寺社探訪

寺社探訪とコラム

読書ノ跡「仏教思想のゼロポイント」

 

仏教は紀元前5世紀のインドで釈迦が開いた宗教で、日本へは北伝、つまりパキスタン方面からヒマラヤを迂回して中国 → 朝鮮半島 → 日本と伝わりました。発祥してから日本に伝わるまでに1000年ほど要しています。これほどの距離を、これほどの時間をかけて伝えられた仏教は、更にそこから絶海の日本国内で1500年受け継がれてきました。現在私たちが日本で仏教だと思っているものが、紀元前5世紀に釈迦が開いた仏教と、同じであるはずがないですね。それでは、釈迦が紀元前5世紀に感得した「悟り」というのは、いったい何なのだろうか? ということを解説している本です。

 

私の身の回りにひとり、仏教の原理思考というか、釈迦が生きていた頃の初期仏教の教えに魅せられて豆ばっか食べている人がいます。時間と距離を伝わる間に、少しずつ変革されて、ついに全く違うものになってしまった仏教。私たち日本人はお釈迦様の開いた仏教を信仰しているつもりでも、実際には全く違うものを信仰している。それならば、正しい最初の仏教を知りたいし、信じたいと思いますよね。そんな初期仏教の解説は、現代日本人にはなかなか受け入れられない内容となっています。それでも釈迦のように悟りたいなら、それを実践するしかないのです。それを実践するには、初期仏教の教えを理解し受け入れなければなりません。

 

この本の良いところは、そんな初期仏教をただただ詳しく解説しているところです。それが正しいとかおかしいとか、日本人向けのアレンジとか、そんなことは書かれません。初期仏教の教義はこうであったということが書かれています。私の最初のコラム「三宝に帰依する」に書きましたが、仏教の本来の目的は悟りを開き、輪廻の輪から解脱することです。しかし、現代日本では衆生のみならず僧侶ですら、釈迦が悟った仏教の目的からかけ離れた生活をしています。「悟りを開くためのその1」とは、欲を滅することです。煩悩は108あるとよく言われていて、たくさんあるのでしょうが、例をあげると、欲とは自分の行動をお金に変えたり、異性を見たりすることです。これ、できる日本人ほど、まともな社会人から遠のいていきます。理屈だけを見ると、教団に財産のすべてを捧げ、出家して禁欲生活をするカルト宗教の出家信者が、釈迦の出家を求める姿に近い気がします。しかし彼らの修行の先にあるのは悟りや解脱ではなく、世の中を征服したいという教団の欲なのですが。

私はこの書物に書かれた、釈迦が説いた仏教が正しくて、現代日本にある仏教が間違いであるとは思いません。時代や場所や民族によって価値観が違い、その価値観によってカスタマイズされた新しい教義なのだと思っています。つまり、釈迦は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成仏するとは説いていないのです。では、親鸞はインチキなのかというと、その親鸞の教えは時代や場所や民族性に受け入れられ、新しい教義として認められている訳です。まぁ、本書はこのような教義の移り変わりがテーマではなくて、ひたすら初期の教義に遡及していく内容です。

現代の日本では、本書に書かれているような悟りへの道を実践することは不可能に近いですが、その道筋や仕組みを知るという意味では面白く読むことができました。とは言え難しい本なので、何回も読み返す度に受け止め方が違ってしまいますが、逆に言うと、何度読み返しても面白い本です。凡夫の私は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけを選択したいと思います。

 

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