寺社探訪

寺社探訪とコラム

真言宗豊山派 円泉寺(世田谷太子堂)

真言宗豊山派 円泉寺 (世田谷太子堂

名称・寺格

聖王山 法明院 圓泉寺 と称します。一般的には太子堂として有名で、地域の地名にもなっています。特に寺格はありません。

創建

南北朝時代末期には太子堂と小堂があったとされています。円泉寺としては、文禄4年(1595年)、布教のために当地を訪れていた賢恵によって堂宇が整えられた。

本尊

不動明王

ご利益

これという有名なものはありませんが、聖徳太子弘法大師不動明王に対する信仰を通じて、日々の暮らしに功徳を求める伝統的な風習があります。節分会が有名で大規模に執り行います。その際は、厄除けの護摩供も行っているようです。

みどころ

太子堂ですので、聖徳太子にお参りをしましょう。

アクセス

東京都世田谷区3-30-8

東急田園都市線三軒茶屋」徒歩15分

探訪レポート

寺院名が地名や駅名になっているところは多々ありますが、圓泉寺ではなく「太子堂」の名が広く定着しています。こういう現象は稀にあるのですが、寺院より先に観音堂や不動堂などのお堂のみが建てられて、そこに人々の信仰が集まり、後に寺院として整備されるというパターンです。仏教で太子といえば、聖徳太子のことです。伝わったばかりの仏教の信仰の力を利用して国を治めようとした人で、聖徳太子がいたから日本にこれだけ仏教が広く深く根ざしたと言っても過言ではありません。圓泉寺も、太子堂が人々の信仰を集め、そこに圓泉寺が整備されたという歴史になります。

東急世田谷線西太子堂という駅がありますが、駅チカというほどでもなく、おそらく三軒茶屋から徒歩で訪問する方が多いと思います。賑やかな商店街なので、それほど距離を感じないで到着します。

門の外側の壁に聖徳太子の大きな石碑があります。その隣には大きな欅の木が切られた跡があって、根本の隙間に庚申塔がいくつか祀られています。江戸時代に庶民の間で盛んに行われた庚申信仰の中心地となっていたそうです。

境内は駐車場を兼ねていて広々としています。訪問時は他に参拝者もいなくて、住職さんと寺男さんが日陰でお話していました。江戸時代、文禄4年(1595年)に、奈良の賢恵和尚が聖徳太子像と十一面観音菩薩像を背負って布教のためにこの地を訪れて、よくある話ですが夢のお告げでこの地に堂宇を整えたとのことです。夢に出てきた聖徳太子が、この地に祀られたいと望んだそうです。

こちらが手水舎です。手水舎の周りに石碑やら建立物が集約されています。円泉寺は江戸の後期に火災で堂宇を消失し、再建されたものの明治維新廃仏毀釈でかなり荒廃してしまったそうです。それから三軒茶屋太子堂の街が発展するのと共に、人々に支えられて堂宇の整備改修が進められてきたという歴史があります。

こちらの子育地蔵尊も手水舎の周りにあります。寛政3年に造立され、そもそもは三軒茶屋地区に安置されていたお地蔵様だそうですが、昭和43年に圓泉寺の境内に移されました。巡礼地に「玉川六地蔵」というのがあるそうで、その第4番がこの圓泉寺の子育地蔵尊だと書かれていますが、他の5つが調べてもわかりませんでした。

本堂前に常香炉があります。ちなみに常香炉って線香をお供えして、煙を体の悪い部分に付けて良くなるように祈願するものという信仰があります。それはそれで良いのですが、本来は、というか当初の目的は、煙を焚くことで邪気を払って身を清めることです。これから本尊にお参りさせていただくにあたり、自身を清めておくのです。

本尊は不動明王です。太子堂として有名なので影が薄いですが、憤怒の表情が特徴の不動明王の中でも圓泉寺本堂の不動明王はかなりのイカつい表情をしています。制多迦童子矜羯羅童子を脇侍にした不動三尊の形態の本尊となっています。圓泉寺は真言宗豊山派の中野宝仙寺の末寺だった歴史があるそうです。

こちらが太子堂です。階下に半地下の葬祭ホールがあり、その上に太子堂が建立されています。聖徳太子の時代から近代まで、日本の歴史はずっと天皇と豪族が覇権争いをしていて、この時代は蘇我氏物部氏が有力豪族として台頭していました。この2勢力は、仏教推進派の蘇我氏と仏教反対派の物部氏という構図で見られています。権力を得た豪族は天皇と姻戚関係を結び、政権を支配していきます。蘇我馬子が擁立した推古天皇の摂政として、聖徳太子は国政を進めていきます。有名なのは冠位十二階と十七条憲法の制定です。

ちなみに聖徳太子から見ると、推古天皇は伯母にあたり、蘇我馬子は大叔父にあたります。飛鳥時代から平安時代藤原氏みたいな状況で、江戸後期の徳川家も結局は公武合体などとやっているのですから、日本の歴史はこのワンパターンです。推古天皇蘇我馬子聖徳太子の政治が安定政権を築いたからこそ、その終焉は波乱が巻き起こり、大化の改新へと続きます。

聖徳太子天皇中心の中央集権国家を築き、仏教を広く国家に根付かせたというだけてなく、仏教では聖徳太子自身が信仰の対象となりました。これには、釈迦や良源や日蓮など信仰の対象になった人物特有のスーパーマン的な逸話が生じます。聖徳太子の逸話は結構有名です。厩戸皇子(うまやどのおうじ)と記されることが多く、「厩で生まれた」とイエス・キリスト伝説に擬えています。また、10人以上の人と同時に会話ができるなど、超人的な話も有名です。他にも、予言ができたり、空を飛べたりと、伝説はたくさんあります。そんな聖徳太子は、日本のお札に描かれた回数No.1で、しかも最高額のお札ばかりです。最近では、そもそも存在しなかった説もあって、いつまでも興味深い人物です。

 

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