浅草神社 目次
名称・社格
創建
創建は不詳ですが、平安時代末期から鎌倉時代初期と推察される。
御祭神
土師真中知命(はじのまなかちのみこと) 檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと) 檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)
ご神徳
家内安全 商売繁盛 心願成就 各種祈願 の他、子供の成長祈願が充実しています。
みどころ
例大祭である三社祭は東京の風物詩となっています。境内には様々な碑が建っていて、地域との繋がりを見ることができます。浅草寺と一体となった信仰を体験しましょう。
アクセス
東京都台東区浅草2-3-1
探訪レポート
浅草寺の境内社のような場所にありますが、浅草寺と浅草神社はその創建からほとんど一体化しているという感じです。由緒書きによりますと、推古天皇36年(628年)、檜前浜成と檜前武成の兄弟が浅草浦で漁をしていたところ、その日に限って何度やっても魚ではなく尊像が網に掛かるので、兄弟は不思議に思ってその尊像を安置して、当時郷土の文化人だった土師真中知に尋ねたところ、これは現世ご利益を得られる聖観音菩薩像であると告げました。
こちら( ↑ )は神楽殿です。神社の神事の際に舞が披露されます。
さて、その後、土師真中知は僧侶となり、自宅を寺院としてこの聖観音菩薩像を供養し、郷民の教化に生涯を捧げました。これが浅草寺の起源です。ここからその御利益が広まって、どんどん参拝者が集まってきて、現在の賑わいに繋がっています。後の世になって、土師氏の子孫に聖観世音菩薩から夢のお告げがありました。万民に慈悲を施す観音像を、海中から引き上げた三者を神として祀るようにとのこと。これが、浅草神社の起源で、当初は三社権現社と称していました。権現思想が流行っていた、平安後期から鎌倉初期の創建ではないかとのことです。
鳥居をくぐって境内に入り、すぐ右側に夫婦狛犬が相合い傘をさして鎮座しています。狛犬なのですが、二体並んで座っていると可愛く感じてしまいます。夫婦やカップルでお参りするものなのだと思うけど、目の前で夫婦狛犬を見ると実際はかなりこっ恥ずかしいと思います。
御神木です。槐(えんじゅ)の木と言うそうです。海中から引き上げた聖観世音菩薩像を最初に槐の切り株に安置したことから、御神木とされています。古くより、枯れても枯れても境内に自生してくる不思議な力を持った木だと書かれていました。
これはまだ新しい碑ですが、これは「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の碑です。さすが下町ですね。両津勘吉が生まれ育った浅草で、青少年が健全に育成されることを願った碑だそうです。
境内にはたくさんの碑や塚が建っています。浅草に生きた文化人の碑が多いです。浅草は文化・芸能に優れた町でもありますね。
手水舎があります。人力車に載った観光客に、車夫さんが軽快に説明しながら記念写真を撮っていました。由緒の説明でサラッと書きましたが、この神社はそもそも三社権現社と呼ばれていた神仏習合の神を祀る神社でした。明治維新後に浅草神社に改名しますが、この三社は、あの「三社祭」の三社で、おそらく明治維新以前は、浅草寺と三社権現社の区別というのははっきりしてなかったのではと思われます。三社祭は浅草寺の祭でもあり、三社権現の祭でもあったのではないでしょうか。
拝殿( ↑ )です。三社権現として建てられたので、権現造りの本殿です。この社殿は慶長2年(1649年)に徳川三代家光が寄進したものです。江戸の大火、関東大震災、東京大空襲を生き抜いた貴重な建造物です。
社殿の左側に、「三社」の名を示した碑が建っていました。おそらくはこの神社以外では祀られていないだろう神様です。浅草神社は「浅草七福神めぐり」の一社で恵比寿神を担当しています。また、開運八社「東京福めぐりさんぽ」の一社でもあります。