寺社探訪

寺社探訪とコラム

「護摩祈祷を受けに行く」

成功率50%という治療を受けることになり、五分五分から成功の方へ割合を高めるために、祈祷を受けようと思い立ちました。信仰心はあるが、特定の宗派にこだわらす、色々なお寺や神社を訪れているので、どこで受けようかと迷いました。

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 やってきたのは、京王線高尾山口駅です。祈祷を受けるとき、私のような宗教に拘りのない者は、お札をもらうことが気になります。もらったお札を大切に扱って、然るべき処分までしなくてはならない。これを面倒に感じたり、宗教的に自由な存在だったのに重荷や足枷に感じたりしてしまいます。ですが、本当に頼りにしたいときは、却って拠り所を頂けることが有り難かったりします。現金というか、都合の良い信仰心ですよね。日頃、他の神や仏を拝んでいる私を、困ったときだけ助けてくれる、なんて神仏はいらっしゃるだろうか。そんな訳で、図々しくも手術前、神と仏を合わせた権現様のところへやってきてしまいました。

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 ケーブル駅から少し上の広場。良いお天気で、汗が滲みます。コロナ禍でも観光客はかなり多めです。良いお天気で汗ばむ陽気。ソフトクリームやお団子を売るお店が賑わっていました。

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 早速、護摩の受付所に向かいます。受付所は空いていて、係の方も暇そうでした。護摩祈祷をお願いしたいのですが、と告げると、置いてあった申込書に名前と祈願内容を書いて渡します。とりあえず5000円にしました。厳密には料金によって何個祈願できるか決まっているそうですが、そういう対価的な考えを持ち込みたくなかったので、何個祈願できても、当病平癒一択で申し込みました(調べると、当病平癒は併願不可になってました)

。金額によって、頂ける記念品(のようなもの)の数が変わるそうです。1万円以上だったか、本坊の客殿で簡単な精進料理をいただけます。あとは名前とか漢字とかの確認をされ、「ご自分の病気ですか?」と聞かれました。はいと答えると問題なかったようで、隣の待合室のような部屋にある撫で木に名前と治したい箇所を書いて、一緒に持って行くように言われました。こちらのお代は? と聞くと、「お接待でやらせてもらってますので」とのこと。お遍路用語だと思ってましたが、こういうことにも使うんですね。家族全員分書いて良いとのことでしたが、私は独り者だし、実家の家族は新興宗教の信者なのでこういうの嫌がるだろうから自分の分だけ書きました。

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仁王門を潜って本堂へ向かいます。 開始時間まで10分少々ありましたが、とりあえず言われた通り本堂へ。覗いてみると、誰もいません。内陣で準備をしていた作務衣を着たお坊さんに聞いてみると、「時間になったら僧侶が来ますので、そこに座っていてください」とのこと。一番乗りしてしまいました。5分前になり、まだ誰も来ないので、これは開始時間に放送で案内が流れるのかなと思っていましたが、そのうち、本堂内の隅にある太鼓がドン、ドン、と鳴り始め、本堂の外から法螺貝の音が聞こえてきます。むむ、これは、ひとりなのかっ…。

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 正座して待っていると、僧の行列が入ってきました。うわっ、何人なの? と数えてみると8名の僧侶がいらっしゃいました。あらら、私ひとりのために申し訳ないと思っても、もう始まってしまったのだから、謹んでこの護摩供に臨むしかないです。

正座をして合掌して迎えると、護摩導師の方から簡単な挨拶をされ、いよいよ始まるようです。ふと、先程の撫で木の存在を思い出し、聞こうとしたが、ゴーンと磬子(けいす)が鳴り始め、とりあえず端の方に控えていた、先程の作務衣のお坊さんに聞いてみたら、終わってからで構いませんよと言われ、ひと安心。読経が始まりました。 

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 本堂で行われているので、私の背中では、大勢のお参りの方がお賽銭を投じ、お祈りをしています。両親が新興宗教の信者で、子供の頃から一緒に読経などしていたものですから、私は長時間の正座は結構得意で、姿勢を正し、有り難すぎる供養の読経を聞いていました。すると、読経していた導師さんが振り返って「それでは皆様…」と話しかけてきました。皆様ったって私しかいませんが…。「皆様ご一緒に姿勢を正し手を合わせ…」あ、これは不味いパターンだと、閃きました。葬儀業界で働いているので、いろんなお寺の読経を毎日聞いています。「祈願成就のため、南無飯縄大権現と7回お唱えしてください」 やっぱり来たぁ、大勢いればゴニョゴニョで良いが、ひとりなので、ここは恥ずかしがらずに、私ひとりにために8名で来ていただいた心意気に応えるべく、大声でやってやると覚悟を決めたら、「声に出さず、心の中でお唱えください」とのことだった。護摩導師様が印を結びながら炎を扱い始め、太鼓や法螺貝や錫杖など、ドンドコ、ブモォー、シャンシャンとド派手な供養でした。特に法話などはなく終了し、護摩導師様が挨拶をして、また8人並んで退堂されました。最後に残った僧侶から「ご尊前にご案内します」と、内陣の裏側へ導かれました。小さなお守りを一つ頂いて、本尊飯縄大権現と対面します。ちなみに違う場所にあるものですが、飯縄権現の見た目は、上(↑)の写真のような感じです。蛇が巻きついた狐に乗り、剣と索を持った烏天狗です。左右に眷属として大天狗と小天狗を従えています。不動明王に似た出立ちですが、とにかく強そうです。上杉謙信の兜の前盾が飯縄権現だったらしいのですが、あの方、毘沙門天の化身とか言ってませんでしたっけ。

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 そんな訳で、思いもよらぬ有り難い祈祷をしていただきました。私が支払った供養料を8で割って時給換算しても、都の最低時給に満たないと思いますが、ちゃんと祈念していただいて感激しました。帰宅して記念品(のようなもの)を開けてみると、お札に「天狗の落とし文」というものが挟んでありました。「諦めなければ 乗り越えられない壁などはありません」と書かれていました。私の手術の担当医に渡したいと思います。