境内の案内図( ↑ )があります。まぁ、これを見てわかる人は、そもそも知っている人でしょうね。

最初に弁天堂がありました。結構ボロ・・いや、古い建物のようです。弁財天をお祀りしています。扁額も何と書いてあるのか判別できません。

弁天堂の横にある弁天池です。凄くないですか? この緑の水面。腕利きの左官屋さんが緑のコンクリートをきれいに敷いたような感じです。目の前で見ていても、上を歩けるんじゃないかという錯覚に陥ります。

牛頭明王像です。こちらの像は中国の民間の有志の方々から贈られたものだそうです。仏教は中国経由で日本に伝わったので、中国でも日本でも同じ仏様がいます。中国では牛頭明王で、日本では牛頭天王で定着しているということでしょう。日本の牛頭天王は日本神話と深く習合しているので、おそらく違うのは名前だけでなく、由来や性質など違う部分が多々あると思われます。

境内はこんな風に日本庭園風になっています。いたるところに竹がありますので、画角を選んでこだわればすごい写真が取れそうです。

平和の鐘というものです。こちらも山の中のお寺の法則通り、ご自由に鳴らしてくださいというものです。しかしこのサビついた感じ、壊してしまいそうで触れませんでした。

こちらは観音堂です。聖観音菩薩をご安置しています。武蔵野三十三観音霊場という巡礼があるそうで、その三十三番の結願寺に当たるそうです。

瑠璃殿と扁額に書かれています。たぶん書院や庫裏のような建物だと思いますが、あまり使われてないイメージを受けました。

こちらが本坊です。茅葺屋根です。庫裏と寺務所と住職の住居が一緒になったような建物だと思われます。この隣にお食事処があるのですが、予約すると本格的な精進料理がいただけます。予約なしでもいただけるお膳料理やスイーツなどがあり、お団子は名物のようです。竹の魅力を活かした空間がすごくお洒落なお店です。特別な人と特別な時に予約して行くと良いと思いました。

更に奥へ向かいます。千本鳥居があり、奥に稲荷大明神ののぼり旗が見えます。お社が見えないので、どこまで登らされるのかわかりません。こういうのはある種賭けですが、この日は秩父御嶽神社→子の権現→竹寺と巡っていたので、ここまで来るともう、どこでも行きます状態になっていました。

階段を上がって行くと、すぐにお社がありました。医王稲荷と称するそうです。思ったよりかなり小ぶりのお社でしたが、赤い社にお稲荷様が鎮座されていました。たくさんのお狐様もいらっしゃいました。

こちらは、猿田彦大神のお社です。日本神話の一大イベントである天孫降臨の際に道案内を務めたことから、猿田彦は道の神として祀られています。昔は竹寺まで来るだけで旅のようだったでしょう。そしてここから行者たちが山の中を行を修めながら歩いて廻ったことでしょう。その道を守護する意味でお祀りされているのかなぁと思いますが、真実はわかりません。

また鳥居があり、茅の輪が設置されています。この茅の輪がおそらく竹寺で一番有名で、一年中設置されているようです。扁額には天王山と書かれていて、この鳥居をくぐると牛頭天王の領域になります。

この牛頭天王を祀る本殿がある場所は境内の中でも一段高くなっていて、見晴らしがよく見晴台も設置されています。なぜかトーテムポールも設置されています。このあたりは子の権現の赤いハイヒールや白い手に通じるものがあります。トーテムポールには、牛頭天王が彫刻されています。

手水舎があり、ここで左右の手を浄めます。なぜか私が訪れた時、この本殿前の広場にトイプードルを連れた人の集団がいらっしゃいました。トイプーオフでしょうか。

本殿も茅葺屋根になっています。草が生えていますけど、それがまた味を感じさせます。この本殿は平成11年に焼失し、平成15年に再建されました。結構最近の話です。本堂内には右手に斧、左手に索を持つ木造牛頭天王坐像と八王子(牛頭天王の八人の王子)が祀られています。本尊の牛頭天王像は12年に1度、丑年に御開帳されます。次は2033年だそうです。

蘇民将来(そみんしょうらい)なんたらと書かれた御札やコケシのような物を見たことがあるでしょうか? あれは蘇民将来の護符(お守り)で、主に須佐之男神(スサノオ)を祀る神社で配布されています。武塔神(むたふのかみ)が旅をして宿を求めたら、裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来はできる限りのおもてなしをしました。後に武塔神が再びやってきて、蘇民将来の娘に茅の輪を与え、巨旦将来の一族を疫病を流行らせて皆殺しにしました。武塔神は自らの正体を須佐之男神であることを明かし、茅の輪をつけていれば疫病を除けることができると伝授した。という日本各地に伝わる説話があります。これが民間信仰になって、「蘇民将来子孫家門」などと書かれた護符を持っていると、疫病から護られると信じられてきたということです。日本では須佐之男牛頭天王は同一視されています。明治維新神仏分離令で、牛頭天王を祀っていた神仏習合の寺社は、須佐之男を祀る神社に変わっています。八坂神社系の神社や八雲神社系の神社がこのパターンです。しかし、この竹寺の本殿にはずっと牛頭天王が祀られ続けているので、神仏分離令を免れた寺院と呼ばれているのです。竹寺は茅の輪があるお寺として有名ですが、牛頭天王の本殿に上がる階段の入口に茅の輪が設置されているのは、こういう訳なのです。

本殿にもお参りをして、小殿バス停へ向かおうとしたら、小さな立て看板があり「⬅鐘楼」と書かれていました。結構な上り坂で、坂の上の方を遠目に眺めてみましたが、鐘楼堂のようなものは見えません。すぐそこだったら行ってもいいんだけど、あまり遠いとバスの時間もあるし・・・と悩んだ結果、先程の医王稲荷社がすぐ着いたこともあって、登り始めてしまいました。もう、どこでも行こうというベクトルが心の中に生まれてしまっていました。これが登れども登れどもという感じで、すぐそこをイメージしていたものですから、ものすごく長く感じます。途中で広場に出たのですが、そこに鐘楼はなく、小さな祠がぽつんと建っていました。

更に登ってようやく鐘楼堂にたどり着きました。YAMAPで見てみると、竹寺から鐘楼堂まで、高度100m以上登っていました。安易にベクトルに押されて進み、鐘楼の前に立っている自分を愚かしく感じました。自分で来たくせに、なんだか腑に落ちないこの気持ちを振り払うべく、鐘楼に合掌し、一発叩いてみました。ほぉぅ、いいですねぇ、これ。もう一度鐘楼に合掌し、遠い山並みを眺めてみます。

竹寺はTwitterInstagramなどSNSを使った情報発信をしていて、境内を利用したり都市へ出向いたりして、様々なイベントを行っているとても活動的な寺院です。私にはお洒落すぎて気が引けてしまいますが、こういう雰囲気が好きな人は多いのではないでしょうか。車で行くと、たぶん途中の道路はかなり狭い森の中の道路になるので、秘境感満載だと思いますよ。