寺社探訪

寺社探訪とコラム

「新興宗教の子ども 2」

事件

安倍元首相の国葬が行われますが、その決定プロセスを巡って国民が反対を訴え、なんだかモヤっとした毎日となっています。安倍元首相が殺害された事件は、衝撃の大きさに加え、事件の因果関係に宗教団体が絡んでいたことから、大きな関心を集めることとなりました。社会的に問題となるいくつもの異なる論点が重なっていて、同時に考えるべきことや、別々にすべきことなど、捉え方や論じ方が非常に難しくなっています。

慎重に問題点を解いていくと、ひとつは「宗教団体と政治家の関係」という問題点があります。またひとつは「宗教団体のカルト性や献金システム」という問題点があります。またひとつは「二世信者の苦悩」という問題点があります。多岐に渡る問題でも、混同せずに考えることが大切です。

 

二世信者の苦悩

昨年、当ブログで「新興宗教の子ども」というコラムを書きましたが、「二世信者の苦悩」について考えます。二世信者問題を取り上げた討論番組を見ていると、どうしても宗派の持つカルト性に引っ張られて、カルト宗教だから二世信者が苦悩するという論旨になってしまっています。

宗教団体のカルト性と二世信者問題は、互いに影響を及ぼしてはいますが、分けて考えた方が良いです。というのも、二世信者問題の核心は、その宗教団体のカルト性ではなく、子どもの信教の自由が奪われるという点だからです。そして、直接的に子どもから信教の自由を奪うのは、宗教団体ではなく「親」なのです。

例えば日本の伝統的な仏教である真言宗曹洞宗の檀家の家系に生まれた人が、仏教に興味を持って、寺院や宗派に親しんで暮らしていたとします。その人が仏教の素晴らしさを自分の子にも感じてほしいと心から願い、毎朝6時から子と一緒にお寺の掃除を手伝い、寺の行事には全て親子で参加して、毎朝仏壇のお水とご飯を替える役目を子に任せます。子にとっては、これらのことが苦痛かもしれません。サボれば親から怒られるし、親が崇拝するものを否定したくないが、同じように崇拝する気持ちが湧いてこない。親に倣い仏教を敬う振りをしますが、本心と乖離していて、心の中では苦悩している。親の扶養の下で、そんな苦痛な暮らしを毎日続けるとしたら、例え伝統的な仏教でも、子の信教の自由が奪われ、二世信者問題が発生すると言えます。

伝統的な仏教の檀家制度は家系で受け継がれているので、その制度に従うこと自体、子にとっては信教の自由を奪われていると言えます。我が家は先祖代々〇〇宗△△寺の檀家だから、という理由で、子は△△寺の檀家として〇〇宗を信仰することを親(家系)から強要されます。もちろん逆らうことは不可能ではないが、家系で受け継いで来た墓地や寺院との関係を終わらせることは、親子関係や親族関係を破壊したり、離檀料や墓地の改葬費などの経済的負担を背負ったりすることになります。

 

カルト宗教の子ども

まだ捜査が終わってない状況ですが、山上容疑者自身は、旧統一教会の会合に出かけたり、旧教会関係者と人間関係を築いていても、二世会員として教会の教えを信仰していたのではないようです。ただ、恨んで犯罪を犯すに至る過程で、母親と信仰を共有したいと思った時期があるかも知れません。山上容疑者自身の信仰心は親の信仰によって歪められたかもしれませんが、結局は親から信仰の自由を奪われてはいないようです。

二世信者問題は、親(自覚なき加害者)が子(被害者)の信教の自由を奪い特定の信仰を強制することで、子の信仰心や人生が歪められることが核心だと書きました。だとすると、親から信仰の自由を奪われていない山上容疑者の家庭のように、親が信仰にのめり込んで家庭を破壊する問題は、「二世信者問題」というより、「宗教団体のカルト性や献金システム」の問題としての要素が強いです。

自分が信仰する宗教がカルトかどうかと聞かれて、カルトであると答える人は少ないと思います。洗脳されますから、健全で問題のない宗教団体だと思っていることでしょう。しかし、信者の家庭が壊れるほど搾取する行為は、反社会的だと言わざるを得ない。捉え方は人それぞれですが、私自身は、統一家庭連合という宗教団体はカルトだと思っています。信者から搾取する宗教団体が加害者で、親が自覚なき被害者で、子はその二次被害を受けるという構図です。山上容疑者の家族の場合、自覚なき母親の被害レベルが尋常ではなく、山上容疑者の兄も教団に恨みを晴らそうとして失敗し、その後自殺しています。信仰のために家族の人生を滅茶苦茶にしても尚、盲目的に教会への信仰にのめり込む母親に関する報道は衝撃的でした。二世信者問題+カルト教団、いわゆる「カルト宗教の子ども」が追い込まれる境地は、想像以上に深刻な場所なのかもしれません。オウム真理教サティアンで、電極の付いたヘッドギアを被った子どもの姿が思い浮かびます。

 

法律と政治家

二世信者が信教の自由を奪われて苦悩する問題は、法制度を設けて回避できれば良いですが、信仰は憲法で保障された権利なので、法律で縛ることは困難に思えます。それでも、サティアンでヘッドギアを被って過ごした子どもたちのために、困難を乗り越えて法律を作って欲しいと思います。無理を承知で書きますが、親が自己の信仰する宗教を、未成年の子に信仰させることを禁じてはいかがでしょうか? これは親と同じ宗派を未成年の子が信仰したいと意思表示した場合、法律が子の信教の自由を奪うことになりますが、成人するまで待ってもらうことで、親によって無理やり信仰させられることが避けられると思います。

また、宗教団体が得る献金は非課税とされていますが、これに宗教団体の規模に合わせて上限を設けて、上限を超える献金による収入には累進課税を設定する制度が必要だと思います。また、個人からの献金にも収入に応じた上限を設けて、上限を超える献金ができない制度が必要だと思います。これらの制度は法の公平性を保つため、カルト性に関わらず、カルト的ではない新興宗教や伝統的な仏教や神道も一様に同じ制度下にすべきです。しかし、そうとなれば、現在大きなトラブルのない団体も含め、ほぼ全ての宗教団体が規制に反対をするでしょう。

そして今回の事件で国民を驚かせたのは、「宗教団体と政治家の関係」だと思います。ある程度は予想していても、予想を遥かに越える宗教団体と政治家の個人的な繋がり、組織的な繋がりが明らかになりました。政治家は選挙に勝つために、こんなに無節操に、応援してくれる人なら誰とでも繋がるのかと、驚いた人も多いのではないでしょうか。統一家庭連合に応援してもらって何が悪いのかと開き直る人もいて、票のため、欲のためなら、人として最低限の理性まで無くなるのかと、政治家という職業の自己破壊力に驚きます。

統一家庭連合や創価学会に限らず、政党と関係のない宗教団体などほとんどないので、そもそも政治家には宗教団体の資金に触れることはできず、ましてや実効性のある法律など作れないというのが事実だと思われます。残念ですが、与党がこの状態なので、支持者を不利にする法律は作らないでしょう。

 

照らされた闇

今、二世信者問題、政治と宗教問題が語られるのは、安倍元首相の殺害事件が起こったからです。亡くなられた安倍さんの遺族感情に配慮すれば、殺人などどんな背景があっても許されないのだから、山上容疑者を被害者のように扱って同情してはいけないと、そんな意見が大多数だと思います。しかし、そのことが見るべきものを見えなくしてしまい、「カルト宗教の子ども問題」を正しく捉えることを妨げていると思います。私自身は、山上容疑者は信仰によって家庭を破壊した母親の被害者だと思います。被害者だからといって、武器を作ったり人を殺すことは許されません。安倍元首相の命を奪った卑劣な加害者でありながら、母親の信仰によって人生を狂わされた被害者でもあるのです。

罪を犯した人は、全てが悪であるように捉えられます。ましてや殺人のような凶悪犯罪の場合は、極悪非道で100%悪人というイメージを持ってしまいます。しかし、実際には100%どころか、1%で悪人や死刑囚になれます。いつもは穏やかで人にやさしく、良いことをたくさんしている人でも、1つ悪いことをしたら悪い人です。その1つが法に触れたら犯罪者です。山上容疑者がいつもは良い人かどうか知りませんが、彼は間違いなく凶悪犯です。凶悪犯ですが、間違いなく宗教と母親の被害者です。

そしてもうひとつ、批判を恐れずに申し上げると、方法は間違えていますが、闇の中にあった日本政治の膿を、白日の下に引きずり出して晒したことは、彼の行動による結果だと言わざるを得ないと思います。彼が無茶苦茶な方法で照らした闇は、たしかに膿で汚れていました。それを知ってしまった私たちは、、、。

 

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