寺社探訪

寺社探訪とコラム

読書ノ跡「縄文の神」

 

当ブログでも「縄文時代の神」というテーマを取り上げましたが、紀元前1万年にも人類が社会的な生活を行っていて、そこに信仰が存在していたというのには、尽きない興味をそそられます。歴史の授業では、飛鳥時代あたりからようやく歴史を記録した日本の書物が登場して、人物名や相関関係や歴史的出来事がはっきりします。そこから現代までは1500年くらいでしょうか。縄文時代は16000年前からと言われていますので、飛鳥時代はまだ現代に近い歴史区分ということになります。それだけ長い縄文の時代、人々は何に信仰心を寄せていたのか、それは現在でも残っているものなのか、という興味を満たすべく、この本を手に取りました。

 

本書の構成は、縄文人が信仰した対象別に、その内容や歴史、実際にその信仰が存在した場所などを記述しながら解説しています。縄文の信仰は基本的にアニミズム(精霊信仰)だったといわれています。これは、現代日本人にはとても理解しやすいと思います。誰に教えられるともなく、私たちは身の回りのあらゆるものに神様がいるという感覚を、スッと理解できませんか? そこに神がいるとか言われなくても、神聖なものを感じ取って自然と手を合わせる、頭を垂れる、跪くという感覚は、縄文時代から1万年以上日本人に刷り込まれてきた感覚として、現代の私たちの奥底にも刻まれているのだと思います。

 

縄文人の信仰対象として、ヒモロギ、イワクラ、カンナビ、コトダマ、ムスヒという5つに分類されています。ヒモロギとは森に対する信仰です。狩猟採集生活者だった縄文人にとって、多くの恵みを生み出す森は神聖なものでした。現代でも神社の裏側や傍に森が残されていたり、意図的に作られているところがあります。森というのは信仰の対象だったのです。イワクラというのは巨石や奇石のことで、そのような巨石や奇石には神聖なものが宿っているという信仰です。これは現代でも多く存在していて、石にしめ縄を張って信仰の対象としているのを、そこらじゅうで見ることができます。山の中の登山道でも石の上に石を積んでいるのを見かけますが、こういうのも石に対する不思議な力を畏れ敬う気持ちの表れなのかと思います。イワクラ信仰が今も残る神社として、熊野三山諏訪大社を例に上げて解説されています。こんな風に信仰対象別に縄文人の信じたものを解説し、その信仰がどんなふうに変遷していったかということまで追跡しています。

 

日本の信仰は、大和朝廷の支配によって精霊信仰から日本神話の神々を祀るというものに変革されました。更に仏教の普及によって、塗りつぶされて消えてしまった聖地もたくさんあります。高野山比叡山も、その昔はカンナビ信仰の山だったことでしょう。また、山+神企画で訪れた愛宕神社に吸収されたアラハバキ神は、縄文の神だと言われています。縄文の信仰が現代にも痕跡としてチラチラ見えている場所を探るのは、結構楽しい作業かもしれませんね。

 

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