寺社探訪

寺社探訪とコラム

谷保天満宮

f:id:salicat:20210521142420j:plain今回はミステリーな谷保天満宮をレポートします。

アクセスはJR南武線谷保駅」から徒歩で数分です。車の場合は神社の駐車場がありますが、30台ほどなので祭事やイベントがあるとすぐに埋まってしまいそうです。谷保駅から神社までの間は門前そば屋さんが1件のみ存在していました。f:id:salicat:20210521142024j:plain甲州街道側に入口がありますが、そこから社殿は見えません。木々が鬱蒼としていて晴れていても薄暗く、少々気味悪い感じがします。異様に感じるのは、下り坂のせいかも知れません。神社の正面から本殿へ進むのに、坂や階段を下っていくことは珍しいです。これは、甲州街道が神社の南側から北側に移ったことによるそうです。なので、入口がある甲州街道に背中を向けて本殿が建っているという異様な感じです。

f:id:salicat:20210521142223j:plain菅原道真は昌泰の変で大宰府に左遷されましたが、道真の子たちも左遷や流罪になり、三男の道武は武蔵国国府である府中に配流されました。そして道真の没年である903年、道武が父の尊像を築いたのが谷保天満宮の始まりとのこと。ただ、最初は現在の地ではなく、府中に建てられました。府中市日新町に谷保天満宮の境外社として日新稲荷神社があるのですが、その境内に「谷保天満宮発祥之地」という碑が建っています。


道武の子孫は津戸姓を名乗り、道真から6世子孫の津戸三郎為守(つのとさぶろうためもり)という人が谷保天満宮の運命を大きく変えます。まず、夢のお告げで神社の場所を現在の谷保へ移し、社殿を築きます。そして、谷保天満宮別当寺であった安楽寺に6坊の子院を建立しました。安楽寺は為守の死後衰退して、明治維新廃仏毀釈を乗り切れずに廃寺となっていますが、子院6坊のうちの滝本坊が「滝の院」として現在も存在しています。

f:id:salicat:20210521142702j:plain境内には放し飼いの鶏が何羽かいて、ケッコケッコウと鳴いています。なぜいるのかはわかりませんが、みんな大きくて立派です。動物といえば、天満宮には牛がいます。天満宮の祭神は菅原道真で、その神の使いが牛という立場になっています。これは、以前御嶽神社でレポートした日本武尊ニホンオオカミの関係みたいなもんですね。では、なぜ牛かというと諸説あるのですが、私が気に入った説は、道真の遺体を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所を墓所と定めたからという説です。なんじゃそれ? でも、このために天満宮の牛は伏せた姿勢なのです。と言われると、急に説得力が上がります。

f:id:salicat:20210521142745j:plain拝殿は1851年建立、本殿はそれより100年ほど古いそうです。本殿の御神体は、三男道武が彫った道真像で、75cnほどの木彫りの坐像だそうです。記録によると、1903年に千年祭が行われ一般公開されたのみで、門外不出の御神体となっているそうです。次の御開帳は二千年祭だと2903年、万年祭だと10903年ということになりますので、今生きている人は誰も見られませんね。

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社務所の2階が宝物殿になっていて、鎌倉時代の木彫りの狛犬や藤原経朝木造扁額などの国指定の重要文化財、廃寺になった安楽寺や滝の院の宝物を所蔵しています。

f:id:salicat:20210521142937j:plainこれは三郎殿と呼ばれています。元々は社殿内にあったそうですが、焼失してこの石の祠になっています。祀られていた菅原道武の尊像は、現在は道真像と一緒に本殿に安置されているそうです。f:id:salicat:20210521143256j:plain境内はハケ上に立地しているので心配になりますが、谷保天満宮の境内は空気が湿っていて、地下水が豊富です。「常磐の清水」呼ばれる湧き水による泉が弁天池で、その中央に厳島神社があります。ちなみに、弁財天というのは仏教の女天で、弁財天と本地垂迹(神は仏の化身という思想)で神仏習合したのが、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とされています。厳島神社の総社である広島県宮島の厳島神社の祭神が市杵島姫命で、水の神様です。谷保天満宮内の厳島神社は、元々少し西側の石神地区というところにあったものを、明治時代に遷座したそうです。水の神様があるべき場所に引っ越したということですね。弁天池の周りはあじさい園になっていて、梅雨の季節が見頃とのこと。f:id:salicat:20210521143403j:plain本殿の反対側には神楽殿があり、イベント時に舞台として利用されています。谷保天満宮の祭事のひとつに「おかがら火」いうものがあるのですが、これが不思議なお祭りです。拝殿の前に3メートルの薪の山を2つ作って、倒れないようにしながら炎の高さを競うもの。また、同時進行で「うそかえ神事」という神事も行われます。これは「うそ」という名の小鳥の人形を分け合って、他の参拝者と交換し合うというもの。それで、自分がついてしまった嘘や、良くないことを「うそ」として「吉」にとり替えたことになるらしい。罪を認めて懺悔して流すというのはよくありますが、嘘にして他人に押し付けるというのは強烈です。谷保天満宮恐るべしです。f:id:salicat:20210521143500j:plain梅林はそれほど広くないですが、350本の梅が2月~3月に見頃を迎え、梅祭りも開かれます。このあたりに「台臨記念碑」というのがあります。ガソリンで動く自動車が発明されて20年ほどした頃、日本に何人の自動車オーナーがいたかはわかりませんが、そのひとりである皇族の有栖川威仁親王が主催の遠乗会が行われたそうです。参加した自動車は11台で、新聞で報道され、民衆が沿道で日の丸降って見学するほどの注目行事となったようです。f:id:salicat:20210521143932j:plain日比谷公園を出発し甲州街道を走ったそうですが、立川で甲州街道多摩川に阻まれるため、折り返してこの谷保天満宮が目的地となったようです。梅林に食卓が設けられ、有栖川宮殿下のおごりでお弁当やサイダーが振る舞われたそうです。参加者は政財界や軍部の上層部の方だったそうです。これが日本最初のドライブツアーということで、ここ谷保天満宮が交通安全発祥の地となったそうです。

f:id:salicat:20210521141850j:plain谷保天満宮は、菅原道真の死を嘆き悲しんだ三男菅原道武によって建立され、現在では菅原道真、道武親子を共に祭神として祀っています。創建は総社である太宰府天満宮よりも早く、京都の北野天満宮の祭神は、谷保天満宮の祭神を分霊したものです。

さて、道真は10男4女をもうけたそうですが、歴史文献に菅原道武という人物は存在しません。史実上、菅原道真の三男は菅原景行という人です。え? どういうこと? これこそ谷保天満宮の最大のミステリーなのです。さあ、真相はいかに・・・。

 

名称谷保天満宮

住所:東京都国立市谷保5209

創建:903年

開祖:菅原道武

社格:府社

主な祭神菅原道真 菅原道武

メモ:東日本最古の天満宮(関東三大天神のひとつ)

日本初のドライブツアーの目的地