寺社探訪

寺社探訪とコラム

読書ノ跡「寺院消滅」

 

寺院の数はコンビニよりも多いと言われています。しかし、社会においてはたして寺院がコンビニよりも需要があるのかというと、そんなことはないでしょう。そうなると、需要が供給を下回っている状態ですので、運営できなくなる寺院が増えていくことになります。そして、それは過疎化の進む地域に顕著で、地方の町から無住職寺院や廃寺が増えているという内容のお話です。

私は東京で暮らしていますが、東京都民は地方出身者やその子孫が多くて、東京に菩提寺がなかったり、代々受け継いでいる寺院墓地がなかったりする方がとても多いです。つまり、資産的にも宗教的にも田舎を捨てて出てきて、新たに東京に生活を築いている方が多いのです。そこで、東京で住宅を購入したり財産を築いたりするのですが、宗教的なことに関しては、関わりを絶ったままでいたいという方も多いです。田舎の寺院との寺檀関係を解消し、東京の寺院とも寺檀関係を結ぶことをしない。それを面倒に思ったり、子孫へ迷惑をかけると考える方が多いのです。

地方では檀家の数が減少していき、都会では信仰心が失われていく。誰も面倒を見る人がいなくなって、災害から立ち直る資金がなくて、荒れるに任せて朽ち果てていく寺院が多く紹介されています。以前、「山+神企画」で訪れた天聖神社でも、入口に宗教法人を解散するという通知が貼り出されていました。どの道尻すぼみになっていくように見える寺院運営ですが、坊主丸儲けでお金持ちなんじゃないのか? と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。たしかに、高級車を複数所有して、贅沢な暮らしをしている僧侶も一部存在います。以前、ある寺院の住職に「葬儀屋の仕事っていうのは、儲かるのか?」と聞かれたことがあります。「競争も激しいし景気も悪いですから、そんなに儲かってませんよ」と答えると、「坊主になれ。坊主は儲かるぞぉ」とのことでした。寺院は土地を持っていることが多いですから、不動産業で利益を出していることが多いです。東京の駅前の一等地の寺院などの周囲をよく見ると、駐車場やビルやマンションやアパートや幼稚園を運営していることがよくあります。

都会で不労所得が見込める寺院でなければ、運営できないのかというと、不利な条件でも上手に運営する人はいます。本書では新たな発想と行動力で挑戦している寺院を紹介しています。おそらく寺院が多すぎる、運営できないという現状を突きつけると、「無くてもいい」と答える方が相当数いらっしゃることでしょう。この本では、宗教が時代の政策の変遷によって、どのように変容を余儀なくされてきたか、ということが書かれています。現状には原因があって、そこに大切にすべき意義が埋もれています。寺がなくなっても大丈夫なのか? 寺の意義ってなんなのか? ということに言及しようとしています。しかし、原因の中に意義を探るというよりは、「歴史に翻弄された厳しい現状を生き残るのは大変」ということに終止してしまっている気がします。そこを深掘りしても強く訴えても、世の中は残酷なので、僧侶だけ救われることは多分ないです。

私は個人的には、寺院が減っていくことは仕方ないと思っていますし、生き残ることだけ考えず、減った後のあり方というか、上手な減らし方をすることで人々と宗教が関係を築きながら生きていく未来が創造できると思っています。著者は新聞記者から僧侶になった方なので、僧侶寄りの視点です。僧侶寄りに考えると、信仰=宗教=寺院なので、どれも失われると社会価値の喪失のように思われますが、多分切り離して信仰心を守る(育てる)ことに特化すると、時代が求める新しい宗教や寺院のあり方が見つかるような気がします。