寺社探訪

寺社探訪とコラム

天台宗 寛永寺 2

寛永寺の諸堂は、現在では上野公園内に散在していますので、公園に来た人たち、美術館に来た人たちが、そのまま訪問することが多いのではないでしょうか。あとは、地方の方が東京見物の帰りに、余った数時間を過ごすのにも上野公園は都合が良いです。階段上がってとりあえず西郷さんと記念写真。というルートですと、まず上野の森美術館の前にある開祖天海の供養塔(毛髪塔)にお参りしてからスタートすると良いでしょう。

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そのすぐ近くに清水観音堂があります。朱塗りの舞台造りのお堂なので、すく見つかります。比叡山が京の鬼門を守るように、寛永寺は江戸の鬼門を守護していると書きましたが、天海は寛永寺の境内に京の清水寺に見立てた堂を建立しようとしたそうです。この清水観音堂は1631年の建立ですから、まさに当時のものが現存しているのですが、だとすればスケール小さすぎるでしょ? と言いたくなります。高さも広さも全く足りないという印象。

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舞台はそんな感じですが、本尊の千手観音菩薩像は京都の清水寺から遷座したもので、なんと、恵心僧都の作となっています。恵心僧都増上寺のレポートで私が理想の僧と紹介した僧侶です。そう、家康が戦地にまで持ち出したという増上寺の黒本尊の作者です。ただ、この千手観世音菩薩像は秘仏となっているので、年に一度の御開帳日以外拝観することはできません。寛永寺の清水の舞台はアトラクション(↑)が付いています。「願い玉」といって、舞台から投げたお手玉が下の丸い台に乗れば願いが叶うそうです。ちなみに5個500円より挑戦できます。

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 これ(↑)って茅の輪みたいなものですか? でも、空中にあるので通れませんね。と思って調べてみると、これは江戸時代からある「月の松」という変わった松の枝と共に風景を楽しむものでした。何からでもご利益を得ようとする強欲さを反省します。一度壊れてしまったそうですが、2012年に復元されたそうです。何も考えず取った写真ですが、このように月の松の輪の中に弁天堂が収まって、あなかしこ、いとおかし、ということなのです。

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 清水観音を見学したら、逆らわずにそこから見えた弁天堂に行きましょう。不忍池弁天堂というのですが、これも不忍池を琵琶湖に見立てて、もともとあった小さな島を琵琶湖に浮かぶ竹生島に見立て、竹生島にある宝厳寺(日本三大弁財天のひとつ)に見立てたお堂を作りました。相変わらず「天海さん、ちょっとスケールが…」と言いたくなります。本尊は竹生島宝厳寺の弁財天を勧請したもので、腕が八本ある八臂弁財天(はっぴべんざいてん)という珍しい像です。こちらも秘仏になっていて、9月の巳成金大祭の日に御開帳されるそうです。

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 この弁天様の周囲には〇〇塚や〇〇碑がたくさんあります。上(↑)の奥の院の左にあるのが包丁塚です。おそらく料理に携わる方々が建てたもの。他に魚塚や暦塚、ふぐ供養碑、めがね之碑など、商売をしている方々が感謝を込めて建てた、という感じです。

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弁天堂の右側に大黒天が祀られていて、秀吉が大黒天好きだったからという理由で建っているそうです。弁天堂は第2次世界対戦の東京大空襲で焼失したものを再建したのですが、この大国堂は消失を免れたそうです。看板に書いてある通り、護摩供をしているみたいです。天台宗護摩供は、流れるように印を結ぶ美しい作法が見られるので、個人的には大好きです。

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 いくつか神社が集まっているエリアがあり、下からお参りしました。最初は五條天神社です。とにかく古い神社で、信仰が積み重なって現代に至るという、私の好きなパターンです。創建は西暦110年ということで、寛永寺より1500年以上古いです。しかも御祭神が大己貴命少彦名命という神田神社と同じ最強タッグです。ただ、天神社なので平将門ではなく菅原道真を祀っています。大己貴命少彦名命は日本の国造りをして、農業や医療を広めた神で、特に二柱合わせて医薬祖神と呼ばれています。この二柱を上野の地にお祀りしたのが日本武尊ということになっています。古すぎる神社はロマンがいっぱいです。私はちょうど病気の治療中だったので、よくよくお祈りさせていただきました。

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 他には例のごとく稲荷神社が2つあります。花園稲荷と穴稲荷ですが。穴稲荷神社のお狐様が、写真に撮るのも憚られるほど超無愛想な顔だったので、訪れた方は注目してみてください。そこから精養軒の方へ進んでいくと、時鐘堂があります。「今鳴るは 芝か 上野か 浅草か」という句が有名です。私は道を間違えて進んでしまい、見つけられませんでしたが、精養軒を目指すとわかりやすいと思います。

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そのすぐ近くのに小高い丘の上に大仏山パゴタがあります。パゴタというのは仏塔のことで、この(↑)顔のことではありません。顔のインパクトが強すぎますが、隣に仏塔があります。この顔はもちろん大仏の顔で、かつては6mの釈迦如来坐像がこの地に存在しました。地震やら火災やらでやたらと破損し、その度に修復していましたが、関東大震災で大破した際、資金難になって再建せずに寛永寺で保管していたそうです。第二次世界大戦で、軍需金属資源として顔以外の部分を供出することとなりました。戦後、大仏再建の声が上がった際、この残った顔面がレリーフとして安置されたとのことです。大仏なんて人々の信仰の象徴のようなものだし、観光的にも目玉になるものなんだけど、高度経済成長期やバブル経済の時代に、再建に至らなかったのがちょっと不思議です。ことあるごとに頭が落ちて壊れまくった大仏ですが、顔だけになって、もうこれ以上落ちないと合格祈願の対象になっているようです。 

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 大仏を見学したら、上野東照宮へ向かうと良いでしょう。こちらの五重塔上野動物園の敷地に建っていますが、そもそもは上野東照宮の所有管理する建物でした。明治維新神仏分離令寛永寺の所属に変更され、その後東京都に譲渡されました。上野動物園の中にあるので、一旦動物園に入場して、動物園の中から見物するようになっています。変なの。

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上野公園の裏を少し歩いて、開山堂までやってきました。このあたりには寛永寺の子院が集まっています。寛永寺の子院は、それぞれ当時の大名家の菩提寺や宿坊として建立され、当時は36坊あり、現在でも19ヶ寺の子院があります。開山堂は寛永寺の子院ではなく、寛永寺開山の祖である天海(慈眼大師)を祀る御堂です。後に、寛永寺本坊内にあった慈恵堂から慈恵大師像を移し、両大師と呼ばれるようになったそうです。

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 さて、ついに名前が出ましたが、慈恵大師こと良源は、天台宗座主であり、天台宗を立て直した中興の祖であり、おみくじの考案者であり、疫病や厄を祓うスーパーマン「元三大師」であり、寛永寺開山の祖天海の憧れの人なのです。また、本ブログで理想の僧侶と紹介している恵心僧都源信)の師僧でもあるのです。地道で努力型の理想的な人の師匠が、怪物クラスのスーパーマンというのは、世の中得てしてそういうものという感じです。

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開山堂はこじんまり整っているお寺で、栄華を極めた天海のイメージとは程遠いです。本堂内の説明書きや、信者向けのチラシ類を見ると、やはり天海よりも元三大師の方に偏ってしまってます。角大師のお札がやはり人気なんでしょうね。

さて、二部に分けたものの全てを紹介できないほど寛永寺は偉大なお寺です。できれば何か一般向けの仏事やイベントでまた訪れたいなと思います。 

 

名称:東叡山 円頓院 寛永寺

住所:東京都台東区上野桜木1-14-11

創建寛永2年(1625年)

開山:天海

開基徳川家光

宗派天台宗

寺格大本山

本尊薬師如来

メモ:徳川家菩提寺