寺社探訪

寺社探訪とコラム

東京大神宮

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東京大神宮 目次

名称・旧社格

東京大神宮と称します。旧社格はありません。

創建

明治13年1880年)、明治政府の政策によって建てられた伊勢神宮の遙拝所が起源となっています。

御祭神

天照皇大神豊受大神

みどころ

近代日本の歴史の翻弄された神社ですが、恋愛のパワースポットとして有名です。東京のお伊勢様として祈願するために生まれた神社です。

アクセス

東京都千代田区富士見2-4-1

JR総武線飯田橋」徒歩5分

 

探訪レポート

JR飯田橋駅から歩いてほど近い東京大神宮は、一般的には縁結びのご利益が有名ですが、主祭神は天照皇大神豊受大神です。こちらは伊勢神宮の内宮外宮の御祭神と同じなのですが、これはたまたま同じというのではなく、もちろん意図的に同じなのです。明治政府が神仏分離令廃仏毀釈によって実現しようとしたのは、かつて森さんが言っていた「日本は天皇を中心とした神の国」という社会なのです。

平成の時代に森さんの「神の国発言」は謝罪騒動になりましたが、明治政府にとってはスローガンです。神道を国教として政府が組織を整備して強固にしていきます。明治13年伊勢神宮の東京支店のようなところ(皇大神宮遥拝殿)を有楽町の大隈重信邸跡地に設立します。明治15年に明治政府が神社における神社部門と布教部門を別々にする政策を取ります。これによって、伊勢神宮も神宮司庁(神社部門)と神宮教院(布教部門)とを別々にします。皇大神宮遥拝所の敷地内にも、神宮司庁東京出張所と東京神宮教会が存在していましたが、別組織として分離し、皇大神宮遥拝殿は神宮教院に属することになりました。

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その後、神宮教院は神道神宮派と改称し、神宮司庁とは別々の教派神道の一派として独立しますが、皇大神宮遥拝殿も大神宮祠と改名し、日比谷大神宮と呼ばれ人々に親しまれていました。更に明治32年神道神宮派が解散して神宮奉斎会が組織され、大神宮祠は神宮奉斎会本院と改称します。そして大正12年といえば関東大震災です。神宮奉斎会本院も社殿を消失します。昭和3年に現在地に移転再建され、飯田橋大神宮と呼ばれるようになりました。戦後、東京大神宮とまたまた改称して現在に至っています。

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 創建以来、信仰の対象は伊勢神宮だったので、ここは神社という形を取っていなかったんですね。あくまで伊勢神宮出先機関(出張所、研修所的)のような立場にあったので、この神社に旧社格もないし、氏子地域というものもありません。なので、東京十社にも入っていません。東京十社に、東京大神宮と同じく天照皇大神豊受大神主祭神とし「関東のお伊勢さま」と呼ばれる芝大神宮があります。同じように伊勢神宮の神様を勧請していても、歴史は全然違っていますね。東京大神宮は、なんだか立地的にも観光地としても(その名前も)、東京の中心的な神社の一つに思えますが、ちょっと異端な神社です。

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私が訪れたときは、とにかく良いお天気の金曜日だったので、それなりにお参りの方が見受けられました。神門も社殿もとてもきれいで整然としています。余計なものがないという感じ。境内でなにか小さなイベントがあったのかわかりませんが、氏子さんらしき方々が何か集まっていました。写真では全くわかりませんが、境内にはミストが設置されていました。日差しが強く、暑いだけの午後が、ミストひとつでこんなにも爽快な気分になるのかと、それだけでありがたかったです。

f:id:salicat:20210717013710j:plain東京大神宮の拝殿って、写真で見たときから思っていましたが、とにかく格好いいですよね。屋根の角度がシャープで、分厚い屋根が重厚感を醸し出し、千木(屋根の上にある角のようなもの)がまたシャープ感を演出しています。主祭神の天照皇大神豊受大神の他に、相殿に祀られているのが「造化の三神」と呼ばれる神々と倭比売命(やまとひめのみこと)です。造化の三神というのは、日本神話に登場する最初の神です。日本神話が面白いのは、天照皇大神が全知全能の神として最初に誕生し、全てを創造し、全ての神の源となった、という内容ではないところ。天照皇大神が登場する前に、様々な神々が登場します。中でも一番最初に登場したのが、造化の三神こと、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)です。

f:id:salicat:20210717013726j:plainこの角度から見ると屋根の重なり具合がまた格好いいですよね。ちなみに上記の倭比売命は、第11代天皇である垂神天皇の皇女で、天照皇大神に仕える御杖代となった人です。大和国に祀っていた天照皇大神を、相応しき地を探せという信託を受けて、旅を重ねて現在の伊勢の地に導き、皇大神宮伊勢神宮の内宮)を創建したという言い伝えがあります。やはり出先機関的立場だったので、全てにおいて伊勢絡みなのです。各方面にご利益がありそうですが、縁結びが有名なのには理由があります。造化の三神の「ムスビ」という名前にもかかっているそうですが、大正天皇のご婚儀に習って、一般の人が行う神前結婚式というスタイルを確立して全国に広めたのが、この東京大神宮だからということです。

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 こちらが境内社の飯富稲荷神社です。神門の右側にあります。日比谷大神宮の頃から境内社として親しまれてきたそうですが、しかし、本当に稲荷神社はどこにでもあります。信仰の力ってすごいですよねぇ。

 

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