寺社探訪

寺社探訪とコラム

日蓮宗 池上本門寺

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東急池上線池上駅から本門寺通りという商店街を歩いてお参りするのがお薦めです。参拝者用の広い駐車場もありますが、参拝客も多いので駐められるかどうかは運次第です。池上駅から歩いていると、参拝客向けのお店も多くて、大きなお寺に来たのだなぁということ、地域で信仰を支えている街なんだなぁということが伺えます。本門寺に近づくにつれ、甘味処やお土産屋さんが多くなります。そして、本門寺の子院が軒を連ねた先に、総門があります。総門は江戸時代、1700年頃のものだそうですが、朱塗りが多い寺院建築において、黒塗りで重厚感があり、格好良いです。扁額は漫画「バガボンド」にも出てくる本阿弥光悦の筆だそうです。

f:id:salicat:20210524014048j:plain私の勝手な印象ですが、日蓮宗系の宗派は排他的でアグレッシブに自分の信仰を押し通すという印象があります。おそらく日蓮自身が様々な迫害に負けず、信仰を押し通す生き方をしてきたからなのかと思います。いわゆる、頑固一徹という印象です。私が仕事で接する日蓮宗の住職さんたちも、頑固で崩せない流儀を持った人が多いです。それが壇信徒さんにも伝わるのか、熱心に信仰する人が比較的多いという印象です。f:id:salicat:20210524015238j:plain長い階段ですが、この階段を上がったり降りたりを繰り返している人がいました。単に健康のためにしているのか、それとも御百度参り的なご利益があるのか、定かではありません。この坂は比経難持坂という名で、加藤清正が整備したという由緒ある階段です。

排他的でアグレッシブとご紹介しましたが、それだけに日蓮系の宗派は他の宗派に比べて激しく分派しています。そんな中、池上本門寺日蓮宗の七大本山の中でも、宗派の宗務院が置かれるなど中心的な地位にあります。宗派の中の位置付けという点では、本ブログでも紹介している浄土宗の増上寺と似ています。

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階段を上がるに連れ、ドンドコドンドンと太鼓の音が聞こえてきました。階段を上がってすぐ右側にある長栄堂で、たまたま大祭が営まれていて、堂内に参加されている方々が結構いらっしゃいました。誰でも参加できるのかどうかはわかりませんが、加持祈祷を受けていたようです。基本的に日蓮系は排他的なので、他宗派の門徒だと参加は難しいと思います。

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三門(仁王門)です。コロナによる外出自粛の影響で参拝者が少ないので、本門寺の境内がやたらと広く、そして建造物がやたらと大きく見えます。実際にかなり立派な三門ですが、戦火で焼失し、戦後再建されたものだそうです。

 

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こちらは日朝堂と言い、総本山久遠寺の11世法主であり、中興の祖のひとりである日朝にちなんで名付けられました。別名に常唱堂、題目堂と呼ばれます。日蓮系のイメージとして、信者さんたちが声を揃えて一心にただひたすら題目「南無妙法蓮華経」を唱え続けている印象があります。この常唱堂にも、自然と池上近隣の住民たちが集まって、題目を唱えてきた歴史があるそうです。そして、例のごとく先の大戦で消失してしまったのですが、特定の資産家や企業というのではなく、数多くの民衆の支えによって再建され、在家の信者さんたちの信仰によって守り受け継がれているそうです。f:id:salicat:20210524182523j:plain

鐘楼堂もとても大きくて立派です。こちらは加藤清正の娘が寄進したものだそうですが、これも戦火に遭っています。増上寺の徳川家墓所もそうですが、アメリカを恨むべきか戦争を憎むべきか、大切なものが失われ過ぎています。戦火に遭った鐘楼は隣に安置されています。

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コロナの影響で、柄杓を撤去したり、水を垂れ流す状態にして手を近づけて清めるパターンにしたり、作法通りにできないことが多いですが、本門寺では完全に水を抜いて、手水はできないようになっていました。

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大堂は別名「祖師堂」といいます。本堂のような扱いで、参拝の方々が多くお参りしていました。1606年に加藤清正が母の七回忌追善供養のために建立したが、わずか十数年で焼失してしまいます。1628年に本門寺16世日樹によってほぼ同規模に再建するも、1710年に消失。1723年に徳川8代将軍吉宗の用材寄進によって規模を縮小して再建されました。この大堂の扁額には本阿弥光悦の書が使用されていましたが、先の大戦の空襲によって大堂ごと焼失しました。戦後になり1948年、仮祖師堂を建設し、1964年に現在の大堂が完成した。とにかく大きなお堂です。祖師堂なので、祖師である日蓮像を本尊として安置しています。

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大堂の奥に、もう一つ本堂的な建物があります。こちらは本殿と言い、「根本となる殿堂」という意味ではなく、「本師(釈迦)を安置している殿堂」という意味です。ですから本尊は釈迦牟尼如来(釈迦)です。かつての呼び名は釈迦堂と呼ばれていて、場所も大堂の隣にあったそうです。一方は日蓮、一方は釈迦を本尊とし、本師は釈迦であるというのが日蓮宗の教義です。日蓮系の宗派には日蓮を本師とする宗派も多く、そういう教義の違いで分派が激しくなっていく訳です。

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この池上本門寺は、日蓮が入滅した場所でもあります。病で寒さが厳しい身延山で過ごすことができなくなり、武士である池上宗仲の屋敷に逗留し、そこで入滅した。死後、池上宗仲が領地を寄進し、本門寺が建立された。日蓮の遺骨は本人の遺言で身延山へ贈られていると思いますが、本門寺にも境内の一番奥に御廟所があります。こちらも空襲で焼失し、再建されたものです。

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空襲で焼失してない建物ないんですか? というと、こちらの経蔵は戦火を免れました。経蔵も何度か焼失していますが、1784年に再建されたものが残っています。他の建物と比べると、建物の表面に木材が呼吸した色が刻まれるというか、単に古いだけではない味が見て取れます。

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天気が悪くて真っ黒ですが、こちらの五重塔も戦火を免れました。関東に現存する五重塔の中で一番古い建物だそうです。徳川秀忠が、若い頃に病気にかかり、乳母である岡部の局が本門寺に病気平癒を祈願し、見事に快癒し秀忠が二代将軍になった御礼に1607年に建立した。将軍家の加護を受け、移築改修をしながら、今日までその姿を保っています。

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さて、ここで、永代供養納骨堂調査です。少子化核家族化の時代、いつ自分の墓の後を見てくれる人が途切れてしまうやも知れません。そんな人たちを受け入れるべく、納骨堂を運営する寺院があります。以前の増上寺の大納骨堂に引き続き、本門寺でも後を見る人がいなくなることを心配する人を導くべく、納骨堂を運営していますのでご紹介します。

ここは池上廟といい、ただお骨を預けて合祀されて終わりというものではありません。生前に池上廟の会員になり、生前戒名をいただくことができるそうです。三十三回忌までは写真の蓮の花のモニュメントの真下にある納骨棚に安置され、三十三回忌を過ぎると合祀されます。また、墓誌に名前を刻むこともできます。写真で見るよりも、実物の方がゴージャスというか、荘厳な印象を受けます。料金は合計で100万円だそうです。今までは曖昧だったとしても、これからは池上本門寺と共に生き、積極的に仏教に触れながら過ごしたいという人には、とても良いです。他にも池上樹陵という個別形式の樹木葬のような墓地もあり、こちらは60万円からです。

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本門寺は檀信徒が自由に参加できる行事を毎日のように開いていて、僧侶だけでなく信徒も一緒に功徳に満ちた本門寺と、祈りに満ちた池上の町を作り上げているように感じました。信仰にどっぷり浸かりたい人には、どこまでも奥深く終わりなき信心の毎日を送れることでしょう。

 

名称:長栄山 大国院 本門寺

住所:東京都大田区池上1-1-1

創建:弘安5年(1282年)

開山日蓮

開基:池上宗仲

宗派日蓮宗

寺格大本山

本尊三宝尊

メモ日蓮入滅の地