寺社探訪

寺社探訪とコラム

湯島天満宮

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湯島天満宮 目次

名称・旧社格

湯島天満宮と称します。通称、湯島天神。旧社格は府社です。

創建

社伝によると雄略天皇2年(458年)、雄略天皇の勅命で創建されたと伝えられています。

御祭神

創建時は、天手力男命あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でした。正平10年(1355年)に、菅原道真を勧請して合祀しました。

ご神徳

学業成就・合格祈願 他

みどころ

合格祈願では、東京都内で最も人気があります。何重にも膨れ上がって掛けられた絵馬は圧巻です。梅の季節には見事な白梅が咲きます。

アクセス

東京都文京区湯島3-30-1

東京メトロ千代田線「湯島」徒歩2分

東京メトロ銀座線「上野広小路」徒歩5分

探訪レポート

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こちらは表鳥居です。湯島天神入口の信号のところに大鳥居があります。そこから入るとすぐに唐門がありますが、唐門に入らずに、この表鳥居から入るのが、正式な順序なのかなと思います。この日は土曜日だったので、たくさんの参拝の方が訪れていました。この表鳥居は、銅製で、神明様式と呼ばれる鳥居です。寛文7年(1667年)と8年の刻銘があり、都の文化財に指定されています。

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この鉄パイプやよしず囲いは、菊花展の準備をしているのだと思われます。ただ今「湯島天神菊まつり」が絶賛開催中で、11月22日まで開かれています。この時期はいろんな神社で菊花展が催されています。よしず囲いで見えにくいですが、ここは表鳥居を入ってすぐのところで、右にある建物は宝物殿です。

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本殿の方へ進んでいくと、石製の牛がいました。かなり撫でられてきた様子で、顔の全ての部分が丸くなっているように見えます。奥に手水舎があります。

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手水舎の奥にもう一頭牛がいました。こちらは天満宮によくある銅製の牛で、まだ新しいですね。天満宮の牛が伏せている理由は、以前谷保天満宮の回で書いたと思いますが、菅原道真公が亡くなった時、牛に亡骸を引かせていたら、牛が伏せて動かなくなったので、そこを墓所としたという言い伝えから来ています。

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拝殿が見えてきました。それほど大きな境内ではありません。拝殿と本殿が一体化している権現造という構造です。個々の祈りが刻まれたものなので写真に映すのはやめておきましたが、境内には切れて落ちないかなと心配になるくらい重なり合って掛けられている絵馬があります。まさにバームクーヘン状態ですが、合格祈願の絵馬だと思います。受験って人生の未来を賭けた勝負です。昔は受験は戦争という言葉で表現されていました。どんなに勉強をして準備をしても、模擬試験でA判定であっても、目に見えない運のようなものが受験にはつきものです。自分ではどうにもできないことは、神にお縋りするのです。どうせなら、学業の専門家の神にお縋りしたい。と、受験生たちが湯島天神に集まります。

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拝殿の横に、初穂が奉納されていました。さて、そもそも菅原道真って、大宰府に左遷されて不遇なまま亡くなってしまったので、災害や飢饉を菅原道真の怨霊のせいだと恐れた朝廷が、その魂を鎮めるために神として神社に祀り、全国に天満宮を造りまくった訳です。その数1万以上。つまり、人々の天満宮に対する最初の祈りは、「鎮まり給え」だったはず。人々が道真に求めたのは、「何も起こらないこと」で、ただじっと鎮まっていてくださいというものでした。それがいつの間にか、人々の欲を叶える願い事を、しかも人生を左右するような重大な局面を任されるようになっていました。これには道真もツッコみたいだろうと思います。

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こちらは中を通るのではなく、眺めるための庭ですかね。天満宮には梅林があるのですが、湯島天満宮にもあります。伏せた牛の像の同様に、ちゃんと言い伝えがあります。菅原道真梅の花をこよなく愛し、京を去るときに詠んだ有名な歌があります。

「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」

東風は東から西に吹く風で、京から太宰府に風に乗せてその匂いを届けておくれ、主人がいなくても春に咲くのを忘れないでね、という内容です。梅の木はこの歌を詠まれて居ても立ってもいられず、主人を追って太宰府まで飛んでいったという伝説があります。そんなアホな……と思うかもですが、太宰府天満宮には、京から飛んできて根を張った梅の木が御神木として大切にされています。湯島天神の梅は白梅が多くて、王貞治さんが植樹した梅もあります。

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こちらは泉鏡花の筆塚です。このあたりは土地柄文豪の方々が多く住んでいた印象があります。寺院や神社に〇〇塚というのはよく建てられますが、そのものを供養するために建てられているのだと思っていました。例えば筆塚だと、筆の供養ため。たぶん泉鏡花さんは、執筆活層をする中で何度も筆を折ったり壊したりしたから、筆の供養のために建立したのだと思っていました。これは全くの間違いで、実際には筆塚というのは、泉鏡花さんの功績を偲んで、その栄誉を称えるために建てられるそうです。

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拝殿から見て左側に参集殿と社務所があります。ご祈祷など昇殿参拝の申し込みを受け付けていました。七五三のお参りの方も多かったのですが、拝殿と社務所の間が記念撮影ポイントとして良いみたいで、順番待ち状態になっていました。

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本殿の裏側に賽銭箱が・・・。ここにはお賽銭のみを納め、祈願は拝殿で行ってくださいという注意書きが書かれていました。裏からお金・・・というのは、受験にはあってはならないような気がします。これはいつからどういう理由で設置されているのでしょうね。非常に意味深です。

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何やら作業中ですが、摂社として戸隠神社末社として笹塚稲荷神社があります。戸隠神社のご祭神は天手力男命あめのたぢからをのみこと)です。そもそものこの神社の御祭神ですが、摂社にもお祀りしているということでしょうか。ちなみに、天手力男命はどういう神様かと言うと、天照大御神が天の岩戸に閉じこもった際に、神々が知恵を絞って天照大御神を外に出す作戦を練ったのですが、怪力を持つ手力男命は岩戸が空いたら、天照大御神を中から引きずり出すという役目を担いました。暗闇と化していたこの世に、作戦はうまく行って、太陽を復活させました。その後、有名な天孫降臨という神話で、天照大御神は孫の邇邇芸尊に三種の神器を持たせて地上に送るのですが、三種の神器とともに天からお供をした神々がいて、その中に天手力男命がいます。筋肉ムキムキで天上界No.1の力持ちという神で、スーパーマンのような存在です。スポーツや芸事の神様として知られています。天界で天の岩戸の扉を持ち上げてヒョイと地上に放り投げたら、それか戸隠山になったという神話があって、この摂社のように戸隠神社で祀られていて、山岳信仰とも絡み合っています。

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こちらは裏門ですが、左隣に車祓所があります。湯島駅や上野方面から来る場合に便利です。きれいな細工と色調の門です。もうこの数十年ずっと、景気が低いところで安定してしまって、おまけにコロナ禍で非常事態となっています。大学受験や就職試験がうまく行かなくて、無念な思いをしている人も多いと思います。バームクーヘンのような絵馬の束のひとつひとつが、切なる真剣な願いです。神に祈って頭が賢くなる訳ではないですが、何かの力が働いて、そのおかげでうまくいくかもしれません。東京の試される人々の願いを、道真公は今日も明日も受け止めています。

 

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