寺社探訪

寺社探訪とコラム

「縄文時代の神」

古い寺社を訪れる時は、その歴史を学びながら、どんな社会で暮らしていた人が祈りを捧げたのだろう? と思いを馳せます。それが千年前なら、平安時代の中後期。五穀豊穣を祈ったり、誰かの幸せのために祈った人もいるでしょう。2千年前だと垂仁天皇の御代。その頃から存在していたとされる神社もあります。何を祈ったのかわかりませんが、私が祈ったこの神に、確かに2千年前にも祈った人がいる。と考えるだけで悠久のロマンを感じます。

 

私のように葬儀業界で働いていると、宗派の差に厳格になります。真言宗豊山派真言宗智山派は、全く別の宗派のように扱います。ましてや仏教と神道は全く違うものです。家の中に仏壇も神棚もあるのは、現代の基準だけで見るとおかしいことなのです。神か仏か、どちらを信仰しているのか、何宗何派を信仰しているのか? よく、「うちは〇〇寺の檀家だから、私は浄土宗です」と思っている人がいますけど、信仰の自由は憲法で保障された権利で、親や家系に強制されるものではありません。あなた自身で法然の教えを学び帰依し、〇〇寺を檀那寺として選んだのでしょうか? 

そんな事を言いだしたら、日本人の宗教観は無茶苦茶で、神や仏を冒涜するような信仰心の民族ということになってしまいます。神社に初詣に行き、クリスマスを祝い、寺院で除夜の鐘をつきます。無茶苦茶なように見えますが、当の日本人の私たちは、無茶苦茶な冒涜をしているつもりもありませんし、精神が破綻している訳でもありません。

 

いろんなお寺を巡っていて、ひとつ思い当たったことがあります。それは、おそらく日本人に自分の宗派もわからない人が多い理由のひとつだと思うのですが、日本の仏教は偶像崇拝の度合いが強いのだと思いました。

釈迦は弟子たちに偶像崇拝を禁止しました。それでも苦境に生きる人々は、教えだけでは生きていけませんでした。そこに依り処となるシンボルが欲しかったのです。そうして最初はマークのようなものや釈迦の足の裏を絵にしたもの。それがそのうち姿が描かれ、釈迦の死後500年以上経ってから仏像となっていったのです。そして遥か日本へと伝わり、僧たちによってたくさんの経典が日本へ輸入されると共に、仏像崇拝が根付いていったのだと思います。

阿弥陀如来に対する信仰は、天台宗真言宗、浄土宗、浄土真宗・・・とたくさんの宗派に跨ります。薬師如来に対する信仰や、観音菩薩に対する信仰についても然りです。日本の仏教信仰は仏像崇拝が強くて、宗派に対する意識が弱いのだと思います。例えば「天台宗瀧泉寺真言宗智山派平間寺日蓮宗題経寺・真言宗豊山派梅照院・曹洞宗高岩寺」は、いずれも関東の有名寺院ですが、ピンときませんよね? でも「目黒不動尊・川崎大師・柴又帝釈天新井薬師とげぬき地蔵尊」と書けばわかりますよね。日本人にとっては、宗派よりもお縋りする対象となる仏様に意識が向くようです。

 

とは言え、仏像を見てこの仏像は〇〇如来だとか■■菩薩だとわかる人はごくごく少数だと思います。だから日本人の信仰心は偶像崇拝とはちょっと違っていて、神聖な対象物への崇拝と言いますか、〇〇如来であれ■■菩薩であれ、神聖なものであって、その神聖な対象物に手を合わせるという感覚なのだと思います。もっと言うと、仏も神もどちらも神聖な対象物と感じている。

縄文時代の日本人の信仰は、いわゆる精霊信仰(アニミズム)と呼ばれている信仰で、あらゆるものに神の精霊が宿っているというものです。山そのものを神聖なものとしたり、山の中にある大きな木々や不思議なカタチをした岩を神の精霊が宿るものとしたり、川や海に神様がいると信じたり。そんな縄文時代から日本人が受け継いできた精神が、神も仏も神聖で尊いという考え方になったのだと思います。縄文時代は精霊が宿る神聖な場所には、今の神社のように本殿を建てて境内を造るのではなく、拝殿のみがあったとされています。岩や山といった御神体が自然に存在していて、その存在する場所に神聖さを感じ、拝殿を建てて崇拝するという感じです。

 

さて、日本神話を記した古事記日本書紀は、天皇が治めるこの国の歴史が書かれていて、そこに多くの神々が登場します。記紀が編纂されたのは712年と720年ですから、飛鳥時代から奈良時代にかけてこの国を支配していた大和王権がその正当性を示すべく編纂しています。そこに書かれている神々と天皇の物語は、遡ると弥生時代のお話ですが、おそらく飛鳥時代奈良時代の社会では、もっと古くからそこに人が存在していたことがわからなかったのでしょう。今の人たちは弥生時代の前に縄文時代があると知っています。しかも縄文時代は江戸時代や弥生時代を遥かに越えて長く、紀元前1万6000年から紀元前3000年頃と言われています。つまり、日本神話の神々が現れる前は、自然の山や木々や岩に宿る精霊を崇拝した時代が、1万3000年ほど続いたということですね。

弥生時代に入って大和王権が日本を支配する過程で、そのような神聖な場所に大和王権の神々を上書きしていきました。今は天照大御神素戔嗚尊を祀る神社も、縄文時代は自然物を御神体とする精霊信仰の聖地だったという訳です。縄文時代の神々は日本神話の神々の影に隠れて見えなくなってしまいましたが、更に神道に大きな影響を及ぼしたのが、仏教の普及です。本来は自然物である御神体に対する信仰のみだったのですが、仏教の普及に抵抗するために、現在のような本殿、拝殿、神楽殿狛犬、鳥居、灯籠などを配した神社が形成されていきます。

そして、影響を受けるに留まらず、神道と仏教は一体化していきます。明神や権現などの神仏習合の神々が生み出され、人々もそのような神+仏を崇拝します。明治政府がこれを是とせず、神仏分離令を出しました。仏教と神道をできるだけ切り離して、元々の神道の姿に戻そうという政策でしたが、これは日本神話の神々への信仰に戻すということです。縄文時代の精霊信仰までは戻そうとしませんでした。それは明治時代の日本が、かつて森喜朗さんの問題発言「日本は天皇を中心とした神の国」だったからです。こうして切り離された神と仏ですが、今でも様々な寺社に神仏習合の名残を見ることができます。それでは、同じ神聖な場所に上書きして建てられた日本神話の神々を祀る神社に、上書き前の縄文の神々を見ることはできないでしょうか? 実は見ることができます。なーんだ、と思われるかもしれませんが、わかりやすいのは「富士山」です。縄文時代にも富士山は存在していて、人々が神聖な山として崇拝していた聖地でした。そこに浅間大社が建てられ、木花咲耶姫が祀られた、という訳です。これは私の勝手な想像ですが、縄文時代は富士山の拝殿がたくさんあったのではないかと思います。富士山の見える場所というのは現代でもたくさんあるので、縄文時代も見える場所に住む人たちが神聖なものを拝するための場所を作っていたのではないだろうかと思います。

文字のない時代の話は正確にはわからないですが、どうだったのだろうと思いを馳せると楽しいですし、実際にその場所を訪れてみると、想像以上に感じ入ることがあります。そんな古い神様の姿が垣間見えるところを訪れたら、こちらでレポートしていきますね。

 

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