寺社探訪

寺社探訪とコラム

真言宗智山派 深川不動堂

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深川不動堂 目次

名称・寺格

深川不動堂と親しまれていますが、正式には「成田山 東京別院 深川不動堂」と称します。真言宗智山派大本山成田山新勝寺東京別院という位置づけです。

創建

元禄16年(1703年)

本尊

不動明王

ご利益

厄除け・祈願成就の護摩祈祷が有名です。

みどころ

新旧の建築が混在する境内と、門前町の賑わいが下町風情を感じさせます。

アクセス

東京メトロ東西線門前仲町」徒歩2分

都営地下鉄大江戸線門前仲町」徒歩5分

探訪レポート

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深川不動尊は、富岡八幡宮の隣に立地しています。不動尊信仰の拠点である成田山新勝寺東京別院という位置づけです。新勝寺自体は天慶3年(940年)の創建で、長い歴史がありますが、江戸時代に庶民が豊かになり、江戸庶民の間で成田詣が流行します。有名な歌舞伎役者の市川團十郎は特に成田山への信仰が厚く、屋号を成田屋にしています。そんな人気役者との繋がりもあって、江戸庶民の成田山への不動尊信仰が高まり、元禄16年(1703年)に深川の富岡八幡宮別当寺だった永代寺で出開帳(秘仏である新勝寺不動明王像の公開)が行われました。これには、徳川五代綱吉の母桂昌院も参拝したと伝えられています。桂昌院といえば真言宗豊山派大本山護国寺と深い縁があります。桂昌院の厚い不動尊信仰が、出開帳を実現したとも言われています。

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門前の商店街です。和菓子屋さんや鰻屋さんが並んでいます。鰻の焼ける香ばしい匂いは、食欲を誘う匂いの中でも、かなりの高ランクだと思われます。

さて、江戸時代を通じて、この新勝寺の出開帳は度々行われ、江戸市民の間で大いに賑わったそうです。明治時代に入ると、神仏分離令による廃仏毀釈のため、永代寺が廃寺となります。それでも不動尊信仰は根強く、現在の地に、成田山新勝寺不動明王を分霊した深川不動堂を建立することが決まりました。

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先日、とある真言宗豊山派の寺院で仕事をしていたら、どうして境内に成田山と書かれているのか? 成田山新勝寺は智山派ではないのか? という質問を受けました。不動尊信仰というのは、真言宗各派や天台宗禅宗日蓮宗修験道など、宗派を超えて広がっていて、中でも成田山新勝寺は大きな拠点となっています。この深川不動堂のように、新勝寺の別院である寺院の他に、新勝寺の本尊を分霊した寺院(成田山新勝寺で魂入れを行った不動尊を本尊として安置している寺院)も、成田山を名乗っている場合が多いのです。ですから、○○不動尊と呼ばれるお寺を訪問して、そこに成田山と書かれていたら、このお寺の本尊は成田山新勝寺から勧請したんだなということがわかります。

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境内に入ると、左手に手水舎があり、写真の左奥に深川龍神と書かれた水鉢があります。ここに願い札を浮かべて祈願すると、願い札が水に溶けて龍神様の許へ届くと言われています。

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境内のほぼ中心に常香炉があります。人がなるべく映らないように平日に伺って撮っていますので、写真では閑散としていますが、実は結構境内は賑わっていました。不動尊信仰は不動明王に対する信仰ですが、不動明王密教に特有の明王という尊格のひとつです。剣と羂索を持って、どんな救い難い衆生でも力づくで救うために、憤怒のお恐ろしい形相をしています。不動尊信仰は広がりの範囲が大きいので、研究しがいのある分野だと思います。

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厨子不動明王立像が安置されていて、両側に箒が奉献されています。箒には短冊がついています。訪れたのが年末だったので、こういう荘厳をしているのかなと思います。これは「すす祓い祈願」で、心身の穢れを払うという意味があるそうです。アニメの一休さんを思い浮かべてしまいますが、箒は古来より仏教の道具や、僧侶の修行道具としても使われてきました。現代では、掃除はお寺の出入りの植木屋さんが全部してしまうことが多いでしょうけど、境内を箒で掃いている僧侶を見かけると、その正しい光景に思わず心が頷いてしまいます。

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すす祓い祈願の壇の横に巨大なわらじがあります。よく見ると巨大なわらじにたくさんのわらじが吊るされています。これは、「わらじ守り」と言うそうで、小さなわらじと絵馬が付いたお守りです。足腰の息災を願うお守りなのですが、そのまま持ち帰ってお守りにしても良いし、祈願を書き込んで結びつけても良いそうです。

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こちらが本堂に見えますが、旧本堂です。現在の本堂は、左側にある黒と黄色の梵字に覆われたキューブ状の建物です。新しい本堂があっても、人々の信仰は厚く向けられていて、お参りの列ができていました。護摩祈祷や各種祈願は新本堂で行われているようですが、旧本堂も活発に活用されているようでした。旧本堂の奥に重なるように見えている横に長い建物が内仏殿です。ミニお遍路コースや諸仏が安置されていて、コロナ禍で見学できたりできなかったりするようです。f:id:salicat:20211214215847j:plain

開運出世稲荷社は、境内社の中でも一番良い場所に一番立派なカタチで建っています。鳥居の扁額に荼枳尼天尊と掲げられていますが、日本では荼枳尼天は稲荷神と混同されています。稲荷信仰の信仰対象を仏教的には荼枳尼天としている、という感じです。これは以前探訪した豊川稲荷東京別院でも同様で、豊川稲荷の本尊は、荼枳尼天です。

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のぼり旗の奉納などを受け付ける社務所が境内に設けられるほど、しっかり稲荷社を運営しています。常香炉があって、ろうそくの献灯や狐の奉納もできるようです。まさに仏教寺院の中にある、神仏習合荼枳尼天という感じですね。こちらは千葉の成田山新勝寺の境内にも同じ開運出世稲荷社があり、成田から深川へ勧請されました。

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所狭しと様々にお参りポイントが連なっています。手前(右)の馬に乗った像は、勝軍地蔵尊と言います。戦いに勝つ、宿業や飢饉から逃れる、という謂れがあります。奥にある大きな石碑のようなものは、百度石と呼ばれるものです。

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百度石の正面(正確には斜め前)に、お百度不動尊があります。深川不動尊のお百度参りの作法として、この百度石とお百度不動尊を交互にお参りしながら、その間を百度往復するというものです。境内の御札場で、回数を数える紐の束が貸し出されています。一日で百度お参りしても、何日かかけても良いそうです。

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百度石の横にあるのが、不動明王が持っている剣です。三鈷杵の中央が長く剣になっているパターンの剣です。倶利伽羅剣と呼ばれ、炎と化した倶利伽羅龍王が巻き付いた剣とも言われています。不動明王の象徴でもあり、このように剣そのものが祈念の対象として祀られることもあります。貪瞋痴の三毒を打ち破る智慧の利剣と言われています。

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深川不動尊では写経や写仏などの他、阿字観の修行体験もできるそうです。阿字観というのは大日如来を表す梵字の「阿」を眺めながら瞑想する、空海が伝えた真言密教独特の修行です。

これまでにも真言宗寺院を何度も訪れていますが、○○不動尊という異名を持つ寺院、とりわけ成田山を名乗る寺院は、共通の特徴があるように思えます。それは、総じて派手なことです。境内の堂宇などが、どれも派手に見えます。たとえ境内が狭くても、狭いなりに、というかそれ以上に堂宇を詰め込んで、ゴチャっとした迫力を与えます。写真の正面にある黒に黄色ラインの建物が本堂です。なかなかアヴァンギャルドな本堂ですが、読めない梵字の圧倒的な密度は、見る者を威圧して、理由なき納得をさせられてしまいます。

 

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